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一章: 異世界、湖、ラブ・ハプニング
一話: 異世界、湖、ラブ・ハプニング
それは、童話チックな森の中。
彼女は裸で抱き締められていた。
黒髪黒目、中肉中背。何処にでもいるような平凡な女を抱きしめる男は、銀髪碧眼、引き締まった長躯の持ち主である。
その人物は、女が水浴びをする湖に、唐突に現れた。
そして何故か、今現在裸で抱き締められている。
(な、何が、どうして、こうなって……?)
当然、後ろから抱き締められて、その唐突さに驚いたし声も上げた。
上げたら、何故か唇を唇で塞がれて今に至る。
背中から抱き込まれた形で、青年の引き締まった肉体がぴったりと寄り添っている。
青年が持つのは、精悍さが勝る美しい容貌に似合いの、無駄を削ぎ落としたかのような機能的な身体だ。
その長い腕に、拘束されるように後ろから抱き締められていた。
恩人……いや、恩狼、と表すべきだろうか。
ともかく、女の窮地を救ってくれた筈の狼が湖に来たのは先程確かめた。
絵本の挿絵そっくりな、青銀色の毛並みを持つ立派な狼。
生存を確かめてホッとして、僅かに目を離した隙に……。狼と同じ瞳と銀髪を持つ美丈夫に襲われるに至る。
(な、何で絵本の世界に白銀さんが……)
彼女が何より驚いたのは、そこだった。
余りにもその姿は彼女が今片想い中の男性に似ていた。とある理由で教師と教え子……そんな関係になった、仕事上の関係者。
低く柔らかい声、触れた指先、ふとした時に香る匂いや、冷淡にも見える整った顔立ち。全てが好きな人と同じだから、そこに違いを見つけられないから、彼女は混乱しながらもこの拘束に嫌悪を感じる事が出来ない。
(ううん、白銀さんじゃない。間違っても真面目なあの人が、こんな弾けた色に染める訳がないわ……大体、こんな事をする程、好かれてる訳もないし)
別人だと思うのに、全てが彼を思わせるから、身体は素直に喜んで彼を受け入れる。
……現実では、こんな事など起きようがない距離感、だからこそに。
痛い程ではない、だがしっかりと、逃れられない程度の強さで腰を掴まれ、ぐっと抱き寄せられる。
首筋に触れるのは彼の頬か、はたまた唇か。
初夏を思わせる森の中、冷えた湖の水を浴びて冷えた筈の体が、彼の体温を移したかのようにどんどんと上がる。
本当に、どうしてこんな事になったのか。
彼女は必死に、記憶を浚う。
(私は、いつも通りに近所の境内のベンチで休んでた筈で)
その間にも、節だった男性の長い指が、女の体を這う。
(なのに、気がついたら森の、中にいて)
輪郭を辿るよう、羽のように触れる指先は優しくて。
(すぐ近くに熊がいて……『あの人』 と似たようないやな目をした怖い熊に、襲われて)
熱い息を零しながらも、現状を受け止めきれない彼女は、記憶を辿っていた。
(……食べられる、って思って)
彼女は現在、夢を見ている筈だった。
それにしては随分と刺激的過ぎるし生々しい感触がする鮮明な夢だが。
(淫夢、ってやつかしら。私、欲求不満なの?)
とある理由で大学中退から、約五年。彼氏ナシで過ごしている寂しい日々だが、そもそも性欲が薄い彼女には、こんな夢を見る理由が思いつかない。
(まあ、確かに……恋はしてる、けど)
与えられる刺激にぼんやりと霞む頭を振って、彼女は状況把握に努める。
(やっぱり、これは夢だわ。だって、あんまりにも私の知る童話のお話と、状況が似すぎているし)
ちょっとうたた寝していた隙に、鬱蒼とした森に拉致られました、というのもおかしなもので。
(何度も読んだシーン、それもお気に入りのシーンだもの)
冷たい水の感触と対比するような熱い彼の肌。
震えながら怯えながら、彼女の頭は未知の甘さにぼんやりと霞んでいく。
(私は魔女じゃないけれど……花畑で熊に襲われていたら、ジルバーそっく りな青銀の狼に助けられたわ。さっきあった事は、まるで絵本の通り……だもの)
必死に声を押し殺し、思い人そっくりな銀髪の青年に与えられる熱に抗いながらも、これは夢だと、そう思い込もうとして、失敗して。
結局、この疑問に辿り着く。
(ああ……本当に、どうしてこんな事になったんだろう?)
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