消えた花嫁は男装の王

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5 「アンリはあの塔に住んでいるのか?!」 「はい、そのようでございます」 「これは軟禁ではないか!」 「御意」  クロードは朝から激怒していた。彼の後見するアンリ二世が池の中にある小さな塔のある館で、侍女と侍従の数名に世話されるだけで暮らしていると聞いたのだ。 「俺がここに来なければずっとこのままだったのかも知れない! いや、来ても夕べ庭で出会わなければ気づきもしなかった」 「宰相が言いますには、アンリ王自身があそこに住みたいと言い出して、勝手に引っ越してしまったと――」 「馬鹿をいえ! 馬鹿を!」  クロードは、アンリが不自然なまでにおどおどしていた理由はこれだったのだと、机を拳で叩く。 「宰相のダブロン卿は信用ならない! 国全体で俺を欺き王を監禁するなどもってのほかだ!」 「御意。陛下がどれほどナーラスに寛容であられたか。それはひとえにアンリ王が玉座にいるからでございます」 「やつらはアンリを利用して、我らから利を得ようとしていた。こんなところにアンリをおいてはおけない」 「いかがされるというのですか」 「アンリはフォートに連れ帰る」 「陛下!」  そんなことをすればナーラスは国を挙げて反発するだろう。レガードはそれよりも重臣たちを一掃すべきだと説いたが、明日にも帰国するクロードは気の長い話はしていられなかった。 「留学ということでいいではないか」 「人質だと皆が思います」 「アンリは俺と同じ宮殿に住まわせる。義弟として遇して、文句は言わせない。なにより、他の国の王や皇子は我が国に滞在している者も多い。レガード。さっさと石屋を呼んでリリアーヌの墓に『リリアーヌ王女はフォート国皇帝クロードの妻にして皇后』と刻んでこい!」 「あの、それはやはり許可を得た方がいいかと」 「昨日、アンリがいいと言った。国王が言ったのだ。誰に許可を得ろと? まさかダブロンではないだろうな!」 「いえいえ、それならそれでいいのです……」  レガードはクロードの怒気に大慌てで部屋を出て行こうとした。 「待て」 「はい?」 「あの金髪の護衛官の名は何という?」 「どの金髪ですかな」  レガードはいちいち護衛官の顔まで覚えていないらしかったが、フォートから連れてきた侍女のクロエが待っていましたとばかりに口を挟んだ。 「マクシムですわ。マクシム・バロー。侯爵家の次男で剣の達人です」 「やけに詳しいな」 「マクシム・バローといえばナーラス一の美男子。女で知らない者はおりません。麗しの剣士というのがあだ名ですわ」  うっとりと侍女は手を合わせ、彼の絵が街で売っているのだと言って懐から手のひらサイズの木版画を見せてくれた。レガードがそれをのぞき込んで頷いた。 「あ、ああ。この男ですな。ああ、知っております。王がご寵愛している男です」 「寵愛?」 「いえ……。そう噂されているだけです」 「…………」  クロードは不快だった。なぜ不快になるのか分からないが、とにかくあの麗人という言葉がふさわしい男がアンリの側にいると想像するだけで我慢ならなくなる。 「マクシム・バローか――」 「いかがなさいますか」 「うむ……」  本音を言えば、さっさと左遷して辺境の地へ一生追いやってやりたいところだが、それではきっとアンリが困ることになるだろう。今ですら、世話をするのはボリスその他数名しかいない中、特に忠実な臣下を失えばきっとアンリは余計孤立化し、クロードのことを恨むだけだ。 「アンリが望む人間はすべて国に連れて行く」 「御意」 「反対するものがいれば捕らえよ」  クロードは軍を伴って来てよかったと心から思った。リリアーヌにしてやれなかったことをせめてそれによく似た弟のアンリにしてやりたい。  彼女はいつも『フォートってどんなところ? 都はどのぐらいの大きさ? 有名な大聖堂って本当に七百年も前に建てられたの?』と頬杖をついてクローとの話を聞きたがった。そして学校にも行きたいと言い、クロードが女だから入学資格はないと聞くと肩を落とし、『女だって男と同じぐらい賢いのよ』と抗議した。 