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「お疲れ様です、本社経理の砂月です。店長か副店長、今いらっしゃいますか?」
『あー!砂月さん!?お疲れ様ですーっ。私、上堂ですぅ』
俺が倉瀬の店に電話をかけると、ワンコールで繋がり、パートの上堂が出たようだ。
久しぶりに聞く上堂の声に、俺も懐かしさを感じる。一応昼時は避け、15時過ぎに電話をかけたが、受話器の奥はまだガヤガヤしているようだった。
「忙しそうですね、まだ」
『あっ、ええ。そうなんですよ~!なんかね、16時過ぎからなんとかっていうグループのライブがあるとかで。学校帰りの学生が流れてきててね~。あ、若葉ちゃん、そっち水お願いっ』
はーい、今いきまーす。というおそらくアルバイトかと思われる従業員の声が聞こえてきた。
俺は上堂に言った。
「上堂さん、忙しそうなのでひとまず切りますね。売上のことで確認があったんですけど、もし時間できたら店長か副店長に折り返すよう伝えてもらえます?」
『あ、そうなの?わかったわ~!今、ふたりとも休憩行っててね。そう伝えておくわ』
「よろしくお願いします。では……」
『あー健太郎くん!そっちそれ、オーダー間違ってるからぁ~~待って待ってそ、………ブツッ!』
ツーツーツーと、電話が切れた。
俺は呆気にとられながら受話器を置くと、部長の速水が話しかけてきた。
「電話、倉瀬んとこか?」
「あぁ、はい。なんか、近くでライブがあるとかでめっちゃバタバタしてるみたいですね」
「そういや、店舗事業部の杉並がそんなこと言ってたなぁ。今週の日曜まで続くらしいぞ」
「そうですか」
それは大変だ。俺は倉瀬の顔を思い出しながら、売上の件はまた明日の朝イチにでも確認してみようかと考えていたら、更に速水が言葉を続けた。
「砂月。お前、研修んとき倉瀬んとこにいたんだろ?」
「えっ?……まあ、はい」
「だったらお前、あと4日、午後からヘルプに行ってやったら?」
「ヘルプ?…………えっ!?」
俺は慌てて立ち上がった。
「いや、無理です!経理の仕事もあるし、大体俺が店にいたのって、もう4年くらい前ですよ。4日行ったところで、絶対役に立ちません。むしろ足手まといかも」
「そんなんやらなきゃわからねーだろ?奴ら、猫の手も借りたいくらいなんだ。経理の仕事は午前中にやればいい。幸い今は、月末月初でもないしな。いつもの仕事に関しては余裕だろ。待ってろ、今、店舗事業部に聞いてみてやる」
「いや、ちょっ………!」
速水は俺が止める間もなく、内線をかけた。店舗事業部部長の杉並はすぐに電話に出たらしく、速水と話をしている。
俺はハラハラしながら、速水が内線を終えるのを待った。
「あーわかったわかった、オッケー。あぁ、じゃあな」
ガチャ、と速水が受話器を置いたのを確認して、俺はひきつった顔で聞いた。
「あの……杉並さんは、なんて?」
「ああ。聞こえてなかったか?経理が回るなら是非手伝ってほしいだとよ。な、砂月。お前もたまには外に出たいだろ?イレギュラーな仕事は俺と赤井がフォローすっから、お前はヘルプに行ってこい。なっ、赤井!」
ガラッと扉を開けて今しがた戻ってきた赤井は、なんの話ですか?と速水に聞いている。
ーーー嘘だ。マジで?
