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俺は砂月修也もうすぐ27歳。この地域で5店舗ほど喫茶店の店を構える会社の本社で働いている。
総務部所属で、メイン担当は経理。同僚は3つ年上の赤井柚羽。上司は40代妻子持ちの速水部長。
毎日店から送られてくる売上報告や、営業の経費処理、その他雑費管理全般を行っている。
仕事はデスク仕事で単調だが、まあ不満はない。事務も4年目、すでに慣れた。
決算期はバタバタするが、それ以外は大体定時で上がれるし、店舗や営業で人間相手にするより、数字と向き合っている方が俺には向いてる。
もともとインドアタイプだし。
だが、そんな俺もこの会社に入社したばかりの1年目は、そこそこ辛かった。
何故なら、新入社員は1年目は半年~1年の間、必ず店舗で研修を受けなければならなかったのだ。
その後、研修先の店長や副店長の評価と本人の希望、社内状況をすべて踏まえた上で、正式な部署に配属される。
早ければ半年で異動だが、俺はこの研修に11ヵ月かかった。ほぼ1年だ。
当時働いていた店のアルバイトがちょうど相次いで辞めてしまい、異動するにできなかった。
あの時……
俺が働いていた店で、店長をしていたのが倉瀬圭だ。
約1年。
俺は社会人として初めて倉瀬店長という上司の下につき、仕事を覚えていくことになった。
「今日どこ行く?サ店?飲み屋?キャバクラ?それとも、俺かお前んち?」
本社を出て駅へ向かう道を倉瀬の隣で歩いていたら、そう話しかけられた。
俺は隣を振り向かないまま、答えた。
「サ店一択ですね」
「なんでだよ!お前は久しぶりかもしれないけど、俺は毎日店で働いてんだよ。やだよ、サ店なんて。アルコールもねーし!」
「……じゃあなんで選択肢に入れるんだよ」
業務も終わったので俺の口調も少し崩れる。倉瀬相手にずっと敬語でいるのは、こちらが疲れるだけだ。
倉瀬は、そんな俺の反応を見て意味深に笑う。社内の人間……いや、社外の人間にも客にも、老若男女誰にでもウケのいい笑顔で。
俺とは違い、倉瀬は根っからの接客向きの人間だと思う。
愛想もいいし、明るいし、気配りもできてコミュニケーションもとれる。
売上など数字や細かいことは苦手だけど、そんなのはそれが得意な人間がやればいい。
倉瀬のような天性の才能は、なかなか普通すぐには身に付かない。
「お前もわかんだろ?俺、喫茶店行くと自分の店じゃなくても自分の店みたいに感じちゃうんだよ。悪いとこあると直したくなるし、良いとこあると悔しくなるし。1年、店で働いてたんだから、わかるよな?」
「完全に職業病ですね。俺はもう、あんまりそういう感覚ありません。数字の羅列をみると、決算書思い出すことはあるけど」
「はは、お前も同じじゃねーか」
倉瀬は俺の背中をパシッと叩いた。
そのまま肩でも組まれそうな勢いだったので、さりげなく距離をとる。
「………倉瀬さんが、俺を総務部に推してくれたことは感謝しています」
「おう。だろ?良かったな、ちょうど総務の椅子が空いて。なかなか入れねーからな、あそこは。お前のあとに入ってきた新人は、大体営業か店舗、たまに企画って感じだな」
「みたいですね」
俺は、新人研修で倉瀬の下につき始めた頃のことを思い出した。
ーーまだ、大学も卒業したてだった。
2つ年上だった倉瀬は、当時25歳で店長に抜擢されるような逸材だった。
22、3の社会人なりたての俺から見たら、すごいカッコよくみえた。
それは、倉瀬の見た目とかオーラとか、対人態度とか、そういうものもあったけど、もっと。
もっと違う、なにか。
もっと倉瀬の深い部分を知りたくて、俺は。
あの頃、上司だった倉瀬に尊敬と合わせて別の感情を抱いていた。
*****
「で。結局お前んち、ね」
「文句があるなら帰ってもらって結構です。あ、買った食料は置いてってくださいね」
「なんでだよ!お前これ、俺が金だしたぞ!?」
「当然です。俺の今日の残業代ですよ」
タイムカード切ったあとだったので、と言ったら、倉瀬は「ぐぬぬ……」と言いながらも渋々納得したようだ。
俺は鍵を開けて中に入り、電気をつけた。
倉瀬はそのあとを慣れたように入ってくる。
「久しぶりだな、お前んちくるの」
「そうですね」
「3ヵ月ぶりくらいかぁ~?相変わらずなんもねーな。キレイすぎ。男ひとりの部屋とは思えない」
「倉瀬さんの家、やばいですもんね。俺、もう行くつもりないから」
「うるせーわ。男の一人暮らしなんて普通あれくらいなんだよ!お前んちが異常にキレイすぎんだわ」
靴を脱ぎっぱなしのまま上がり込む倉瀬に、「靴くらい揃えてください」というが最早聞く耳はもたないようだ。
俺は溜め息をつきながら、倉瀬の靴を揃えてから中に入った。
