消えた花嫁は男装の王

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8  フォードに到着したアンリはすぐに宮廷の噂の的になった。  十六歳とはいえ、実際は十三ぐらいにしか見えない美少年で、なにより皇帝が実の兄弟以上に可愛がっているとなれば、取り巻きになろうとする輩は多い  しかし、クロードは純真で傷つきやすい少年に自由な交際を認める気はさらさらなく、何人かを学友と選び、そして母方の従兄のエドモンを世話役に当てた。 「アカデミーは秋からだ。しばらくは観光などをするといい」 「はい」 「どうした? 浮かない顔をしているな」  クロードがアンリの耳をつねってやると、いつものように顔を真っ赤にさせて、今夜の舞踏会でエスコートについて相談された。男としてちゃんとやれるか自信がないから、一人で出席したいという。 「一度も、エスコートしたことがないんです」 「エスコートされ慣れている者に頼んであるから心配するな」 「ダンスもできないし、あの、背も低いので……」 「相手は背の低い子だ。並んでも遜色ない」 「…………」  改めてクロードはアンリを気の毒に思った。王でありながらパーティーに出たことがないなどあり得ない。体が弱いと言っても毎日寝込んでいるわけでもなく、十六にして初めて馬の乗り方を学びはじめたというのだからクロードの庇護心が湧くのは当然だ。 「相手は、エドモンの妹のセレナだ。おしゃまな子で少々うるさいが、気はいい子だよ。出てみれば舞踏会は、きっと楽しいはずだ。会話につまったら俺の所にくればいい。いつだって助けてやるから」  クロードはそう言ってアンリを励ました。  ところが舞踏会当日、楽しくなかったのはクロードの方だった。  アンリはセレナのドレスや髪飾りを丁寧に褒め、女が喜びそうなことを自然と口にしたおかげでご婦人方に囲まれてちやほやされていた。  ダンスも特訓したのだろう、ぎこちなさもあるけれど、時折微笑んだりしてそつなくこなす。しかも、壁の花の少女たちをたいそう気遣って身分を問わずダンスに誘うので、皆から微笑ましく受け止められた。  クロードはアンリが褒められるのは嬉しかった。嬉しいには嬉しいが「俺の所」にはいっこうに姿を現さない。さきほどからずっと視線を送っているというのに、アンリはそれに気づきもしないでマクシムと楽しそうに話している。面白くないのは当然だ。 「なにやら機嫌が悪いご様子ですね」  そんな時、話しかけるのは可愛いアンリではなく、従兄であり悪友のエドモンで、彼はしたり顔で流し目をする。 「別に機嫌は悪くない」  すらりとした長身で洒落者は、少し身をかがめると意味ありげにクロードの耳にささやいた。 「ナーラス王はなんと可愛らしいことでしょうか」 「…………」 「紅顔の美少年とはまさにアンリ二世のために存在するかのようです。しかし――」  再びエドモンがクロードを見た。 「私はどちらかといいますと、その護衛官の方がそそられますね」 「あれはマクシム・バロー。気をつけろ、ナーラス一の剣の使い手だ。力で押すと剣を抜くぞ」  冗談だったのにエドモンは笑うこともなく、アンリを見て再び「本当に可愛らしい」と繰り返す。そのねちっこい言い方はなにやら、クロードが少年に興味があるように聞こえるのは気のせいか。皇帝は睨んだ。 「何か言いたげだな」 「恋愛は自由です」 「自由なわけあるか」 「心は嘘をつけないものです」  にこりと微笑んだエドモン。やはりクロードがアンリに目覚めてしまったかのような目だ。誤解だと、クロードは言おうとしてやめた。どうせからかっているだけであるし、大げさに否定すればするほどおかしなことになるのは見えている。 「俺はただアンリを導いてやりたいだけだ」 「それこそが、愛の始まりです」  もう何もいうまいとクロードは思った。そこに運悪くアンリが来て、どうやらすっかり仲良くなってしまったらしいエドモンに「こちらにいらしたのですね」と皇帝より先に声をかける。 