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「次はラジオ帝都で公録だからね」
「分かった」
信号待ちで停車した外車の後部座席。
隣のマネジャーからの言葉に頷きながらふと車窓の向こうに広がる夕闇の街を独り歩いていく人影に目を留めた。
きついパーマを掛けた頭こそ派手だが、ほっそりとした長身に纏った白のワンピースの後ろ姿が道脇に等間隔に設置された街灯に浮かび上がっては翳る。
あれは智恵だ。現場でも役名で呼ばれているので正確な芸名はちょっと思い出せないが。
多分彼女は今日はもう仕事がないのだろう。闇に紛れるようにして遠ざかる後ろ姿に一抹の優越感と羨ましさを覚えた。
同時に、「白いヒラヒラした服は戦時は敵の飛行機に狙われるから着られなかった」と母親が繰り返し話していたこと、物心ついた頃には既に戦後だった幼い娘の自分にも黒や紺など敢えて暗い色ばかり着せていたことを連なるように思い出す。
娘の自分が売れっ子の俳優になって、母親の着る物も質は格段に良くなったが、その色合いは良く言えば落ち着いた、悪く言えば暗いものばかりだ。
それはそれとして、あの真っ白なワンピース、遠目には仕立てが良さそうに見えるけれど、もしかして仕事場向けの一張羅だったりするのかな?
少なくとも自分が今、着ているフランス製の青いツーピースより高価な物ではないだろう。
これは端役の俳優のギャラで手が届くような品ではないから。
いや、でも、あの彼女に金持ちのパトロンでもいれば……。
そう思う内にも白いワンピースの後ろ姿は左の曲がり角の向こうに消えた。
彼女の姿が消えた後の街灯には白い羽の虫が迂回するように飛んでいる。
あれは蛾か、それとも蜉蝣だろうか。
動き出した車が右に曲がってより広く眩い電飾の光に溢れた通りに出た。
まあ、他人のことなどどうでもいい。私は私の花道を歩くのだ。母一人子一人の家庭に育った貧乏娘がやっと世に出たのだから。
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