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9
アンリが目覚めた時、すぐ横にクロードの寝顔があった。
「こ、皇帝陛下!」
どうやら、昨夜は二人して飲み潰れてしまったようだ。
カーテンの隙間から朝日が漏れている。どうして侍従は起こしにきてくれなかったのだろう。いくら義弟とはいえ、さすがにこれは無礼すぎるだろう。しかもアンリの記憶ではアンリの方が先に潰れた。
せめて皇帝が目覚める前にここから逃げなければと、アンリは巻きついているクロードの男らしい腕をそっとどかす。
「待て」
酒やけしてかすれた声。
上着の端を掴まれて振り向けば、クロードが目を覚ましていた。
「も、申し訳ありません。ぼ、僕、お酒に弱くて。何か無礼はありませんでしたでしょうか」
「無礼は――。どちらかというと俺の方……」
「?」
男の目が何か言いたげに揺らぐ。
「やましいことはしていない」
「はい?」
「いや、その、覚えていないのか」
「申し訳ありません。あまり酒が強くなくて」
「いい。いいんだ。忘れてくれ」
覚えていないという言葉にクロードがほっとした様子で胸をなでおろしていたが、アンリの手を掴むと再びその腕の中に入れてしまった。
「陛下……」
「しばらくこうさせてくれ。まだ起きる時間には早い」
「でも僕がここにいたら――」
「心配するな。侍従は知っている。着替えも持ってくるだろう」
「陛下、でも︙……」
「もう喋るな。それに俺のことはクロードと呼べと言った」
アンリはだからされるままになっていなければならなかった。属国の王とは皇帝に忠実でなければならない。アンリの場合、国でさえ微妙な立場であるので、後見人のクロードに見放されたら、生きていける場所すらなかった。
「命令だ。黙って寝ていろ」
命令とまで言われたらそれまでだ。
アンリは目を瞑ったが眠れそうにない。そもそも大きな長椅子とはいえ、背の高いクロードと二人というのは狭すぎる。背中と体がくっついて腕は先程と同じように首に巻きついたままだった。
「分からない、どうしたらいいか――俺は――どう――したんだろ」
寝言だろうか、苦しそうにクロードが言った。腕の力が痛いぐらいにぎゅっと入る。
――リリアーヌが忘れられないの?
リリアーヌの死の責任を感じているクロード。それは愛ではなくて後悔なんだと教えてあげたかった。『リリアーヌ』が死んだのは彼女が十三歳の時。いつだってクロードは子供扱いで、事実リリアーヌは子供だった。憧れと恋の違いも知らない少女をクロードが本気で愛していたとは思えない。ただ可愛いと思い、穏やかなナーラス王家の家族として迎えられたいだけに見えた。
「リリアーヌはあなたに幸せになって貰いたいと思っている」
聞こえていないと分かっていながら、アンリは小さく呟く。ウエディングドレスを夢みて人形にドレスを着せた幼い日々を思い出した。手作りしたティアラはまだ捨てられずにとってある。それでも、アンリはたとえ自分が幸せになれなくても、せめてクロードには明るい家庭を築いて欲しかった。
「黙っていろ」
しかしクロードはアンリの口を塞いだ。まだ眠っていなかったのだ。言い訳しようと思ってジタバタすると、今度は彼の足が押さえつけるようにアンリの足に絡みつく。小さな体はもはや動かすこともできない。
「もう一眠りだけさせてくれ。昨夜は全然眠れなかったんだ」
懇願にような声でクロードは言った。
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