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ダリアの花が咲き乱れ、青い空から降り注ぐ陽の光で庭園は満ちている。
宮廷での昼食会は若い娘たちの声でにぎやかだった。そんな中、一人だけ冴えない顔をした少年がいた。
ひどく憂うつそうに椅子の肘掛けにコツコツと指輪で不機嫌な音を立てては、紅茶を飲む。
「陛下、どれかお気に召した者はおりましたでしょうか」
「…………」
まだ二十代にすぎないのに、年よりみたいなかすれた声で、人の良さそうな眉をハの字に寄せているのは少年の側近のボリスだ。彼は恐る恐る尋ねたが、少年はうんともすんとも口を開かない。
「せっかくの皇帝のお心配りでございますので、せめて一人ぐらいはお選びくださいませんと」
右から左まで並べられているのは、非の打ち所がない美女、美女、美女。
眉は弓なり、唇は果実のよう。
微笑めば男なら誰しも眩暈がするような者ばかり。
赤や桃色のドレスに蝶が花と間違えて飛んできそうな勢いだ。
それなのに少年は、涼やかな顔を歪めて見ているばかりで食指を動かす様子もない。情欲よりも食欲なのか、一緒に届けられた菓子の方にばかり手が伸びている。
「一人ぐらいと言っても……。知っているだろ? 僕が女に興味がないことは」
「そうおっしゃらず、陛下。ダンスを申し込むだけです。恥ずかしがらずにさぁ」
そう、少年の目の前には宗主国の皇帝クロードより、十六歳の成人を祝うパーティーの席でエスコートする相手として十五人ほどが候補として送られて来ているのだった。
皇帝は、少年が十六にもなって付き合っている女性もいないと聞いて気を利かせてくれたのか、はたまた息のかかった女に子供を産ませるようにとの無言の圧力なのか。憶測すればするほど背筋が寒くなる。
「そんな恥ずかしがり屋では後見人たる皇帝陛下もご心配でしょう」
「心配される筋合いはないし、僕は恥ずかしがり屋なんかじゃない」
少年は十六には見えない小さな体をさらに小さくしてそっぽを向いた。
銀髪の美少年である。
フォート国より連れてこられた娘たちは、扇で口を隠してその麗しさをささやきあっていたが、当の本人は笑われていると思い込んで、帽子を深く被り直す。
「陛下。別に何人も選べと言っているのではございません。一人だけでよろしいのです。さあ、どうかよくご覧ください。あのピンクのドレスの令嬢はいかがです? 背丈が小さいから陛下と並んでも不自然ではありません」
ボリスが丁寧に頭を下げ、重臣たちが『そうだ、そうだ』とうなずいた。すると、少年は指をクイクイと曲げて、ボリスと宰相のダブロン卿を呼び寄せるとその耳を強くつまんで低い声で言った。
「僕がなぜ女に興味がないのかは知っているよね?」
「はぁ。しかしながら――」
「しかしながら?」
その場にいた全員が息を飲む。落雷の兆しだ。
「僕は男じゃない! 女だ! 服を脱いで見せてやろか!」
ジャケットを脱ごうとした王に臣下二人は大慌てで両手を振った。
少年は、ナーラス国王アンリ二世。しかし本当の名はリリアーヌという。
双子の弟が亡くなった後、国が宗主国であるフォート帝国に接収されないようにと、半ば無理矢理すり替わらせられて、はや三年になる。
背の小ささは病気で発育が悪いから、外出しないは病気だからと、宮殿の外どころかその一角からまったく出ていない。
会議にも出ないし、視察も、遠駆けもしない。
もはや軟禁状態だ。それが珍しく、外出を許可されたと思えば、女を選べだという。呆れてものが言えない。
「ボリス、お前まであいつらと一緒になって」
「申し訳ありません」
ボリスは汗をハンカチでぬぐう。無理もない。アンリと重臣たちの板挟みで困っていたのだろう。アンリに言わねば、あとで宰相のダブロン卿から叱責されて、悪くすると王の側役を辞めさせられる。
「陛下、どうかご辛抱してください。この国の存亡に関わることなのです」
アンリは藩国王に過ぎない。皇帝の意向には逆らうことはできないから、このままもし、クロードの意向を無視し続けたらきっと正式な妃を送ってくるだろう。そうなれば今までのようには行かなくなるし、女だとバレる可能性も大きい。
「あの、それででございますが――」
ボリスは上目遣いでいう。
「あの、またイケメン護衛隊を作ったそうでございますね……宰相閣下が渋い顔をされておられました」
「別にやましいことをしているわけではないし、豚みたいな護衛官なんてごめんだ。宰相はそんなことまでお前を通じて説教するのか」
「誤解を招くようなことはされぬ方がよろしいかと……」
「誤解? それはどんな誤解だっ」
「あ、いえ……」
むすっとした王。
どうせ王の趣向の話だろう。
別にいいさと思ったが、やはり腹が立つ。
もっぱら噂の相手である護衛長のマクシムに持っていたステッキを乱暴に投げた。それを見事に白い手袋をはめた手で受け止めた男の可愛くないところといったら、どうして自分と恋仲だと噂が立つのかと分からない。
