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その日、園田が江国の姿を見かけることはもうなかった。体調不良を理由に早退でもしたのだろうと思ったのと同時に、園田は地の底よりも深い安堵を得た。
だけど同じクラスである以上、あと二ヵ月ばかりはどうしても顔を合わせる機会もあることに辟易としながら、誰にもこのわだかまりを――男に犯された事実を――相談することも叶わないまま、夜、なんとか浅い眠りが訪れるまで悶々としながら、その後の時間を過ごすしかなかった。
その翌日。
園田が教室に入ったとき、さり気なく確認した江国の席は空席だった。昨日の体調不良を引き摺り、今日も休みなのかもしれない、いや、休んでほしいなどと考えながら自分の席についた。
その後、続けざまに吉川、そして鈴木が登校し、園田の席のまわりに集まって、始業までの時間を他愛ない会話を交わして過ごしていた。
急に教室が妙なざわつきをみせたのは、始業のチャイムが鳴る三分前のことである。
「朝の目玉焼きには塩胡椒以外、何をかけるっていうんだ」と園田は熱弁していたので、その騒ぎに気が付くのに数秒遅れた。
何だ、何だと周囲を見渡すと、みなが一斉に同じ方向を見ていることに気が付く。その視線を追い、園田もみなと同じものを見ようとする。
その視線の先にいたのが、彼、江国である。
しかし、それは江国であって、江国でなかった。彼のトレードマークといってもいい眼鏡とマスクはどこにも見当たらず、存在感は紙よりも薄かったはずなのに、そこにいる少年はこの世の中心が、まるで自分であると主張するかのようなオーラを放っていた。
「…え? ……誰?」
近くにいた女子が目を輝かせながらも、それがクラスメイトだと認識できないのに無理はなかった。
ゾンビさながらだった肌は血色を見事に取り戻し、もはや桃色と表わしていい程に色艶よく、マスクの下に隠れていた素顔は、目鼻立ちの乱れが一切見受けられない整いようだった。
彼は世間一般ではこう呼ばれる人種なのだろう。そう、「美少年」と。
しかし何故、江国が美少年だということに、今まで誰も気付くことがなかったのか。それはマスクに隠されていたからでも、紙よりも薄い存在感のせいで人の目に映らなかったのでもないはずだ。
昨日の園田の性器を咥え込んでいた江国は、少なくともちっとも美しくなく、それどころか化け物と評したくらいだ。
それでは何故―――?
そんなことを園田が考えている間に、江国はクラスメイトの視線に晒されて戸惑いながらも、自分の席に向かって歩き、素知らぬ振りをして腰をおろした。
しばらく教室の中はざわめいたままだった。そして園田も昨日のことも、今までのことも全部忘れて、無意識に視線を江国に釘付けにされていた。異変が起きている。自分の周りで日常が歪み始めている。そんな予感が園田の頭をよぎった。
チャイムがその後すぐ鳴るまで、やはり園田は江国を見ていた。だけど、いつかのように、江国と目が合うことは一度もなかった。
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