キスのソノサキ。 ~俺はお前とキス以上がしたい~

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【 this year 】 カチッ。 時計の針が、17時59分を指した。 ーーー来る、奴が。 俺は急いでパソコンの開いていた画面を閉じようと猛クリックをする。 つーか、あれだ。ひとつずつ閉じなくても、一気に閉じれる方法あったよな、あれどうやるんだっけ。 焦っていた俺は、そんな初歩的なことにも気づかずにひたすらマウスをクリックしていた。 定時の18時まで残り10秒。 よし、残りひとつ、これを閉じたら今日の業務は終了だ。 カチッ!とすべての画面が閉じられたことを確認してすぐさま終了ボタンを押した。 その直後。 バンッ!と事務所の扉が開いた。 ひとりの男が、書類片手に息を切らしながら中に入ってきた。 「はーっ、はーっ!ま、間に合った!?」 「倉瀬さん。あなたまたこんなギリギリに来たんですか?」 同じ総務部の女性社員、赤井が至極呆れた顔で部屋に入ってきた倉瀬を見た。 倉瀬は、赤井に「あっ、赤井さーん。今日も美人ですね」などとセクハラじみたことを言ったあと、奥の俺のデスクまでスキップするかのノリで近づいてくる。 俺は、ブツっとパソコンの電源を落とした。 「よ~砂月!お疲れ!今月の領収書だけどさぁ、今日間に合う?間に合うよな?俺急いで持ってきたんだけど」 急いで持ってきた? 持ってくるならもっと前に来い。いつでもいいだろ、朝でも昼でも、なんなら郵送してくれたっていい。 1ヶ月あるにも関わらず、毎月毎月、月末の金曜日、定時ぴったりに1ヶ月分の領収書をまとめて持ってくる倉瀬に対して、俺は最近、うまく感情のコントロールができずにいた。 「倉瀬さん」 「おう、なに?」 「申し訳ありませんが、本日の業務は終了しました。のでそちら、今月の経費としては落とせません」 俺はちらっと倉瀬のもつファイルを見た。 見た感じ、そう多くはなさそうだ。4、5枚か。パソコンをつけ直して打ち込めば15分あれば終わるだろう。 だが、しかし。 ここで奴を甘やかしてはいけないのだ。 「ええーーー!?待ってよ、俺、遊んでたわけじゃねーのよ!?店から本社きて、そしたら営業部長に捕まって……ついでに営業事務の女子たちに囲まれてさ。仕方ないから雑談すんじゃん!?したら、この時間になってたっていうだけでさ………!!」 営業部長の山形に捕まって挨拶するのは、100歩譲って目をつむろう。だがしかし、そのあとの女性社員とのくだりは全くもって言い訳にはならない。俺は自分のデスクの荷物を片付け、鞄を持ち上げ席を立った。 「申し訳ありませんが、ルールはルールですので」 「砂月~!!なんでそんな冷たいこと言うんだよっ!!」 「冷たい?あんたが寄り道して提出が遅れた仕事の尻拭いを俺が残業してまでする理由はありますか?今回が初めてならまだしも、あんた毎月ですよ。俺が総務で経理担当になってからこの4年くらい、嫌がらせのように。わかってます?」 俺は目の前の倉瀬に向かって淡々とそう言うと、倉瀬はぽかんと口を開けたあと、みるみる表情が曇り、終いにはケンカして親に怒られた子供のようなしょんぼりした顔をした。 「ま、まーまー。倉瀬さんも、悪気があるわけじゃないですよね?ほら、倉瀬さん社員に人気あるから、本社にくると皆に囲まれちゃうんですよ。ね、砂月くん、ギリギリ間に合ったってことにしてあげない?」 赤井が俺と倉瀬の間に入り、そんなことを言う。すると倉瀬は、パッと明るい表情に戻って俺を見た。 ーーーこの会社の社員は、どいつもこいつも倉瀬圭に甘すぎる。 「砂月」 「…………。……わかりました。処理するので、ファイルください」 「!ありがとっ!あ、俺、手伝うよ!