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  「砂は足を取られるから気を付けて」  階段を最後まで降りると、帝がこちらに手を差し伸べる。葉月は一瞬ためらったが結局はその手を掴み、砂浜へと降りた。その手がとても温かく、なんだか懐かしい気がして、少し泣きそうになる。そんな葉月に帝が、大丈夫? と聞いた。葉月はそれに頷いて、歩く。波の音が大きく聞こえ、葉月は立ち止まった。 「……真っ暗で、少し怖いですね」 「……ああ、そうか。もしかして、海は怖い?」  隣に立つ帝が思い出したように言い、バツの悪そうな顔をする。葉月はそれに首を振った。 「あの時のことは全然覚えてなくて……それどころか恋人のことも覚えてなくて。だから夜の海を見てもトラウマが蘇るみたいなことはないんですが……」  それでもこの漆黒に吸い込まれそうな、そんな怖さはあった。それを分かってくれたのか、帝は、そうだね、と頷いた。 「僕は怖いよ。気を抜いたら大事なものを持っていかれそうな気がして」  帝が遠く水平線を見つめる。その横顔を見ているのがなんだかすごく苦しかった。 「帝さんでもそう思いますか?」 「僕でもって……そんなメンタル強そうに見えた?」  帝の横顔がくすりと笑う。葉月はそれに大きく首を振った。 「そ、そうじゃなくて……帝さんは大人だから」 「残念。見た目ほど大人じゃないんだ」 「おれから見たら充分大人です」 「……そう。期待に応えられてるといいんだけど」  帝がそう言って頼りなく笑う。少し辛そうな笑顔に葉月が首を傾げると、帝はさっと表情を変えて、そういえば、と言葉を足した。 「市倉くん、ここに写真撮りに来たんだよ。カメラ……はないかもしれないけど、スマホとかで撮ってみたらどうかな?」  何か思い出すかもしれないよ、と帝が微笑む。葉月はそれに頷いて、パンツのポケットからスマホを取り出し、カメラアプリを起動させた。真っ暗ではあるが、遠くに船の明かりが見えている。葉月はそのままシャッターボタンを押した。それからスマホを帝へと向ける。 「こら、僕を撮ってもしかたないだろう?」  帝が笑いながらそう言った、その時だった。なんだか胸の奥が温かくなり、自然と涙が溢れてきてしまった。スマホを持つ手が震え、その様子に気付いた帝が心配そうにこちらに駆け寄った。 「市倉くん? どこか痛む?」  葉月はその声に首を振って自分の頬を手で拭った。それでも涙は後からまた溢れて止まらない。  帝にカメラを向けた時、懐かしいような、愛しいような、そんな感覚になった。  それが嬉しくて、でも切なくて、涙が止まらない。  それがとても苦しかった。 「……おれ、思い出したい」  心と記憶が結びついていないことがすごく辛かった。本当は自分と帝はどんな関係だったのだろう。  止まらない涙を拭っていると、ふいに髪を撫でられた。葉月が顔を上げる。 「無理に思い出すことはしなくていいと思う。きっと、君は、君自身を守るために記憶をなくしてるんだと思うよ」  温かくて大きな手がまた葉月の髪を撫でた。その手にひどく安心した葉月は小さく息を吐いた。いつの間にか涙も止まっている。 「だから……僕らは、またこれから新しい関係を作っていけばいい」  大丈夫だよ、と優しく笑む帝を見上げ、葉月はとても安心した。けれど、頷くことは出来なかった。新しい関係――それは記憶をなくす以前とは違う関係になるということだろう。親友や兄弟みたいと言われた関係とは違うものになる。それはなんだかすごく嫌だと感じた。  けれど今の葉月には、どうして嫌だと感じるのかは分からなくて、ただ切なかった。
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