俺は急に頭がガンガンハンマーで殴られているんじゃないかと思うくらいの衝撃を受けた。
*****
「あっ!砂月ー!久しぶりー!」
「お疲れ様です、奈垣さん」
時刻は18時20分。
あのあと俺は、早速今日、店に行って挨拶してくるよう速水から命じられ、自分の仕事は強制終了させられて、店に足を運ぶことになった。
裏口から中に入ると、副店長の奈垣がすぐに気付き、近寄ってくる。
「めっちゃ久しぶりじゃん!?全然店来てくれねーから~」
「すみません……」
「変わってないねー!あ、店長、今ホール出てっから呼んでくるわ」
「あ、」
「奈垣さん、誰っすか?その人」
奈垣が後ろを向いたところで、短髪にメガネをかけた男性が話しかけてきた。
知らない顔だ。
「あ、辰見。こっち、砂月さん。今、本社で事務やってるけど、研修で1年くらいこの店で働いてたことあるんだ」
「あー。明日からヘルプで来てくれるっていう。お疲れっす、俺、アルバイトの辰見っす」
「どうも……あ、明日から4日間、よろしく」
「今、早番は上堂さんで、遅番は辰見がバイトリーダーね。砂月がいる間、4日全部出るから」
辰見は軽く頭を下げると、他のアルバイトに呼ばれ戻っていった。
奈垣が俺に近寄り、こそっと囁く。
「最近辰見以外の遅番のバイトがちょっとやる気なくてさ~。辰見が学校の用事でしばらく入れてなくて、余計に。今週は辰見もいるし、砂月、お前も来てくれたから、たるんでる奴いたら叱ってやってよ、な」
「えっ?いやでも俺、店舗久しぶりすぎて……」
役に立つか全然わかんないんだけど、と言いたかったのに言えなかった。
奈垣はさっさとホールに向かい、そして数分後、店長ーーー倉瀬を連れて戻ってきた。
「よー砂月!マジで来たのか」
「………お疲れ様です」
「うん。あ、奈垣、俺ちょっと奥でこいつと話してくるから、よろしく」
「はいはい、どーぞ~」
じゃ、またあとでな、と言って奈垣が仕事に戻ると、倉瀬はにっこり笑って奥の部屋へ俺を手招きした。
久しぶりに見る、店の制服姿の倉瀬。
俺は頷きながらあとに着いていった。
「ははっ、速水さんも杉並さんもマジでウケるな。お前を派遣してくるとは思ってなかった」
「俺だってそうですよ。倉瀬さん、俺、正直役に立たないと思います。4年ぶりの接客だし……」
「あ?なにふざけたこと言ってんだよ。やるんだよ、仕事だろ。バイトの前で、社員が弱気な態度見せるんじゃねーぞ」
なめられるからな、という倉瀬は、ふたりでいるときとは違う、店長の顔をしていた。
ーーーあぁ、そういえばそうだった。
倉瀬は、俺が研修で店にいたときもこんな感じだった。
俺は新人だけどアルバイトではなく社員。そして彼は店長で。その差をちゃんと教えてくれる、ちゃんと的確なことを言ってくれる、そんな人だった。
俺は久しぶりに背筋が伸びる気分になった。
「すみません」
「おう。ま、つっても4年前と変わってることもあるからな。途中、リニューアルしてものの位置変わったし、メニューも。注文も手書きから機械になったし、レジもな、カードやらポイントやら使えるように………」
「えっ??」
そんなに変更ポイントあんの??
リニューアルのときのことはもちろん覚えている。そして、メニュー変更、売上に関わることなど、一通り俺にも社内メッセージで連絡がくるので目は通してある。
だけど、パソコンで読むだけと、実際に店舗で作業するのでは天と地の差があった。
「……覚えられるかな」
「だから弱気になるなっ。とりあえずお前明日からくるの14時入りだっけ?15時~19時がピークだから。来る電車の中ででも、メニューくらい覚えてこい」
「…………」
俺は昔の記憶を辿りながら、新しいメニュー表を渡され中を見た。
それとな、と、倉瀬がなにやらロッカーの中をあさりだした。
「4日だけだから最悪スーツでもいいって杉並さんが言ってたけど………余ってる制服あっから、ほら、お前これ着ろ、な」
「!」
バサッと衣類を投げられた。
俺はそれを手にして、倉瀬に聞いた。
「制服は変わってないですよね?」
「うん。変わってない。久しぶりにお前の制服姿見れるな」
「……そうですね」
手の中の制服に目を落とすと、人影が出来た。ぱっと視線を上げると、倉瀬がこちらを覗きこんでいる。
「な、なんですか?」
「なあ、それ今ここで着てみろよ。サイズ合うかどうか」
「え……いやでも俺、スーツですし」
「だから?」
「………汗かいてるから」
