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(中には師父がいる。師父と話しさえできれば、月英が仙桃菓を食べるのは止めてもらえるはず――)
中に入るには、茶師としてふるまうのが自然だ。
周大人の忘れ物を届けにきた――とでも言おう。
(曲が終わる前に――)
希星は、足を速めた。
その時だ。
「そこの――茶師。どこへ行く」
突然、後ろから声をかけられ、どきり、と希星の心の臓は跳ねた。
「わ、私は――」
免状もあることだ。ここは堂々と名乗るべきだろう。
ここで不審な行動を取ってもたつけば、あっという間に曲が終わってしまう。
ゆっくりと振り向いたところ――
「星々! お前、星々だな!?」
「え?」
いきなり、距離をつめられていた。
――若い男だ。
希星は、星々、という名ではないし、そんな愛称で呼ばれたこともない。
人違いだ。
(なんなの、この男!)
洋装をしているが、華人である。
目鼻立ちが妙に整っていて、役者のようだと思った。
その、男が、いきなり希星をぎゅっと抱きしめてくる。
(え? え? なに? 何事!?)
希星は、心の底から慌てた。
突然、知らぬ名で呼ばれ、抱き着かれたのだ。
一大事である。
極限の緊張状態で、それも従姉を救うための作戦の最中。
頭が、一瞬真っ白になる。
「一目でわかった――お前なんだな? 会いたかった……星々!」
まったく意味はわからない。
だが――これだけはわかる。
それと望まぬ女を玩具にする男は、悪だ。
悪そのものだ。
師姉たる珠氷に、茶の道とは関係のない武術を習って三年。その技が発揮される時がきた。
希星は、男の脛を蹴り飛ばし、浮いた腕をぐいとつかんだ。
(……この、外道め!!)
ぐっと腰を落とし、希星は男を――背負って投げた。
ふわり、と男の身体は浮き――どさり、と地面に倒れる。
「白い花を飾る意味もわからない野暮男は、築島に入る資格はありませんよ。母親の腹の中から人生やり直したらどうですか!」
そう言い捨てると、希星はくるりと男に背を向けた。
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