すると倉瀬はキッチンに入り込み、買ってきた食料をガサガサあさりながらこちらを向いた。
「砂月。お前休んでていいよ。あ、風呂でも入ってくれば?」
「……よくやりますね、こんな遅い時間から」
「あ?たりめーだろ。俺を誰だと思ってんの?喫茶店の店長だよ?料理くらいするわ。お前は出来合いのものに頼りすぎなんだよ」
倉瀬の説教が始まったので、俺は耳を塞ぐように、はいはいと頷きながら鞄を置いた。
「じゃあ、お言葉に甘えて先にシャワー入ります」
「うん。今日は筑前煮だぞ。楽しみにしてろ」
……うちの喫茶店では出ないやつだな。和食屋みたい。
倉瀬は店で出すメニューは当然だが、それ以外にも料理をするのがもともと好きらしい。
家に来るときは大体食材を買い込んでくる。
俺はめんどくさいので、出来合いのもので全然構わないんだけど。
しかし、料理はできるのに掃除は苦手のようで、一度だけ行った倉瀬の部屋は俺からしたら汚部屋と言ってもいいくらいだった。
………先ほどの話だと、たぶんほとんど改善されてなさそうだな。
俺はそう思いながら、着替えを手にして浴室に向かった。
「あー………今週も疲れた」
総務部は基本的に土日休みだ。今日は金曜なので、明日は休み。しかし、店舗勤務の倉瀬はシフト制のため不定休だ。
「明日あの人出勤かな……?」
飲食店は土日祝の方が大抵忙しい。
社員は大体土日は出勤している感じだ。
俺はシャワーを浴びながらぼんやりそんなことを考えていた。
ーーーなんで、俺のところにくるんだろう。
月に一度、月末の金曜日に。
倉瀬は俺のところにやってきて、一緒に時間を共有しようとする。
俺が経理に配属されてから、ほぼ毎月。
仕事でたまに店に電話をしたりして話すことはあるが、それ以外プライベートで話すこともほとんどない。
なのに月に一度だけは、俺に会うためにやってくる。
「………彼女、まだ作らないのかな………」
倉瀬はもう29になる。そろそろ30代。普通なら、結婚とか考え始める年頃だ。
出会ってから一度も、倉瀬の特定の女の話は聞いたことがない。
誰からも好かれるし、事実アルバイトや社内の女性社員なんかからも、倉瀬を狙っている女性の話は噂で何度も耳にした。
にも関わらず、それが実ったという話は聞いたことがなかった。
こんな、俺なんかに構ってる暇があるなら、さっさと彼女でも婚約者でも作ればいいのに。
そしたら。
「そしたら、俺だって……………」
こんな不毛な気持ち、捨てられるのに。
頭からシャワーを被りながら、俺は疲れきった思考を吹き飛ばすように髪の毛をかきあげた。
風呂から出たら、立派な料理がテーブルに並べられていた。
「すっげ………」
「どうだ、みたか。これくらい食え、お前は」
「……さすが、プロですね」
「はは、惚れ直したか?」
倉瀬が、米はパックごはんだけどいいよな?と言ったので、俺は頷きながら倉瀬に近寄った。
「ごはんくらい自分でやります。」
「あ、そう?んじゃレンジ終わったら適当に盛って」
俺は倉瀬と場所を交代し、レンジの前に立った。
そうしてすれ違った瞬間ーー
ぐいっと右腕をつかまれて、身体が傾いた。
「!?ちょっ……!」
「ーーーうん。いい匂い。風呂上がりの、シャンプー?もしかして変えた?」
至近距離で顔を近づけられて、俺は露骨にビクッと身体が震えた。
……ち、近すぎるだろ!離れろよっ!
段々鼓動がバクバクするのを感じながら、腕を離そうとするけど、倉瀬の力はなかなかに強い。
普段デスクワークで筋肉、体力、使わない俺と、店の中で動き回ったり、食器や調理器具を使う倉瀬とじゃ、日常での体力差が違う。
「か…………変えて、ねぇよ。別に」
「え、そう?久しぶりだから、勘違いしたかな?」
「てゆうか……倉瀬さんも、風呂、入ったら」
つかまれた腕が汗ばんでいく。
俺は、平常心を装いながらそう言った。
「そうだなー。俺だけ汗臭いのもな。じゃあ風呂借りるわ。ついでにお前の服借りていい?」
「俺のっつーか、もはやあんたのやつな……棚の上から3段目」
「はは、そうだわ。もはや、な。あ、お前は先に食べてろよ?出来立てが美味いんだから」
「わかりました。じゃあ、遠慮なく」
うん、と笑って倉瀬は歩いていった。
最初こそ、こういうとき倉瀬が風呂から出るのを待っていたが、とにかく出来立てを食え!と怒られたので、今では素直に先に頂くことにしている。
俺は、レンジからパックごはんを取り出して盛り付けて、テーブルに置いた。
BGM代わりにテレビをつけて、椅子に座る。
「……いただきます」
そう言って、倉瀬が作ってくれた夕飯を食べ始めた。
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