24人が本棚に入れています
本棚に追加
集中できないのは私のせいじゃない
あれから数日が経ち、人の視線にも慣れてきた。自分でもびっくりするぐらい順応早くてびっくりする。
「陰キャのくせに神経が図太くなるなんてもう末期じゃないか……」と思ったけれど、上司に何言われても右から左に受け流すより簡単なお仕事だったので、無駄にアラサーになっていたわけじゃないと信じることにした。
とはいえ、人の目を気にせずに話しかけてくれるルーチェには感謝しかなかった。
(ルーチェもこんな気持ちだったのかな)
転校してからずっと、ルーチェは噂の的だった。顔よし、性格よし、能力よしの三拍子揃った彼女だが、いろんな意味で目立つ。
白魔法、特待生、平民。
このちくちくと刺すような視線を半年以上浴びていたであろうルーチェに少しだけ同情した。プレイヤーとしてルーチェを知っていたつもりだったけど、実際はもっと複雑なんだろうな。
ちらりと隣の席を見て、教科書に視線を落とした。
「それでは教科書の八十九ページを開いてください」
家庭用ゲームの頃は新人声優だった人気声優の朗読……もとい授業が始まる。
四時間目は魔法動物学。我らが担任・オーウェン先生の授業だ。
魔法動物学は見たことのない動物がたくさん出てくるから好きだ。難しい呪文とかもないし、テストは暗記だし。決してオーウェン先生のイケボが聞けるからと言うよこしまな理由で好きと言っているわけではない。
(見た目はオーウェン先生が一番好きなんだよなあ)
教科書から顔を上げ、頬杖をつきながら先生を観察する。
ページをめくる手は黒い革の手袋と腕まくりをしたシャツから見える青白さのコントラストがなまめかしい。目の下に隈を携えているものの、いつも眠そうな瞳は憂いを秘めているようにも見えてミステリアスだ。
正面を向いている今、見ることは叶わないけれど、下方でまとめた青紫色の長い髪の後れ毛がさらに色気を助長している。きっちりお団子ヘアーにしているのがミソだと思う。
(その色気に相反して前髪がぱっつんなのよ! 誰かさんとお揃いの!)
お察しの通り、この社畜……訂正、担任も「UTS」の攻略対象なのだ。
オーウェン・ウィリアムズ。
新任の教師として登場しているが、実はクロウリーの側近である。
(レオの護衛かつルーチェの監視役として昼間は教師、夜は本業……。まじで社畜だわ)
二足の草鞋を履いているせいで多忙。目の下の隈は体質ではなく、ガチの寝不足から来るものだ。
おそらくこの前クロウリーが学院に来た「所用」に、彼も含まれていたのだろう。黒魔法関係なのか、それとも他の任務の報告かまではわからないけれど。
(くたびれてそうじゃなくて、本当に疲れてるんだろうな……)
二十二歳には思えない落ち着きっぷりと、疲れ切って幸の薄そうな笑みがオーウェン先生の味だろう。あとたまに見える八重歯もかわいい。
(先生、あんまり大きく口を開けないから授業中でも見えると興奮するよねー)
見た目は覇気がないので気だるそうに見えるものの、中身は至ってクソ真面目。どんなことにも一切手を抜かないので、かりそめの教師だとしても授業の準備も怠らないし、王族の側近として努力も欠かさない。
そんなオーウェン先生がルーチェの肩を借りて図書室で居眠りをしてしまうスチルは至高と決まっている。図書室って、学校だよ? 教師と生徒とか年の差や身分を人一倍気にしている男の「気の緩み」を見せられて悶えないオタクは居ないでしょ。居ないよ。
脳内でもう一人の自分が全肯定してくれたところで、私は体の異変に気づき、ハッと我に返った。
(ま、まずい……このままでは……!)
とっさに左手をお腹にあて、ぐっと力を込める。
(お、お腹が鳴ってしまう!)
学生生活から離れて幾星霜。前世の私は十二時に休憩を与えられるごくごく普通のOLだったのだ。十二時半まで授業をしてるなんて正気じゃねえ。こればっかりは記憶を思い出して半年以上経っても慣れない。
時計を見上げると、短針も長針もちょうど十二のところで重なっていた。あと三十分もこの地獄と戦わなければいけないのか。
腹の虫が鳴らないよう前のめりで腹筋に力を入れていると、視界に手が入ってきた。
右から伸びてきた手。ありきたりな言葉で申し訳ないが白魚のような色白で細い腕はルーチェのものだった。
お腹をおさえながらちらりと視線を向けると、ルーチェが桃色の髪を揺らしてほほ笑む。天使か?
ルーチェは可愛いが、授業中に話しかけるなんて優等生らしからぬ行動に首をかしげる。するとほっそりとした指が私の机の上を指さした。
(な、なつかしい~!)
ハートの形に折られた紙片がコロン、と机に乗っていた。
てかこの世界でもハートに折って渡すっていう習慣があることに驚いた。ちょっと古くない? と思ったけど、十年前の乙女ゲーだから仕方ないのかな。私は青春ど真ん中って感じするからいいけどね!
――今日はお昼、一緒に食べられる?
彼女の性格が表れているような丸くて読みやすい字だった。目を通し終え、ちらっとルーチェを見る。
教科書で隠しながら小さく指で〇を作ると、ルーチェもピースサインを返してくくれた。
(な、なんだこの炭酸水もびっくりな青春は!)
