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そういうところが人気なんでしょうね
私は今、なぜかクロウリーを見上げていた。
「会いたかったぞ、エリン」
クロウリーが私を正面から捉えている。瞳孔がくっきりと浮かび、月も逃げだしそうなほど透明感のある金色の瞳は、吸い込まれてしまいそうだ。
「わたし、ですか?」
「俺の前にお前以外の誰か居るか?」
首を横に振り「ソウデスネ」と反射的に返したが、頭の中では何も理解出来ていなかった。
“二人が校舎に向かっているから、私は正面から二人を見ている。”
冷静に考えれば当たり前なのだが、いかんせん画面越しに見ていた時間が長すぎたせいで視点へのバグを起こしている気がする。壁、もしくは空気の視点で推しカプを見ている。多分、昼休みにレオナタを目撃した時と同じ感じだろう。
バグのせいで、まさかずっと目が合っていたとは思っていなかった。
(まじでどのタイミングから目が合ってたのかわからないんだけど)
背中を嫌な汗が伝う。引きつった笑みを浮かべたまま立ちつくしていると、耳に神経が集中していく。防衛本能と言うヤツだろうか。
「クロウリー様、どなたとお話されているんでしょう?」
「お知り合いかしら?」
一部の生徒に扉の陰で私の姿が見えていないらしい。聞こえてくるひそひそ声は、クロウリーの話相手を憶測する内容が大半だった。
期待を打ち砕くようで悪いが、彼とは顔見知り程度の関係だ。見えていないからこそ期待値が上がっているのは承知だが、顔を晒したらほぼ間違いなく敵視される。このまま何事もなく会話が終わるのを待つしかなかった。
「く、クロウリー様」
「なんだ?」
「今日はなぜ学院に?」
精一杯の作り笑いで尋ねると、クロウリーは口もとを緩めた。この男、キレるとすこぶる怖いので機嫌が良さそうで何よりである。
「所用でな。一目、エリンに出会えまいかと思っていたが……会えてよかった」
「な、なるほど~?」
所用とは、おそくらルーチェを学院まで送り届けることだろう。オタクはクロウリーの視線が一瞬だけルーチェの方に向いたのを見逃さなかった。
(その所用の女の子をなんで置いて来た!? ちゃんとエスコートしてあげてよ! そしてあわよくば二人が並んでいる現場に出会いたかった!)
今日はレオナタの供給があったので、「クロルチェもほしい!」と強欲になっている。さっき見ただろって? そのまま二人で校舎に入ってたら完璧だったってことです。
それともう一つ、気になることがあった。
「あ、あの~?」
「なんだ?」
「大変恐縮なのですが……。近いです」
そう言って半歩後ろに退くが、すぐに間合いを詰められる。
(この人も距離感おかしい人種だけどさ!?)
昼休みも似たようなこと言っていた気がするが、ジャンは精神的な距離感であり、今は物理的な距離感である。
ゲームでもルーチェを引き寄せるのがデフォルトで、照れ顔を見て愉快に笑うタイプの男であった。実際照れるルーチェは可愛かったし、画面越しに美男美女を見ているのは目の保養だった。
しかし、対象が自分になると話は別である。クリスマスパーティーの時も「近いな」とは思っていたが、日常からこの距離でしゃべられると恥ずかしいを超えて気まずい。照れているだけルーチェはやはり可愛い。私だと虚無顔になってしまう。
「照れているのか?」
もう一歩後ろに下がろうとする後頭部に手が回り、頭を撫でる。
声をかけられた時から感じていたが、距離を詰められたり、髪を撫でられたりする度、クロウリーの話し相手が見えている一部の生徒から突き刺すような視線を浴びる。
視線が視覚化できるのならば、私は間違いなく串刺しだと思う。
「や、えっと……」
「愛いな」
耳元に顔を寄せ、溶けたチョコレートのような声で囁く。くすぐったくてぎゅっと目を閉じると、金色の目が三日月のように細くなった。
(てかそのセリフ今言っちゃうの!? いいの!?)
甘く囁かれた言葉は、ルーチェと結ばれた時に言っていたセリフと同じだった。ずっと本心を隠していたクロウリーが、やっとルーチェへの気持ちを口にした最初の言葉がこの「愛いな」である。あのハチミツのようにとろけた瞳で見下ろされるスチルに心を奪われたオタクは数知れず。少なくとも身内で四人は居た。
スチルありの神シーンを安売りされてしまい、白目を剝きそうになったのは仕方ないと思う。そのセリフは私じゃなくて、ルーチェに言ってください。
「お前はまだ帰らなくていいのか?」
「従者を待ってまして……」
「なるほどな」
そう言うとクロウリーが私の腕を引いた。
「では迎えが来るまで俺もお供させてもらおうか」
校舎の扉に隠れていた平凡でどこにでもいる下流貴族が白日の下に晒される。
クロウリー見たさに集まっていた野次馬が一斉にざわつく。憧れの王族がまさか下流貴族の小娘と話していたとなれば「誰よあの女」状態になるに決まっている。
(明日、教室に行ったら机無くなってるとか無いよね……?)
