退学

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退学

「安河内綾乃さんが、退学になるといううわさは本当なんですか?」 「何だね、突然。森永先生」 勢い込んだ僕に、教頭は驚いていたようだった。 「聞いたんです、その噂を」 教頭は、デスクにひじをつき、組んだ手にあごを乗せて、ため息をついた。 「……本当だよ」 「なぜ!」 「安河内くんは、期末テストをひとつも受けていないんだよ? 二ヶ月も休んだままで、一度も学校に来ていないしね。それに……なにより、彼女は、父親というバックボーンを無くした」 僕は、怒りが込み上げてならなかった。 「そうなったのは、彼女のせいじゃない! なんで、つらい境遇にある生徒を、ますます追い込むようなことをするんですか?!」 僕は、語気を荒げた。 教頭は、ためいきをひとつついて言った。 「君は、なぜそんなに一人の生徒に入れ込むのかね。なにか、理由があるのかな?」 「それは……彼女には音楽の才能があると思うからです……」 僕は、嘘をついた。 もちろん、本音は違った。綾乃の居場所がどこにもなくなるのが、怖かったからだ。 いまごろ、どこで、どうしているのか知らないが、帰って来られる場所を、用意してあげたかった。僕は、こみ上げてくる悔し涙を必死に抑えながら、そう言うのが精一杯だった。 「英語教師の君に、音楽の良し悪しなどわかるのかな?」 「わかります! どんな人の心をも打つ才能を彼女は持ってる!」 「安河内くんのピアノの成績は、確かトップテンには入っていないはずだよ」 「ピアノじゃなくて、声楽科に変えてあげれば……安河内さんの歌声は本当にすばらしくて……」 教頭は、せせら笑った。 「君は自分の立場をわかっているのかね? 変な話……君が、いち生徒に深入りしすぎているようだということは、私の耳にも入ってきているんだよ?」 僕は、二の句が告げなかった。なさけないけど、なにも言えなかった。 「それにね、父兄の目が厳しくてね。彼女をこのままエスカレーターで大学にあげると、大学の名前に傷がつくと……」 確かに、彼女の名前は、スキャンダラスすぎた。 「出て行きたまえ。これは、いち英語講師なんかの口を挟む問題ではない」 果たして、安河内綾乃は、退学になった。 そして、同時に、僕は、高校教師の職を辞した……
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