消えた花嫁は男装の王

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12  アンリの学友は奨学生のジャン十八歳と、スパーナ国の王太子リカルド十七歳、エドモンの弟ルイ十三歳の三人である。  ジャンは奨学生でいい人だけれど、お目付役をクロードに言いつけられているせいか他人行儀だった。ルイはカエルを懐に入れてアカデミーに持ってくるような子供なので、自然とアンリは身分も近い王太子のリカルドと気があった。  金髪の髪にチェスナッツ色の瞳チャーミングな人で、大人の前では『人当たりのいい青年』を演じているが、まぁ、いわゆる『遊び人』でキザな男である。女であれば口説くのが礼儀だと思っているらしく、学食のおばさんから学校の前をたまたま通りかかったご婦人まで平等に声をかける 「俺は、レディたちを賞賛しているのであって、口説いているんじゃない。例えば『なんて素敵な瞳だ』っていうだろ? それは瞳を褒めているだけの話だ。それなのに女は勘違いして俺が告白でもしたかのように受け取る。それでダンスを断りでもすると『嘘つき!』って平手打ちしてくる。理不尽だと思わないか」 「うーん。よくわからないな。文化の違うもあると思う。フォート人は恋愛に関してとても真剣に考えている」 「そう言われれば、そうだ。奴らは貞操観念がやたら強い。ナーラスではどうなんだ?」 「フォートの支配を受けるようになってからは完全な一夫一妻制だし、道徳を学ぶことは国民の義務になった。僕はいいことだと思っている」 「ふーん。面白くないね」 「スパーナ人には生きにくい世の中だね」  リカルドは笑い、いつかスパーナが世界を征服したら男のための世界をつくるのだと冗談を言って、ニアニアとアンリの腕を肘で突く。 「ところでアンリ、お前は誰か好きな女とかいないのか」 「知っているだろ? ずっと軟禁されていたって。好きな女どころの話じゃなかった。でもセレナがおせっかいを焼いてくれているからそのうち見つかるかもな」  アンリは男を演じ慣れていた。  演じるために、『男の会話入門』という授業を国で受けさせられたこともあるし、人の話を引き出す技も習得している。でもそんな小細工はリカルドには必要ない。何しろ学校の廊下で鏡があれば必ず止まり自分をチェックするような人だから、アンリの話の揚げ足を取るほど一生懸命聞いてはいなかった。 「この後、街に繰り出さないか」 「陛下と夕食の約束をしているから無理だ」 「ほんの二時間だけさ。それから帰ったって十分間に合う」  学食に着いたアンリは、中を見た。  真っ白なテーブルクロスのかけられた長テーブルがいくつも並ぶ学食に着いた二人は一般の学生と同じように席をつく。遠巻きに見られている気がするのはたぶん気のせいではないだろう。やっと一人だけ勇者が現れたと思うと、ジャンだった。 「ご一緒してもよろしいでしょうか、陛下、殿下」 「さっさと座れ、平民」  ジャンは、クロードに湖でわきまえなかったことを叱られたのが未だに懲りているのか、宮殿の廊下でするような大業なお辞儀をした。学校で特別扱いされるのを嫌うリカルドはわざと横柄に言いながらもジャンのために席を空けた。 「授業はどうですか、アンリさま」 「フォート語で難しいことを言われると分からなくて、ついていけるかどうか」 「分からないところは遠慮なく聞いてください。おれの去年のノートやテストも探して持ってきます」 「ありがとう」  そこに下級生たちが食事を運んできた。ここは年功序列でちびになればなるほど雑務に追われる。出されたのは王族用の特別食で一般生と違う。それでもリカルドは渋い顔で肉を見下ろした。 「これ食えんの?」 「は、はい……」  ため息混じりの王太子。他のテーブルを見ればアンリたちのよりも三品少ない二品で、パンと豆の煮たものだけだった。アンリは目の前に座っているジャンを見た。食事を頼む様子はない。水だけもらうとアンリに微笑む。 「どうかオレには気にせず食べてください」  アンリは初めて身分の違いというものを実感した。  肉が出ても文句をいう王侯貴族がいる一方、世の中には食事を抜かなければならない人がいる。 「もしよかったら半分食べてくれないか。実は帰りにリカルドと一緒に何か食べて帰ろうって話をしていたところなんだ」  リカルドは何も言わずに肉をジャンの前に置いた。 「これを食え。