「そういうことにしたいならすればいいさ。僕は島に戻る。島で閉じ込められていた方がどんなに幸せか」
アンリは普段、巨大な池の真ん中にある小さな館の中で暮らしている。そこにほぼ監禁状態だが、出て行く気にもなれない状況だから別にいいと半ば拗ね気味に思っていた。
「クロードも他人の女の世話などしていないで、自分が妻を娶ればいいのに」
「忘れられない方がいるのでしょう」
「馬鹿な男だ。死んだ人間をいつまでも想っていても仕方ない。そうだ。僕がクロードに妻を世話してやるというのはどうだろう?」
「陛下……」
「王族の娘がいいだろうね」
ボリスは暗い顔をした。
「人には誰しも触れられたくない場所というものがあります。皇帝陛下に婚礼の話をされれば、逆鱗に触れ、またどのような災いが起こるかしれません」
「僕は飾り物で、本当のこの国の支配者はクロードだってことぐらいは知っている。僕はただ……。僕にだって触れられたくない場所があるんだ。なんで奴に女の世話をされなきゃならない? 王として、一人の人間としての僕の誇りは?」
「御心中、お察し申し上げます」
「それとなく意向は伝えておくように」
「かしこまりました。それでなんとお断りすれば……」
「僕は男色だ、とても言っておけ」
アンリはため息を飲み込んで唇を噛みしめると、そばに落ちていた石ころを池に向かって投げた。狙っていたとおり、大輪の睡蓮に直撃してその清い花弁が無残に散る。
「この池は埋めよう。見ていると腹が立ってくる」
「皇帝陛下にお伺いを立てませんと……」
「これは僕の国の僕の庭だ。明日には取り掛かれ」
珍しく強い語気で言った王にボリスは身を縮めて主命を受けたが、この池は決して埋め立てられることはないだろう。
弟のアンリとすり替わる前のリリアーヌが愛したこの池は、その許嫁であった皇帝クロードが莫大な資金を費やして掘らせたものなのだ。
彼女が十三で亡くなり、三年経った今でも妻を娶らないクロードの様子から、この池を埋め立てれば、どんな恨みを買うか分からなかった。請け負う者などいない。
そんなことは十分承知しているはずなのに、癇癪を起こしたアンリは怒り足りず、臣下たちの横で、赤子ほどの大きさの庭石を、袖を引きずりながら運んできたかと思うと両腕で頭上まで担ぎあげて池に放り投げた。細い腕はどうもそういう仕事には不向きだが、誰もそれを止めることはない。
「僕は王になんてなりたくなかった」
彼は池に向かって叫んだ。
「お前たちがみんな嫌いだ。みんなお前たちのせいだ!」
叫ぶと涙が出てきて、もっとそうしたかった。それは遅れた反抗期なのか、女性特有の不安定な情緒なのか分からないが、とにかく苛立ちを止められなかった。
臣下たちは、そんなアンリを早く池に浮かぶ小さな宮殿の中に入れてしまおうと大急ぎで舟に乗せる。
「急げ、マクシム」
ソバカス顔のボリスが舟を出させたのと同時に、アンリは小舟の上から首を飾る白いタイと手袋を丸め羽を休める鴨めがけて投げつける。
「くそっ!」
「陛下……」
「なんだ、その目は、マクシム。男が『くそ』ぐらい言って何が悪い!」
「ご身分に触ります」
宮廷一のハンサムは、女のように顔をしかめる※。皺一つない濃紺の制服に、三角帽を被り、剣を帯びれば、女なら誰もがため息を吐くだろう。しかも金髪の青眼。銀髪の美少年、アンリ二世の横に立って耐えうる人物は彼しかいない。
「さあ」
マクシムが静かに両手を広げた。
そしてマクシムは反則なまでに優しい。罵倒しても拳で殴りつけても、甘んじてアンリの苦しみを受け入れてくれる。
「さぁ」
アンリは唇を震わせ。こぼれそうな涙をこらえて、「ほっといてくれ」と言ったのに、マクシムの方から近づくと王を抱きしめた。睡蓮の咲き乱れる池で、二人の男が抱き合うなどは許されないというのに、マクシムは平気でやってのける。
「また噂になっても知らないからな」
「かまいませんよ、リリアーヌさま」
人がいないときは決まって彼はそう呼んでくれた。
アンリは彼の胸の中に閉じ込められると、その鼓動の音に安心して、止めることができずにいた怒りがゆっくりと静まっていく。
「苦労をおかけしております」
マクシムは、そっと水面に手を伸ばすと睡蓮を摘んでアンリの手に乗せた。
女の子扱いは久しぶりだった。アンリはふんわりとした笑みを頬に浮かべると、それを髪の毛に挿そうとしてはたと手を止めた。
短い髪に何をしようとしていたのか――。
アンリは自嘲すると、花をぽいと池に投げ捨てた。ちょうど小舟は岸にたどり着き、マクシムが先に降りて手を差し伸べる。
「もういい。下がれ」
小島に着くとアンリはもうマクシムを見なかった。
もう少しだけ一緒にいて欲しいなど口が裂けても言いはしない。
それはアンリの王としての意地であるし、人としての最後の砦で、かんしゃく持ちで幼い王という周知事実の前で、少なくとも一人でも平気なのだと意思を示したかった。
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