「10月だろ。暑くも寒くもないわ。いいから脱げ、着ろ。店長命令」
俺は「はあ?」と思わず叫びそうだった。
あれだけ店長と呼ぶな、と言っといて自分のホームにきたらこれか。勝手なもんだな、と思いながら、俺はジャケットを脱いだ。
「……ワイシャツの上からでも?」
「アホ。脱げ。お前、明日からもワイシャツの上から着るのかよ?」
「…………」
俺は仕方なくボタンに手をかけた。
部屋の外からは従業員の声、客の声がガヤガヤしているのに、この空間だけ封鎖されてしまったかのように静まりかえっている。
「……見ないでくださいね」
「やだ」
「はぁ?……向こう向けって、」
「だから嫌だって」
「……もういいです。俺がこっち見ます」
俺はロッカーに向き合い、ボタンを外した。
ーーーうしろから、倉瀬の視線を感じる。
そういえば………こんなこと、あったな、昔。
俺が研修でこの店にいたとき。
あのときも、遅番で、バイトも帰って、倉瀬店長と俺のふたりきりでーーー……
俺は制服に腕を通し、前ボタンをとめる。
すると、誰かが近づく気配がしたと思ったら、後ろから急に右頬をかすめるように腕が伸びてバンッ!とロッカーから音がした。
「……遅ぇよ、砂月」
背中から、倉瀬の声が聞こえる。
俺は、すぐに振り返ることができなかった。
全部のボタンをかすかに震える指で止めたあと、ようやく後ろを振り向いた。
「久しぶりだから……慣れてなくて。着替えるの」
「ふうん。ま、いいけど。どれ?サイズは?」
「……ピッタリです」
白い清潔な制服に、黒いズボンと腰周りには黒いエプロンを巻くことになっている。
倉瀬は満足したように俺を見て、襟元を正すように触った。
「スーツのお前もカッコいいけど、制服姿も似合うな」
「……それをいうなら店長の方が。本社にくるときのスーツ姿よくお似合いです。あれは女性社員が放っておかないですね」
「ふはっ、お世辞がうまいな。ほら、ネクタイ」
巻いてやるよ、と言って、倉瀬は黒いチョーネクタイを俺の首に回した。
自分でやれます、と言ったけど、動くな、と制されて。
首の後ろ側でホックにはめるタイプで、倉瀬が俺の首周りを眺めながら、触る。
「………、」
時々、指が、首筋に触れて。正直、参りそうだ。
だが、そんな場面ではない。
俺は目をつむり、ネクタイがつけられるのをじっと待った。
「ーーーよし、できた」
「……ありがとうございます」
ぱっと手を離すと同時に、俺から倉瀬が離れていく。
「うん。いいんじゃね?あとは、ズボンとエプロンな。俺、一回戻るから着替えたら出てこいよ」
「えっ、この格好で?」
「当たり前だろ。まだ夜の客いるから。つっても昼間ほどじゃねーよ。ディナーもねぇし、あとは客足もまばらだ。明日いきなり忙しい時間に入れられるよりはマシだろ。」
時計をみると、まもなく19時になろうとしていた。ラストオーダーまであと30分。20時には閉店時間だ。
倉瀬は「さっさと来いよ」と言い残し、部屋を出ていった。
ひとり、ロッカールーム兼休憩室に残された俺は思わず部屋の中を見渡した。
この店は2年前に一度キッチン周りをリニューアルしている。それに伴い内装も変えた。だが、この部屋は変わらずだ。
「マジか………」
俺は今朝普通に本社に出勤し、普通に自分の仕事をしていた。
昼もいつも通り本社の休憩室でコンビニ弁当を食べたし、帰りも仕事を定時で終わらせ帰るつもりだった。
ーーーだった、のに。
まさか、こんなことになるとは。
この間、約二週間前の月末。
倉瀬がうちに泊まったときに、店に遊びにこいと言われた。だから、そのうち寄ってみようかとは思っていた。
だけど、まさか、またここで働くとは1ミクロンも考えていなかった。
4年前。
一緒に倉瀬と働いたときの記憶が蘇る。
あの頃、俺は。
あの人に近づきたくて、でも俺はあの人のようにはなれなくて。研修も終わりかけの頃、よく弱音を吐いていた。
自分は接客に向いていない。
できれば本社で働きたい、と。
店が閉まったあと、まだ25歳だった倉瀬店長に対して、随分と失礼で情けないことを言っていた。
あの頃、まだ店長になったばかりで自分も大変だっただろうに、馬鹿みたいな俺の話を突き放すことなく黙ってきいてくれていた倉瀬に、なにひとつ恩返しすることもできずに。
あれから4年経った今でも、俺はもしかしたらなにひとつ成長していないのかもしれない。
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