「ええ。舞踏会はいかがですか」 「セレナがいてくれたのでなんとか楽しくやっています」  微笑みあったセレナとアンリ。どこから見ても似合いのカップルだ。しかし、クロードはセレナの口紅が濃いことと挑発的な胸元を嫌悪した。アンリを誘おうとしているのは明らかで、女の武器を使うセレナを卑しく思った。 「そろそろお開きにするか」 「まぁ、陛下。まだ早いですわ」 「セレナ、ごらん。皆、早く皇帝が部屋に戻らないかと首を長くして待っている」  舞踏会の後、恋人たちは怠惰になり、所構わず愛をささやき始める。そんな情熱的な場所に難しい年頃のアンリを置くのは忍びないと思ったクロードはセレナが反対するのも無視して大広間を後にして自室に戻った。もちろん、エドモンもセレナも招待しない。アンリだけだ。 「飲むか」 「あ、はい。少しだけ」  酒の味を教えるのも導く者の務めだと思って、グラスを渡す。アンリは一口飲んで、美味しいと言った。飲み慣れない彼のために甘いものを用意させておいたのだ。 「気に入ってよかった」 「あの、クロードは結婚しないのですか」 「何を突然。俺はやっとこの間、念願のリリアーヌと結婚したばかりだ」 「大広間で皆の関心はロイヤルウエディングのことばかりだったんです」 「いつだってそうさ。誰と誰が結婚するだの、不倫しているだの、パーティーなんかそんなもんだ」 「そうなのですか」  クロードはワインを注ぎ足した。 「誰かいい人はいたか。いたなら次の茶会に呼ぼう」 「そんな人はいません」 「そうか」  アンリの瞳が壁にかけられたリリアーヌの肖像画に向いた。亡くなる直前、十二のときのものだ。女の宮廷画家が優しいタッチでリリアーヌの愛らしさを描いている。クロードはアンリの絵も部屋に飾りたいと思った。 「君の絵も描かせよう」 「僕の?」 「リリアーヌも一人では寂しいだろ? 横に弟がいれば慰められる」 「そういうことなら賛成です」  上手くつくろったクロードは長椅子に座るアンリの隣にかけた。そして酒に弱い少年のとろんとした目を見てなぜか胸がズキリとする。 『心は嘘をつけないものです』  エドモンの言葉を思い出してすぐに打ち消す。 「アンリ……」 「なんでしょうか」 「いや、その。なんでもない」  自分が何を言おうとしていたのかクロードは分からなかった。ただ、アンリがもっと酒を飲んでくれたらいいのにと思う。そうしたら、もっと本音が聞けて、長い間会わなかった時間を埋めることもできるはず。そしてその願いは天に通じたのか、アンリは甘い酒とチーズをあわせて喉を鳴らす。 「明日、遠がけに行こうか」 「いいですね。でも速くは駆けれません 「では宮殿の周りを案内しよう。小さな湖がある。リリアーヌの池はそれをモデルに作ったんだよ」 「シム湖ですね。それは、ぜひ案内してください」  アンリの目はだんだんと焦点が合わなくなっていった。それでも皇帝の前で酔いつぶれるなど失態を犯すまいと頑張っていたけれど、ついにはクロードの胸に頭を預けてコトンと寝てしまう。  膝の上に載せられたままのアンリの手。  微かに香る花の香り。 「クロード」という寝言。  ――何をうろたえているんだ、俺は。  アンリの細い指先が彼の太ももの肉を掴んだ。身をかわそうとしてクロードはできずに、アンリの首筋に顔を埋め『ゆっくりだ。ゆっくりとだ』と自分に言い聞かせて呼吸した。  ――俺はきっとリリアーヌが恋しくてならないんだ。  クロードはそう自分を言い訳するも、腕の中のアンリを手放すことはできなかった。控えていた侍従が消えているところを見ると、よほど自分は危ういのだろう。そっとアンリの手を膝から離そうとしてその指の冷たさに驚いた。指を絡め、そしてその甲に接吻する。  ――酔っているんだ。  まだ数杯しか今日は飲んでいないというのに、クロードはそう言い聞かせ、そのままで抱きしめるように長椅子で横になった。
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