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時は大正十(一九二一)年。東京日本橋にある理容店菊池では、三代目店主・菊池俊亘が何やら物思いにふけっていた。
まだ理容店が西洋床と呼ばれた明治の時代――帝国海軍の旗艦で理髪師をしていた倉ノ介が軍の歴々とロンドンに随行した。そこで目にしたヘアサロンに感銘を受け、英国式理容店を開業したのが理容店菊池の始まりだ。
髪を後ろに撫でつけ銀縁の丸眼鏡をかけ、真白いワイシャツに黒い蝶ネクタイ。銀座で仕立てたダークグレーの長ズボンに、赤茶色した革の短靴という洒落た姿で倉ノ介は店に立った。彼に憧れた客人たちが英国式のスタイルを求めて散髪にやって来たものだった。
店のスタイルはそのまま息子である二代目が守り、そのまた息子の三代目へと受け継がれた。まだ三十路を過ぎたばかりの俊宜の散髪の技術はさることながら、「俊宜が顔を剃ると二、三日は髭が生えてこない」と巷で評判になるほど髭剃りの腕は格別だ。
そんな俊宜の悩みの種は、どうやら散髪や髭剃りとは関係ないらしい。
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