ひと度考え出すと、みるみるうちに血の気が引いていく。今なら体調不良と間違えられるぐらい顔面蒼白になっている自信がある。
そんな心配をしているとは彼は全く思っていないであろう。その証拠に掴まれていた腕が離れたかと思えば、すぐに肩を引き寄せられる。悲鳴が上がっているのが聞こえていないのだろうか。ミュート機能がついているならば、私のことはブロックしてくれないかな。
「誰です? あの下流貴族は」
「ルーチェ先輩ならともかく、どこの馬の骨ともわからない貴族がクロウリー様のお傍に居るなんて……」
「随分と厚顔無恥な生徒が居たものね」
正論すぎて返す言葉もないけれど、ずいぶんな言われようでワロタ。あれ、もしかしてワロタって死語かな……。化石オタクだから前世では死ぬ直前まで使ってた。
(私……もしかしてこのまま当て馬令嬢もとい、悪役令嬢ポジションになってしまうのでは)
ルーチェの当て馬かな? それならアリだな。クロウリールートでライバルなんて出てこないからどんな身の振りをすればいいのかわからないけれど、「推しカプが幸せならオッケー理論」でどうにか演じようと思う。本心を言えば、全く邪魔をするつもりはないけれど。
メンタルはぼこぼこになりそうだけど、断罪イベントさえなかったらいいよね。推しカプが引っ付いたら身を引くので。潔さはナターリヤから学んでおりますので。
今後の身の振り方をシミュレーションしていると、女子生徒のざわめきの中でもひと際目立つ男子生徒の声が聞こえた。
「なんだこの人だかり」
女子生徒たちが一斉に振り返った。そこにはジャンが物珍しそうな顔をしてこちらの様子を伺っている。
モーセの海割りのようにジャンが歩く度に人の波が引いていく。ジャンは取り残された私とクロウリーを見つけた。
「って、ちんちくりんじゃねーか」
「誰がちんちくりんなんですかね!」
呼ばれたことのないあだ名をつけられ、ついツッコんでしまった。私の態度に、案の定さっきまでクロウリーを見ていた野次馬の視線が鋭くなる。
「何よあの女、ジャン様に向かってあの態度は」
聞こえているぞ、そこの派手めな上流貴族の女子。
(……まあ、お近づきになりたくてなれる人たちでもないから仕方ないっちゃあ仕方ないんだけど)
私からすると、仲良くもないのにいきなりちんちくりん呼ばわりされて怒りしかないんですけどね。
ジャンは私たちの前にやってくると、首をかしげた。
「え、なんでクロード様と一緒に居んの?」
「尋ねる前にクロウリー様にご挨拶されたほうがよろしいのでは? 失礼じゃないですか?」
まずは王族であるクロウリーに挨拶するべきでは、と暗に伝える。そもそもレオの叔父なので、必然的に主従関係が成り立つのではないか。
「大丈夫だって。クロード様お優しいし!」
「ジャンはいつもこうだからな、気にしていない」
不快な様子は無く、クロウリーはやれやれとため息をついた。どうやら本当にいつものことらしい。
お気づきかと思うが、クロウリーとクロードは同一人物である。
クロウリーの本名はクロード・デルデ・デュイスメールと言う。いつも黒いコートを着ているのが、髪と瞳の色と相まって夜のカラスのように見えると言うことで、「クロウリー」と愛称がつけられた。公の場以外では「クロウリー」に敬称をつけて呼ばれているので、本名を呼ぶ人の方が少ないように思う。
実際、私もゲーム内のルーチェ以外にクロードと呼んでいる人と初めて遭遇した。ジャンとクロウリーは作中で同じシーンに居ることが少なかったので、想像していたよりも親密で少し驚いている。この世界でも二次創作を嗜んでいたら間違いなく今の会話はメモしていたと思う。とんでもない重要な設定を雑誌のインタビューでさらっと投下された気分である。
「いつものことかもしれませんが、不敬ですよ。ジャン様……」
私が顔をしかめると、ジャンが頬をつねった。
「うるせーぞ、ちんちくりん」
「いひゃいんでひゅが~!」
ジャンは頬をひっぱるだけでなく、その手を上下左右に動かす。体をよじる私を見下ろし、いたずらっ子のように歯を見せて笑っている。
「てかそのちんちくりんってなんなんですか!?」
ジャンの魔の手を振り掃い、向かい合う。私とジャンを交互に指さしながら、私たちの関係性を確認する。
「私たち! 昼間! 初対面!」
「知ってる」
知ってるんかい!
