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「砂月さん」
「あ、辰見くん。エプロンこのつけ方で良かったっけ?」
着替えた俺はキッチンに入って、そこにいた辰見に聞いた。
「はい。オッケーっすよ。うん、似合う」
「そう?ありがとう」
「えっ、誰ですか?辰見さん」
すると、おそらく大学生バイトだと思われるポニーテールの女子が出てきて辰見に聞いた。
「本社の砂月さん。明日から4日間、遅番のヘルプしてくれるって」
「え~ヘルプ?本社の人だったの?」
「他の店もどこもいっぱいいっぱいだろ。砂月さんは、前にここで働いてたんだって。あ、砂月さん、こいつバイトの山梨っす。まだ入って3ヵ月の新人。大学1年。男たらし」
「え?」
「やー!ちょっとバカ!辰見リーダー!なんてこというのよー」
「事実だろ。入った初日に、こいつ倉瀬店長のこと誘おうとしたんすよ?砂月さんも気をつけてください」
ーーえ?倉瀬を誘おうとした、とは?
俺はびっくりして山梨と言われた女性を見た。
……自分に自信があるのか、山梨は満更でもないような顔で俺を見る。
「だって倉瀬店長、独身だって言うじゃないですかぁ。あんなに顔面偏差値高くてコミュ力も高いイケメンなのに、彼女もいないとか寂しいかなぁと思って~~」
「……………」
……え、なにこの子。
こんな子なんで採用したんだよ。
俺が目の前の女子に頭がクラクラし出していると、「砂月!」と名前を呼ばれた。
「……店長」
「お前着替えたらさっさと来いよ!ぼけっとしてんなよな」
「はい、すみません」
倉瀬に呼ばれ、俺は辰見と山梨に軽く頭を下げホールに向かおうとした。
「……えーなんか店長、ちょっと態度違ーう。言葉遣いが荒い」
「……だな。砂月さんは元部下だから?」
「……………もっといつも柔らかい感じなの?」
俺は一度足を止めて聞くと、ふたりは頷き、少し不思議そうにそんな話をしていた。
「あ、でも奈垣さんにも当たり強いことありますしね~私たちは所詮バイトだしぃ」
「山梨。バイトだからって、手を抜くんじゃねーよ。バイト代分、ちゃんと働け」
「あー怖。バイトリーダーさんは怖いですね~わかってますよぅ」
俺は横目にふたりを見て苦笑しながら、久しぶりに店のホールに出た。
「ありがとうございました。またお越しください」
ありがとうございまーす、と言いながら、女子大生くらいのグループが、今日最後の客として店を出ていった。
俺は入り口で丁寧に頭を下げて、彼女たちを見送ると扉を閉める。
「おっつかれー!砂月」
「お疲れ様でした」
「いや、やるじゃん。なかなかよかったよ、接客。4年ぶりとは思えない」
奈垣が俺に近づき、パンパンと肩を叩いてきた。辰見と山梨もホールに出てきて、俺を見る。
「やっぱ社員の人は違うっすね」
「てゆーかさっきの女の子たち、砂月さんのこと見てましたよね~。席にいる間も、チラチラ見て話してたしぃ」
山梨が髪をくるくる触りながら話す。
辰見が「やめろ」と山梨の軽口を制した。
「いや、今の時間帯は……そんなに混雑してませんでしたし、明日フルで入ったときが本番ですよね」
「まーな。でも明日から、砂月はホール出ててもらった方がいいよな?レジは辰見と上堂さんメインでさ」
「上堂さん入るんですか?」
「うん。週末まで忙しいからさ。イレギュラーで朝から17時までいてもらうことにしたの」
そうか。それなら、確かに回りそうだ。
俺は、研修で社員として働いていたとき、シフトを組んだりする仕事をさせてもらったことを思い出した。
パズルを埋めるかのように、その日一日仕事がちゃんと回るのかどうか、考えなければならない。
「まあ、そういうことだから。明日からもよろしくな。砂月」
「はい。お願いします」
「あ、じゃあ俺レジ締めしちゃうっすね」
辰見がそう言い、レジに向かおうとしたとき、キッチンの片付けが終わった倉瀬がホールに出てきた。
「皆お疲れ!あ、辰見、レジ締めだけど今日はいいよ。俺と砂月でやるから」
「え?店長が?」
「うん。こいつ久しぶりだから、一応レジ業務も思い出させてやんねーと。大丈夫、こいつ本社では経理だから、金の計算には強い」
倉瀬は笑いながらそう言うと、辰見は「わかりました」と言った。
「奈垣、山梨。お前らも、今日はもう上がっていいよ。あと、俺たちがやる」
「えっ、店長がですかぁ?」
「いいのか、倉瀬。砂月、疲れてんだろ、今日朝から本社で、定時とっくに過ぎてるぞ」
たしかに、まさか店舗にくるとは思っていなかったので、今朝は9時にタイムカードを押したし、定時の18時からは大分過ぎている。
俺はちらっと倉瀬を見たが、倉瀬はこちらを見なかった。