板書を取るルーチェの横顔を横目に見ると、もう一度手紙に視線を落とした。
まるで学生の頃に戻ったような感覚で、むずむずする。いや、戻ってるのは戻ってるけど。
社会人になってから、てんで友達と会う機会は減った。
結婚したり、子どもを産んだり、昇給したり、転勤したり。
学生時代にはすぐに集まれた関係も、それぞれの事情によって疎遠になってしまっていた。
前世は前世で普段会えない分、年に一回集まる楽しみがあった。けれども学生時代にしか味わえない「また明日」で繋がる関係をもう一度経験できるのも悪くない。と言うか、大好きなゲームの主人公と青春しちゃってるのに悪いなんて負の感情を抱くわけもない。明日死ぬって言われても納得できるぐらいには運を使い果たしていると思う。
「ここは重要な生体系なので、しっかり理解してくださいね」
「せんせー、それって試験に出るってことですかー?」
「さあ、どうでしょう?」
どこが出るんですかオーウェン先生。今、誰が質問したの? もう一回聞いてもらっていい?
先生が指さす単語を確認し、手紙を筆箱に入れて教科書に目を向けた。
学年末も赤点を取るわけにはいかないので、私も真剣に授業を聞き始めた。
……と、躍起になったのもつかの間。私は別のことで授業から、しいては空腹から意識を逸らしていた。
原因は言うまでもなく、手元で遊ばせている手紙の主のことである。
ルーチェはプレイヤーが感情移入できないタイプの主人公だ。設定も立ち絵も全部決まっていて、一キャラクターとして成り立っている。ルーチェでなければ攻略対象を救うことができないし、ハッピーエンドを迎えることは出来ない。特にレオとテオ、クロウリーのルートでは白魔法を持っていないとダメなのだ。
(だからこそ私が原作介入とかできる気がしないんだよ……)
高校生の頃からアホほど乙女ゲームをやっていた自分だからこそわかる。「モブが救えるキャラと救えないキャラが居る」と。夢女子では無いが、「UTS」の創作全般読んでいたのでたまに「突拍子もねえな!?」と思う夢小説やBLもあった。いや、まあ、他の人からするとレオナタもその一つだと思いますけど……。その辺の解釈についてではなく、話の流れ的になアレよ。
レオルートはまだ「真実のキス」と言う白魔法や黒魔法という核心に迫ってはいないので創作の余地がある。あとはジャンとオーウェン先生も。モブ夢主でもきっと結ばれる可能性がある。
しかしテオとクロウリーのルートには黒魔法が根本的に関わっていて、ルーチェ無しでは物語がバッドエンドしか迎えない。テオは黒魔法の本に取り込まれかけるし、クロウリーも出自や暗躍している理由に関わってくる。
(いや、でも、ルーチェと出会わなかったらテオは本に取り込まれることも無かったんじゃ……)
思考に気を取られすぎて羽ペンを落してしまった。近くの席の子が振り返ったのを気づかないふりをしながら、いそいそとペンを拾いあげる。姿勢を正すと、解釈への思慮を続けた。
(いや、待て。も、もしかして今まで読んでいた夢小説の中には、ルーチェとテオが出会ってない世界線の話もあったんじゃ……!?)
それなら「無理がある」とか「余地がない」とか無いよね。すごいなオタク、どこまで深読みして推しカプの妄想してるの。
(いや、待って?)
っていうか、今私が生きてる世界ってレオルートでもないし、誰のルートでもない。まさにオタクが言う「IF」の世界じゃん。
(その視点は持ち得てなかった……)
ごめん、夢女子もしくは腐女子。めちゃくちゃ狭い視野で二次創作を読んで「解釈違いじゃん!」とか言っててごめん。次に「UTS」や「Picluv」のある世界に生まれたらもっと広い視野を持って二次創作と接する……。
みんなたちが妄想していた世界線は本当にあったよ。ゲームだけが全てじゃなかった。今後も私の代わりに原作に金を落としつつ、原作愛を胸に二次創作にいそしんでください。生まれ変わったら読むので。
黒板に向かって板書をしているオーウェン先生の背中を見ながら、ふと彼の上司が頭をよぎった。
(クロウリーも、ルーチェと出会ってなかったら他の女と結ばれるんだろうか……)
ルーチェ以外の女を傍に置くクロウリーを想像してみた。ボンキュッボンで有名な飛行学のマルタ先生、眼鏡をはずすとかわいい魔法薬学のローラン先生……。
思いつく限りの女性を並べてみたものの、なんかしっくりこないな。
(ルーチェじゃないとやっぱりダメですね! クロウリーは心も閉ざしてるし!)
推しカプへのひいき目によって考えることをやめた。いや、クロウリーにはルーチェしか居ないのよ。だってこの前もクロルチェが二人で馬車から降りてくるの見たばっかりじゃん。
横目でルーチェを見ると、黒板をまっすぐ見つめる横顔があった。
そうそう! ルーチェのバカがつくぐらい真面目でまっすぐなところにクロウリーは心を開くんだよ。自分の気持ちを見せない「ズルい大人」には白魔法だけじゃなくて真摯な性格も必要。
結論:クロルチェは正義。
結局、まるでダメなオタクはチャイムが鳴るまでクロルチェの今後を妄想していた。
もちろんオーウェン先生が言っていたテストに出るかもしれない範囲はチェックできたものの、他のところは何も聞いていなかった。自業自得。
最初のコメントを投稿しよう!