おうむ返しでツッコみそうになったが、ぐっとこらえた。
歯を食いしばった顔が相当ひどかったらしく、ジャンはけらけらと笑い続ける。
「変態って呼ばねえだけありがたいと思えよ、ちんちくりん」
「ぐぬぬ……」
「ひっでー顔」
「生まれつきです」
「クロード様もなんとか言ってくださいよ~」
そういえばクロウリーを置いてけぼりにしていた。ほぼ同じタイミングで私たちはクロウリーに方へ顔を向ける。
「……」
クロウリーは静かに私たちを凝視していた。顎に手を添えている姿も様になっている。私たちの会話に飽きて何か考え事でもしていたのだろうか。
「クロード様?」
ジャンがクロウリーの顔を覗き込んだ。少し間を置き、ゆっくりとクロウリーの視線がジャンに移る。周囲の囁き声に紛れそうな小さな声でぽつりとつぶやいた。
「お前たち、ずいぶん仲が良いんだな」
クロウリーの言葉が理解できず、二人して一瞬固まった。ぱちぱちと瞬きを数回繰り返し、言葉の意味を咀嚼しようと試みた。
やはり全く理解ができなくて、どちらからともなく顔を見合わせた。
「……」
「……」
目の前の男と、仲がいい? 目の前の男とは誰だ? 隣にクロウリー、目の前は……ジャンだ。
ようやく処理でき、お互いはっと息を呑んだ。そして勢いよくクロウリーの方へ向き直る。
「良くねぇですって!」
「良くないです!」
まさに異口同音。ぴったりと重なった声が昇降口に響く。なぜか一斉に野次馬たちのざわめきもぴたりと止んだ。
気まずささえある静けさの中、私はいたたまれない気持ちになってジャンの方を見やる。すると向こうもこちらを見ていて、口をぎゅっと噤んでいた。
「ちょっとジャン、急に一人で走らないでくださいます?」
水を打ったように静まり返ってしまった校舎前に、一筋の光……もとい、推しの一声が反響する。
「ファッ!?」
声のする方を見ると、ナターリヤが階段から降りている途中だった。一段降りる度に艶やかな髪が軽やかに揺れている。隣には当たり前のようにレオが並んでいて、突然の推しカプ供給に我慢できず変な声をあげた。
「あら、エリンじゃない」
「今日はよく会うね」
こちらに向かって来るレオナタがあまりにまぶしすぎて、とっさにクロウリーを盾に身を隠す。ジャンとにらみ合っていたことや、仲がいいと言われたことなどすっかり抜け落ちていた。
「ご覧、ナターリヤ。アップルシェードさんが人見知りの猫みたいに君の様子を伺っているよ」
「わたくしはエリンに一刻も早く懐いてほしいのですが……。今後も頑張りますわ」
人の良い笑みを浮かべながらレオが演技交じりの冗談を投げかける。対してナターリヤも大げさに涙をぬぐうフリをして答える。
(やはりこの世界のレオナタ、ノリが良いな?)
この世界のレオナタはぎすぎすしていないし、気が合っているのか冗談を言い合ったりもしている。多分、私もいいおもちゃなんだろう。昼休みに初めてちゃんと話したとは思えないぐらい遊ばれている気がする。こっちは笑顔のレオナタを網膜に焼き付けるので精いっぱいだと言うのに。
二人が笑い合っているのをクロウリーの陰から凝視していると、レオが「からいかいすぎたね」と謝罪する。
「それはそうとして、叔父上はなぜ彼女と?」
「学院へ用があってな。ついでにエリンに会えないかと思っていたら出会った。それだけだ」
エリンに会えるについてツッコミ待ちなんですが、なんで誰も言わないんですかね?
レオナタとクロウリーを交互に見やるが、推しカプは「なるほど」と納得しているだけだった。
「それと」
「それと?」
レオがクロウリーの言葉を反芻する。しかしクロウリーはなかなか続きを言わない。その場に居た野次馬を含め、全員がクロウリーの口が開くのを待った。
「今は少し、ジャンやお前たちに嫉妬をしている」
「は?」
「……年が近いと言うのは、やはり心を許しやすいのだな」
言いよどむなんて珍しいこともあるんだな、と思っていた数秒前の私。この男は爆弾しか投下しないぞ。
校舎の入口は地獄への入口だった。取り囲んでいる女子生徒たちの悲鳴がびりびりと鼓膜に響く。当の本人は聞こえていないのだろうかと思うぐらい平静で、本当にミュート機能が備わっているのかと疑う。
「え、クロード様趣味悪」
「ジャン」
「いや、私もジャン様の言う通りだと思います」
率直なジャンの感想を、レオがたしなめる。しかし私も全文同意だった。
クロウリーは当初、ルーチェを「からかいがいのある小娘」と認識していた。私に妙なアプローチをしているのは反応を見て楽しんでいるのかもしれない。
(でもルーチェとはさっきアホみたいに距離感近かったよね? あれで付き合ってないなんて言わせないぞってぐらいの雰囲気あったじゃん。本命は可愛いからからかえない的な?)
