25人が本棚に入れています
本棚に追加
優しく
休憩を何回かはさんで、綾乃の仕事は、二十二時まで続いた。
僕は客席に座って、ビールを飲みながら、綾乃の歌に聴き入っていた。
綾乃が、こんなにも元気な理由がわかった。彼女は、いま、自由だ。ここでは、綾乃はただの、美人で歌のうまい日本人に過ぎなかった。綾乃の幸福を、僕は心から喜んだ。
舞台が終わると、綾乃は、ドレスから着替えて、
「おまたせ。行きましょ」
と、言った。
「どこに?」
「私のアパートメントによ?」
招かれた部屋には、ベッドのほかには、ほとんどなにもなかった。本当に、自分の身、ひとつで来たんだな……。こんなに狭い部屋、たぶん、いままでの綾乃じゃ、有り得なかっただろうな……。
そう思うと、笑いが込み上げるとともに、綾乃の勇気に恐れ入った。
交代でシャワーを浴びると、僕たちは、裸で抱き合った。
「祐介……かなり、痩せたわね」
「心配ない。ただの、恋煩いだよ」
「これからは、私が、たくさんお料理を作って、太らせてあげる」
僕は、いつだかの朝食を思い出して、笑った。
「なによ?なにがおかしいの?」
「いや……。なんでもないよ。飯は僕が作る。僕のほうが、まだましだ」
「失礼ね!なによ―――」
綾乃の口を、唇で封じた。
「黙れ。これからは、ラブリータイムだ……」
僕たちは、口づけを交わした。熱く、甘く……。舌は、次第に下へと降りてゆく。
充分に、期は熟した、というとき、
「くっ……」
と、綾乃が、顔を苦痛にゆがめた。
「え? ……もしかして、バージン?」
「そうよ。当たり前じゃない」
僕は思わず笑ってしまった。なんだよ、高倉の言うことは、でたらめばかりじゃないか!
「笑うことないでしょ! 誰だって、初めはバージンよ!」
綾乃が、僕の頭を枕で殴った。
「ごめん、ごめん。君の初めての男になれて、僕は幸せ者だよ」
「あなたは、私の、最初で最後の男よ!……優しくして」
「わかった」
そしてその晩、僕たちは、「優しく」した。
僕は、心底、綾乃が愛おしくてたまらなかった。
最初のコメントを投稿しよう!