「皇帝陛下」  侍従が静かに皆がそろったことを知らせる。  クロードは明るい回廊をまっすぐに歩いた。歴代の王と王族の肖像画が並ぶなか、リリアーヌの絵はひときわ美しいかった。銀髪の髪も慈愛に満ちた微笑みも、『好きなの、クロードのことが好きなの』と懸命に告白した艶やかな唇もそのまま描かれている。 「どうぞ、陛下」  両開きのドアが侍従によって一斉に開いた。中にいるのは舞踏会に招かれた来客、ではなく罪を問われることを恐れて今にも卒倒しそうなナーラスの重臣たちだった。 「呼ばれた理由は分かるな」 「そんなつもりではなかったのです! 数日のはずでした。でもそれが十日になって、一月になって。なんとなく今までずっと――」  訳の分からないダブロン宰相の言い訳をクロードは目で制すると、昨日以上におどおどとしているアンリの手を取った。 「一緒にフォートへ行こう」 「クロード……」  アンリの目には涙が貯まって嬉しさに溢れていた。 「学校にも通えるように手続きをする」 「学校?」 「ああ。ロイヤルアカデミーに入学出来るように手配する」 「でも、あそこは確か男しか……」  そこまで言ってアンリは喉が詰まったような顔をして、胸を押さえる。そして大輪のダリアがしぼんでしまったように眉を苦しげに寄せた。代わりに周りの臣下たちはなぜか安堵の表情を浮かべ息を吐いた。 「どうだ、アンリ。明日フォートに一緒に行かないか」  それは誘いではない。もう決めたことだ。それはアンリもよく知っている。少年王は八の字だった眉を今度は急に釣り上げて、十代のみの特権である無謀な反抗を口にした。 「それは人質としてですか? 王である僕をフォートに連れて行くなんてどうかしている」 「他の国の皇子たちだって皆フォートで学んでいる。フォート語が話せれば交渉に便利だし、政治学や錬金学だって学べるんだ」 「僕は……」 「ここにいたいのか。あのちっぽけな塔の中で一生過ごすのか?」 「…………」 「アンリ。俺は君のためを思っている。リリアーヌが見ることのできなかった世界をすべて見せてやりたいんだ」  アンリの瞳から怒りがわずかに消えた。  嫌だと言われても連れて行くつもりだった。それでもクロードはアンリに『行きたい』と言ってもらいたかった。手を伸ばし頬を撫で、その頑なな心をノックする。アンリもリリアーヌの夢について知らぬはずはない。毎晩のように『もしフォートに行ったら』と彼女がおしゃべりをしなかった日はなかったのだから。  クロードを見たアンリの顔は『行きたい』と書いてあった。でも言えないのは大勢の臣下の手前、国を放棄するわけにはいかないからだ。責任が若い藩国王をがんじがらめにして己の意見さえ言うことを出来なくしていた。 「なら条件を出そう。もしアンリが来るというのなら、宰相以下重臣たちを厳罰に処すのは取りやめる」 「…………」 「そして君が望む人間を一緒にフォートに連れて行くことも認める」  アンリは瞳を揺らした。 「アンリ、来てくれないか」 「姉上は……。姉上は、本当にフォートに行きたがっていたんだ。フォート語だって必死に勉強していた」 「ああ」 「僕は行ってもいいのだろうか」 「行きたいんだろう?」 「行きたい。でも行けないんだ」 「じゃ、俺は、主君を幽閉した咎で君の臣下を罰しないといけない。それでも行かないというのか」  アンリの頬が紅潮した。本来の明るい内なる感情がふつふつとわき上がっているように見え、『うん』と言いたげに唇を震わせる。 「アンリ。さあ。君は臣下を救ってやるのだろう?」 「本当に皆を処分しないでくれますか」 「ああ。『厳重』には罰しない」  アンリは悩み、宰相のダブロンを振り返った。老人たちは『うんと言え』と目配せをし、アンリはクロードに向き直す。そしてクロードは手を伸ばした。アンリはそれをしばらく見つめると遠慮がちに指先だけを重ねた。 「行きたい」 「そう言うと思った」 「クロードの国を見てみたい」 「見せてやるよ」  クロードはアンリを抱き寄せた。
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