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2023年3月31日
午後12時16分
地広見駅にて、空見村駅行きのそらみ線に、ヒロトは乗車した。
ヒロトは、今日で廃線となるそらみ線に乗るため、カワシの隣に位置するマトヤからやってきた。
空見村から地広見に戻ってきた電車に乗ろうとした時、老人が1人、杖をついてゆっくりゆっくり降りてきた。
「大丈夫ですか。」
「ああ、ありがとう。」
今日で廃線ということで、今はもう誰もいなくなってしまった空見村に、かつて住んでいた人々や、その子孫達が再び訪れているらしい。あの老人もその1人なのだろうか。昨年、親しかった祖母を無くしたばかりのヒロトは、歩くのもおぼつかない老人に手を貸さずにはいられなかった。
窓の外を、田園風景が流れていく。
祖母も、同じようにこの窓から景色を眺めたのだろうか。
ヒロトは、写真を取るのが趣味だ。
本格的に入れ込んだのは高校で写真部に入ってからだが、幼い頃から両親の携帯電話を借りては写真を撮っていた。小学6年の年の誕生日に小さなデジカメを貰った時はとても嬉しかった。どこへ行くにもカメラを持って行って、目につくものなんでも撮った。
今、ヒロトは大学生。写真にするものも変わったし、持っているカメラもあの時のデジカメよりずっと性能も優れた本格的なものだ。
たくさんたくさん写真を撮ったが、どのSDカードにも、祖母の写真は必ず保存されている。
昔から、おばあちゃんっ子だった。
祖父はヒロトが物心着く前に亡くなってしまったので、ぼんやりと会ったことあるかもなぁぐらいの記憶しかない。
祖母の住む家が、ヒロトの住む家と近かったこともあり、両親の仕事が忙しい時は、祖母の家に預けられ、学校もそこから通った。
祖母は、時々、生まれ育った故郷の話をヒロトに聞かせた。
「隣の、カワシの北端に、空見村ってところがあってね。小さい村だったけれど、その分人の繋がりが強くって…。良い村だったんだよ。」
今はもう、住む人がなくて、なくなってしまったけどね。
空見村で過ごした、家族や幼なじみとの思い出を話しては、祖母は最後に必ずそう話を締めくくった。
懐かしむような、寂しそうな顔をしていた。
(ばあちゃんの破った約束って、なんだったんだろう…。)
「約束をね、ばあちゃん、破っちゃってるんだ。」
空見村の話をする時、祖母はたまにそんなことを言っていた。どんな約束だったかは教えてくれなかったけど、誰と約束したのかは話してくれた。
「幼なじみの、男の子とね。私の家族が空見村を出る時に、寂しくって、彼が泣きそうな顔してるの見たら、もう二度と会えないきがしてきて。……でも、どうだったろう。別に彼は泣くほど悲しんでなかったかも。いけないねぇ、歳をとるといろいろ忘れてしまって…。」
「……ばあちゃん、好きだったの?その幼なじみの子。」
さぁ、どうだったかねぇ?
なんて、祖母は笑っていた。
ほんとのところは分からないけど、その幼なじみの男の子の話をする祖母は、とっても楽しそうだった。
病気して、入院してからは、特に空見村の話をすることが多くなった。もちろん、このそらみ線の話も。
空見村駅の小さな駅舎に、よく村の子達と遊びに来たのだという。
「ばあちゃんの、秘密の落書きがあってね。駅舎の角の長椅子の…背の裏だったかねぇ…。とにかく、見つからないだろってところに。尖った石探してきてね。……懐かしいねえ。」
ばあちゃんは、10歳の時に家族と空見村を出て、カワシ地方を離れ、隣に位置するマトヤ地方へとやってきたそうだ。そらみ線に乗って、空見村から地広見へやってくる車内で、遠ざかっていく生まれ故郷を思って祖母は窓の外を見つめながら泣いた。
「そんだけ悲しんだくせに、約束守らなかったんだから……。ほんとに、私ったらねぇ。」
(ばあちゃんが約束した幼なじみ、今どうしてるんだろうなぁ。)
元気に生きているのだろうか。
祖母と同い年の少年だったと言っていたし、それならかなり高齢だ。もしかしたら、祖母との約束なんて、もう忘れてしまっているかもしれない。
(……さっきのあのじいちゃんが、その人、だったりして。)
まぁ、無いなとヒロトは思い直す。
ふと、ヒロトの座っている座席の隅にちょこんとクマのストラップがあるのに気づいた。
誰かの忘れ物だろうか。
なんとなく、カメラを向けるが、今写真にするには、何かもの足りない気がして、写真を取らずにカメラを下ろした。
そらみ線が廃線になると知ったのは、祖母が亡くなって割とすぐのことだった。
なんとなく、祖母の生まれ故郷について調べてみた時に知ったのだ。
「そらみ線はね、お空と大地を繋ぐ電車なのよ。」
祖母はそんなことを言っていたのを思い出した。
どういう意味なのかは、深くは聞かなかったけれど、なんだか祖母が、ほんとに逝ってしまうまえに、空見村へ破ったままの約束を果たしに向かうような気がした。
それに、きっともう、誰も行かない駅だ。
無性に、写真に残したくなった。ばあちゃんの秘密の落書きも見てみたい。
だから、ヒロトは春休みの終わりに、わざわざマトヤからやってきたのだ。祖母がかつてよく遊んだという空見村の駅舎を撮りに。
「次は、空見村〜、空見村〜。お出口は……」
駅に降り立つ。
自分と同じように、カメラを携えた人も何人かいた。
人が避けたタイミングを測って、カシャッと1枚。もう1枚。
駅舎に入る。
ぐるっと見回して、隅にある長椅子へ向かう。じっくり椅子の背の裏を見てみても落書きらしきものは何も無い。だけど、この椅子のどこかにあるはずだ。注意深く長椅子の周りをぐるぐる見回って、
「あ。」
見つけた。
長椅子の、肘置きの裏側。
小さな相合傘の下、拙い字で2人分の名前が掘られている。
『イワオ カズコ』
ばれちゃったねぇ、と祖母の声が聞こえた気がした。
「…ちゃんと、残ってたよ。ばあちゃん。」
ヒロトはカシャッと最後の1枚を撮った。
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