「いいんだよ!残業代はつくんだから。とにかくお前ら帰れ。あ、そうだ、ちょっと型崩れしてたケーキ、持って帰っていいぞ。冷蔵庫な」
「うそ、いいんですかぁ?やったー!」
ケーキに釣られ、山梨は辰見の肩を叩きながら、「リーダー行きましょっ」とふたりで冷蔵庫に向かっていった。
奈垣はそんな様子を見ながら、俺の前に立つ。
「んじゃ店長がこう言ってるんで、先に上がらせてもらうわ。また明日な、砂月」
「はい。お疲れ様でした」
どれにしますー?という山梨の甲高い声が聞こえてくる。
俺は、奈垣を目線で見送ったあと、レジの中に入った。
「レジ締め、久しぶりだな」
「だろーな。お前がいない間に色々進化してよ。ほら、扱ってるカードとか増えててんてこまい」
「俺がいたときは、現金しか扱ってなかったですね」
狭いスペースで、倉瀬とふたりレジに向き合った。
入社した最初の頃はドキドキしたけど、今日は俺も多少図々しくなったのか、接客も思った以上に固くならずにできた。
新人の頃は、水ひとつ持っていくのに緊張していたのに。
やがて帰り支度もすんだらしい奈垣、辰見、山梨が、「じゃあお先に失礼します」と言って、帰っていった。
山梨は「店長~!ケーキありがとうございますぅ」とハートマークでも飛びそうなセリフを言いながら。
「………随分、慕われてるんだな」
ガシャン、とレジの引き出しを締めた。
無事に売上を計上できて、ひとまず安心する。あした、これを俺は本社のデスクで確認するのか。
そこで俺はふと思い出した。
「そういえば、倉瀬さん。一週間前の土曜日の売上で聞きたいことが ……」
忙しそうで聞きそびれたことを思い出して、俺はぱっと左側にいた倉瀬を見た。
すると、倉瀬は、どこか嬉しそうな顔をしながら、俺を見ていた。
「あの………聞いてます?」
「うん。一週間前の売上?なんか問題あった?」
「……ポイント払いのデータが………。って、……っ!?」
ガタッとレジの机に手が当たる音がして、一瞬目を閉じた隙に、腕をつかまれて倉瀬に拘束された。
「………店長」
「ポイントのデータ、出力したやつ見ていく?」
「……そうですね。一応、原本預かってもいいですか?」
「いいよ」
そう言って倉瀬は、俺の頭に手を添えた。
………近い。近すぎる。
離してください、と一応言ってみたけど、通じるわけがない。
「嬉しいな、少しの間とはいえ、ここでまた砂月と働けるなんてさ」
「………俺も、びっくりしてます」
「ふは、びっくり、ね」
倉瀬の指が頭から髪に触れ、俺の顎をぐっと掴んだ。
「………ん、」
「砂月。なあ」
「………なん、ですか」
「触りたい。……触っていい?」
ゾクッと、身体がウズいた。
俺が返事をする前に、倉瀬は唇を薄く開けて、俺に噛みつくように唇を重ねてきた。
従業員も客も帰った店内で。
邪魔をする者はいない。
俺は、昔の感覚を思い出しながら、倉瀬のキスを受けた。俺が倉瀬の背中に手を回し返すと、倉瀬は「ははっ」と笑ったあと、また俺に唇を重ねる。
舌を絡ませあう音が耳に響く。
「……ぁ、倉瀬、さん」
「ん………ふ、」
「……ぁ……んあ……っ」
激しく。
強く。
唇を重ね合わせていると、段々頭がぼーっとしてくる。
「はぁ………ぁ、……っ」
どれくらいキスしていたか、わからなくなるくらい。
息が切れるまで舌を絡ませあわせたあと、ゆっくり離れた。
「………倉瀬さん」
「ふっ……あー良かった。監視カメラ、電源落としといて」
「………。……えっ!?」
監視カメラ!?俺は慌てて天井を見上げるとそこには確かにカメラのレンズがこのレジ回りを写していた。
「あ、あんた……えっ?こんなのあったっけ!?」
「うん。リニューアルしたときから、つけたの。レジ回りと入り口に」
「………っ、嘘。信じられねぇ。知ってて、ここで……!?」
「世の中最近物騒だろ?社長からの指示で。あ、でも大丈夫、切ったのついさっきだし、………ほら、今また電源入れたから」
なにかあったときしか見ないし、と倉瀬は悪びれなくそう言った。
俺は、全身の力が抜けて、その場にしゃがみこむ。
「………もーやだ。もー無理」
「え?砂月?」
「俺、帰ります。明日も早いんで」
俺はすぐに立ち上がって、休憩室に向かった。
慌てて倉瀬もついてくる。
「ごめんって、砂月~。言わなくて悪かったって」
「もう二度と店で触らないでくださいね」
「えぇー……。あ、でも店じゃなかったらいいの?」
ロッカーの前に立つ俺に、倉瀬は後ろから嬉しそうな声で聞いた。
「ほんと減らず口で、調子がいいですね、あんたは」
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