もしそうだったらめちゃくちゃ萌える。危害を加えないよう突き放したりもするし、クロウリーって変なところで臆病になる節があるから奥手になってるのかな。まさに理想のクロルチェじゃん。今の流れを見ていたら当て馬人生満喫できる気がしてきた。また脳内で公式が最大手のタグがトレンド入りしちゃう。
ゆるむ頬を抑えてうつむいていると、視界の端で漆黒のコートが見事なドレープを描いている。脳内で妄想を繰り広げていると急に片手で腰を引き寄せられた。
「そんなことは無いぞ? 友の為であれば命を惜しまぬ肝の据わった女だ」
慌てて顔を上げると涼しげな目と揶揄される金色の目が私を射抜いていた。突然のことで私はうまく頭が回らないし、体は硬直したままである。そんな私を見て、クロウリーは小さく笑った。
「なぁ? エリン」
もう片方の手で顎を掬われ、視線を外すことも許されない。ゆっくりと近づいてくるクロウリーの端正な顔で視界はいっぱいだ。銀色の前髪が額をくすぐり、距離の近さを教える。
あ、これキスされるの? と冷静に判断をしている自分が頭の片隅で警鐘を鳴らしているが、体は全く言うことをきかない。あれだ、画面越しにスチルを見ている感覚。
周りの音も防衛本能なのか、シャットアウトされていて聞こえない。きっと地獄が広がっているのだろう。私は目を閉じることもできず、茫然と唇が近づいてくるのを他人事のように見つめていた。
「クロウリー殿下!」
あと数ミリと言ったところで、クロウリーを呼ぶ声によって彼の動きが止まる。クロウリーの小さな舌打ちで、私もようやく我に返った。
こちらに向かっている影をクロウリー越しに見ていると、ぱたぱたと廊下を走る音と共に現れたオーウェン先生がやって来た。よほど急いでいたのか、後頭部の辺りでまとめられたお団子ヘアーがぐしゃぐしゃである。
「残念、時間だ」
掴まれた腕がぱっと離された。肩をすくめ、私に目くばせをしてくる。どういう意味合いなのかはっきりさせないあたり、クロウリーらしい逃げ方だと思う。
「探しましたよ! 校門で落ち合うお約束でしたよね?」
「はは、そう怒るな」
オーウェン先生が小言を言いながら背中を押す。口ぶりからして、慌てている先生をからかっているようにも見える。
(あー、なるほど)
クロウリーの所用は、どうやらルーチェを送りに来ただけではなかったらしい。クロウリーとオーウェン先生の親しそうな様子に、なんとなく察した。
二人の様子をぼーっと見ていると、不意打ちでクロウリーと目が合う。ぎょっとする私を見て、満足げに笑っていた。
「またな、エリン」
勝ち誇ったような笑みを置きみやげに、クロウリーはロングコートを翻した。オーウェン先生と共に廊下の奥へと消える後ろ姿が振り返ることは無かった。
飴と鞭が上手く使い分けられているとも、引き際の見定めがうまいとも言える。相手の気持ちを気にすることなく押せ押せで来るかと思えば、立つ鳥跡を濁さずと言わんばかりに痕跡すらなく消える。余裕のある大人を演じているところこそ、クロウリーが「ズルい大人」と言われるゆえんだ。
「私、からかわれてますよね?」
「どうかしら……」
口の端をひくひくさせた私に、ナターリヤが憐れんだ目を向ける。
色めき立つ野次馬とは反対に、私は表情を失っていた。人がされている分には周りの学生同様、盛り上がっていたと思う。前世であれば寝ずに二次創作を書き上げて満足していただろう。ただ、私は夢女子じゃないので相手が自分なのは何も感じなかった。率直に申し上げて萌えませんでした。
「遅くなって申し訳ございません、お嬢様!」
マリアの声が聞こえる。しかし振り向くことすら億劫だ。脱力感があるものの、足が棒のように動かない。
異性の耐性が無いからだろうか、それとも「推しカプでやれ」感が強かったからだろうか。自分の心境に明確な答えを見いだせないまま、クロウリーの消えた廊下を呆然と見つめていた。
その後、動かない私を不審に思ったマリアに肩を揺さぶられるまでぼんやりとしたままだった。思いっきり揺すられて三半規管がやられるまで気付けないなんて、まさに茫然自失だと自分でも反省した。でもオタクの思考回路はすぐにショートするものだから仕方ないよね。
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