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先輩に連れられて旧校舎を歩く。どこもかしこも人はいない。まあ、既に使われていない校舎にわざわざ来る物好きはいない。俺と先輩以外は。
「あれ、そういえば俺は今日どうしてるんですか?」
「ああ。坂下くんは、今日は風邪で休んでるんだって、順が言ってた」
「そうですか……」
俺は休みなのか。まあ、こんなところこの年の俺に見られたりしたら、ややこしいことになってるだろうからよかったけど。
「せっかく坂下くんに渡したいものがあったんだけどねー」
渡したいもの? もしかして俺が今持ってる時計のことだろうか。
「あの、先輩……」
時計のことを聞こうとしたが、できなかった。
「きゃっ」
「あ、危ない!」
先輩が何かにつまずく。俺は慌てて支えた。
「……はあ、よかった」
「……坂下くん。もう、大丈夫、だよ」
「あ、すみません」
俺は先輩から少し離れる。先輩を見ると、頬が少し赤くなっている。気まずい空気。でも、さっきまで俺に近づいたり手を掴んだり、それに高校時代はしょっちゅう人の頬を突っついたりしていたのに、ちょっと体を支えたくらいで顔を赤らめるなんて。
高校の時に見ていた先輩は、いつものほほんとしていて、どこか余裕そうな感じに見えたけど、今の俺から見たら普通のどこにでもいる少し大人ぶった女の子だった。
「坂下くん、ちょっと太った?」
先輩がニコニコ笑う。
前言撤回。先輩はやはり先輩だと思った。こんな気まずい空気をいとも簡単にぶち壊せてしまう。先輩の、こういう程よいいい加減さに俺は何度も救われた。
「ね、十年後の坂下くんって結婚してるの?」
「また唐突ですね……」
「まあまあいいじゃない。それで?」
うーん、これって答えてよいものか。
「してませんよ」
俺は結局正直に答えた。先輩が興味深そうな目で俺を見る。
何だか居心地が悪い。
「それじゃ、彼女は?」
「……いません」
「へえー、坂下くん、モテそうなのにねー」
心底意外そうな顔をする先輩。少しズキリと胸が痛む。
「モテるっていうのと、その人を好きになるのとは別問題でしょう」
「あ、否定しないんだ」
「あのねえ」
先輩がずっと好きだった。確かに先輩の言うとおり、告白されたことは何度かあった。けど、どれも全部断っていた。
「それじゃあ、好きな人は? いないの?」
「……」
さすがに、これは言えない。俺が言うことじゃない。
「なんて、困らせちゃったね。ごめんね」
「別に謝らなくても……」
また何か気まずい空気になった。先輩が好きだって言えたらどんなにいいだろう。
でも、少なくともこの俺が今この目の前にいる先輩に言うのは違うと思うから。
「坂下くん」
「はい」
先輩が俺を見る。俺も先輩を見る。
黙って見つめ合うこと十数秒。
「……ううん、何でもない」
「……はい」
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