赤井さんもありがとね。先に帰っていいですよ。な、砂月?」 赤井が俺を見たので、俺は頷いた。 倉瀬は適当に椅子を引っ張って、俺のデスクの隣に座った。 「あ、じゃあ先に上がらせてもらうね。お疲れ様、砂月くん、倉瀬さんも」 月末の金曜日。総務部長の速水は家庭の事情でいつも1時間早く出社し、1時間早い17時に退社する。 そして総務部社員の赤井も、金曜はなにか習い事をしているらしくいつも定時で帰っている。 大企業ではないので、事務は速水部長、赤井、そして俺、砂月慎也の3人だけ。 営業部や企画部のあるフロアから少し離れた一室を使って仕事をしている。 「お疲れ様でした」 「お疲れっしたー!」 赤井は軽く頭を下げて、部屋から出ていった。バタンと扉が閉まると、部屋の中は俺と倉瀬のふたりだけになる。 俺は倉瀬の後ろから回り込み、再びパソコンをつけた。 「今月は何枚あるんですか?」 「え?んーそんなにねーかな、3枚……あ、4枚かな!」 「………いつも言ってますけど、こんなの店長会議のときにでも持ってくれば済むじゃないか。それか、郵送でも……」 荷物を置き、椅子に座りながら俺がそういうと、右隣に座る倉瀬は領収書を机に出しながら、ニヤッと笑ってこちらを見た。 「なーに寝ぼけたこと言ってんだよ。わかってんだろ?俺がわざわざ月末ギリギリに持ってくる理由くらい」 「……………店長」 倉瀬は机に置いた手を、俺の右手の上に重ねてくる。すっと離そうとしたが、力を入れられて、かなわない。 「店長、はやめろよ砂月。もうとっくにお前の店長じゃねーし。名前で呼べ」 「………ほんと、勝手な人ですね、あんたは………」 倉瀬さん、と呼んだら倉瀬は笑いながら頷いた。そして俺の右手を取り、手の甲に口づける。 「…………」 「久しぶりだな。お前に触るの。先月は、トラブルがあって赤井さんも残っててふたりきりになれなかったから。俺、ギリギリに来たのに」 「バチが当たったんじゃないですか?俺に無意味な残業させようとしたから」 「……はっ、そうかもな」 手の甲に触れられていた唇は、やがて指先に触れる。人差し指と中指を、ちゅ、と吸われた。 「………っ」 「あれ?声、我慢してる?」 「………バカじゃないですか。仕事するんで、離してください」 「あ」 ばっと、俺は倉瀬の手を振りはらった。マウスを動かし、さっき急いで閉じた画面をまた開く。 「うへー。いつも思うけど、お前よく毎日こんな数字の羅列ばっかみてられんな。飽きない?」 「仕事なんで。大体あんた店長でしょ、売上管理くらいまともにしてくださいよ」 「うちの店は優秀な副店長がいますので~。あいつが全部やってくれてるし」 「……奈垣さんの苦労してる姿が目に浮かびます」 俺は数枚の領収書を、今月の処理分として入力した。 時間にして10分ちょい。すぐに終わった。 「終わりました」 「サーンキュ!砂月。ありがと!」 「じゃあ、俺はもう帰りますので」 「ーーー待った!」 ガシッっと、立ち上がりかけたところでスーツの裾をつかまれた。 俺は、無言で椅子に座って俺を見上げる倉瀬を見た。 「帰りますはないだろ。冷たい奴だ」 「………仕事は、終わったので」 「俺がどうしてここにいるか、わかってるだろ?」 そう言って倉瀬も立ち上がる。 身長はそう変わらない。同じくらいの高さで、視線が合った。 「………倉瀬店長」 「ふは、話聞いてた?店長はやめろって」 「……事実ですよね」 「そうだけど、お前に店長って言われると、何年か前のこと思い出しちまうから」 お前と、店で働いてたときのこと。 倉瀬は俺の耳元に顔を近づけると、色気の含んだ低いトーンでそう言った。
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