オレの口には合いそうにない」  意地悪な言い方だけれどもそれが優しさであることをジャンだって分からないはずはない。ただ少し考えて、『妹に持って帰ってもいいですか』と恥ずかしそうに言った。 「そんなもん持って帰るな。帰りにアンリが先輩たちに敬意を表しておごるって言っているから、それでいいだろ」 「そうなんです。そういう話で。まぁ、とりあえず腹八分目でこれを食べて午後の授業に備えましょう」  アンリはずっと自分は不幸だと思っていた。  男装させられ、どこにも行けない不自由な身で臣下たちを恨んでいた。けれど、食べるものにも着るものにも困らず、お腹が空いたことなど一度もない。食後は必ずと言っていいほどケーキを食べる。食べて寝ているだけでは贅沢ではないと思っていた。 「我が国の農夫の平均年収は約三千ルオである」  そんな午後の授業を聞いて、アンリは放課後、図書館で新聞を開いてみた。  緑色のガラスのランプが備えられたマホガニーのテーブルに新聞を広げ、求人欄を探す。家政婦は月一日休みで十五ルオ。家庭教師は二十五ルオ、食事付き。アンリの普段きているジャケットだって三千ルオより高い。アンリは高い天井を見上げた。大きなシャンデリアが吊され、アーチ型の窓からは光が差し込む塵がキラキラと光ってきれいだった。  ――フォートはナーラスより豊かだから、ナーラスはきっともっと大変なはずだ。  アンリは経済について書かれた本を二冊棚から見つけると、今日一日、ずっといるのかいないのか分からないほど静かにアンリを見守っていたマクシムに本を手渡した。 「借りる」 「かしこまりました」  マクシムはここのところ浮かない顔をしていた。故国で、池の真ん中の小さな島で暮らしていた頃の彼は明るく、冗談もいうし、無礼な口もきいた。しかし、フォートに来てからは任務にだけ忠実でアンリと距離を置いているように感じる。何かあったのだろうか。 「陛下。そろそろ行きませんとご学友たちが馬車でお待ちです」 「分かった」  アンリは図書館を出ると、本を抱える護衛官を振り返った。 「何かあったの?」 「何か、ですか?」 「最近笑っているところを見ていないから」  マクシムは少しだけ目尻を下げて嬉しそうにすると、アンリの靴紐を膝をついて結び直した。 「異国に慣れないだけです」 「そうか」  アンリは跪いたままのマクシムの肩に手を置いた。 「僕は鈍感だから人の気持ちをなかなか察せられない。マクシムには苦労ばかりかけてしまう。何か願いはあるか」  マクシムは首を振った。 「陛下が偉大なる王として再びナーラスの地を踏まれるようになりますことを祈るばかりです」 「僕も立派な王になりたい。でもフォートに来たことを後悔はしていないよ。今まで知らなかった世界が僕の前で開けている。会ったことのない人に会い、知らなかったことを知る。それだけで僕は幸せで、いつか民をも幸せにする国を作りたいと思う」 「英邁なる陛下にできぬことなどありましょうか」  マクシムはそう言って微笑し、立ち上がった。しかし、その瞳はまだ寂しげで、開いた窓から入った風が彼の髪を揺らして去っていくのを見ると、何やらこちらまで切なくなる。そして、アンリはそんな顔をどこかで見たと思った。  ――クロードと同じ顔だ。 『恋煩い』という言葉が浮かんだ。 ――誰と?  マクシムは四六時中アンリといるわけではない。宮殿に入れば、フォートの護衛官たちもいるから交代となり、その間、彼が何をしているのか分からない。少なくとも、アンリがいつ呼んでもいいように宮殿の中にはいると思うが、そうなると女官かもしれない。 「マクシム、誰かに恋をしているの?」 「はい?」 「そんな顔をしていた」  マクシムは苦笑した。 「陛下に想いを寄せているだけです。他に浮気はしていません」 「はぐらかさないで」 「はぐらかしてなどいません」 「そういう冗談を言うから、皆から誤解されるんだ」 「別に構いません」 「ふん。心配してやるんじゃなかった」  アンリはマクシムから本を奪い取ると歩きだし、そして再び足を止めた。 「もう少し笑っていてよ。僕はマクシムの憎たらしい笑顔が好きだから」  その時のマクシムと顔ときたら、なんと言っていいのかアンリには分からなかった。とにかく驚き、呆けたかと思うと、昔のような満面の笑みを浮かべて「努力はしてみます」などとほざいて主より先を歩いた。
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