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 駐車場から随分歩いてきてしまったようで、走っても車に戻る頃には、二人ともすっかりずぶ濡れになってしまった。 「寒くない? 市倉くん」  帝が濡れた髪をかき上げながら、助手席に駆け込んだ葉月に声を掛ける。葉月はそれに頷いた。 「でも、すみません……シート、濡らしちゃって……」 「それはいつか乾くから大丈夫。それより何か……後ろにブランケットがあったはずだな」  運転席から体を乗り出し、後部座席に帝が手を伸ばす。帝との距離が近くなり、その香りがふわりとこちらに漂って来た。その瞬間、葉月の鼓動が速足になる。ここまで走って来たからというわけではない。この動悸と体温の上昇は、いつも苦しんでいるものだ。  呼吸も苦しくなってきて、短く息を吐く。  今のうちに帝と離れなくてはいけない。このままでは、帝もラットに誘ってしまうかもしれない。それはダメだし、自分がオメガだとバレるのも怖い。  帝が自分の第二の性を知ったら友達ですらいられなくなってしまうかもしれない。それは嫌だった。 「市倉くん、濡れたもの脱いで、これはおって……って、市倉、くん……?」  黒いブランケットを差し出した帝が葉月の変化に気付き、驚いた顔をする。そりゃそのはずだ。アルファだと言っている自分がヒートを起こしているのだから、帝は混乱しているに決まっている。  それよりも、アルファの帝をこのままでは巻き込んでしまう。それだけはダメだ。 「ごめ、なさい……おれ、これで……」  このままでは拙いと判断した葉月がドアに手をかける。このまま外に出るのは怖いけれど、帝と居るわけにはいかない。そう思ってドアを開けようとする葉月を、帝が慌てて止めた。それから、大きく息を吐く。 「大丈夫。僕なら大丈夫だから、ここに居なさい。今外に出るなんて無謀だよ。襲われに行くようなものだ」  帝は葉月の体をブランケットで包み込むと、そのままぎゅっと抱きしめてくれた。その優しくて力強い腕の中で葉月がゆっくりと頷く。すると、帝がほっと息を吐いた。 「大丈夫。心配しなくても薬ならあるから」  帝は助手席のダッシュボードを開けると、中から小さめのピルケースを取り出した。 「市倉くん、手、出して。水がなくても飲めるタイプだからこのまま飲んで」  帝に言われた通りに葉月がそっと手のひらを出すと、帝はそこに錠剤を乗せる。葉月はそれを口の中に放り込んだ。 「僕も薬を飲んでおくから、心配ない。後ろに移動できる? 少し、横になるといい」  帝が屈みこんで葉月の靴を脱がせた。外に出るわけにはいかないから、シートの間を乗り越えて後ろへと移動する。葉月はそのまま後部座席に横になり、丸くなった。段々と息が上がってくる。 「……ごめ、なさい……」  ブランケットからそっと顔を出し、葉月が帝を見上げる。帝はそんな葉月に緩く首を振ってから切ない表情で微笑んだ。 「大丈夫……ラットなんて、よくある事だろう? 市倉くんは疲れてるんだよ」  帝が優しく言ってくれる。けれど、アルファが一人でラットになんかなるわけはないし、そもそもラットだと思って薬を飲ませてくれたのなら、いつまでも効かないはずだ。  帝にちゃんと話すべきかと口を開くと、それより先に帝がもう一度、大丈夫、と微笑んでくれた。葉月がそれに頷く。  帝が大丈夫と言ってくれるのなら、大丈夫なのかもしれない――そんなふうに思って葉月が目を閉じる。いつの間にか整っていた呼吸のリズムに導かれるように、葉月はゆっくりと眠りに落ちていった。  その日は気づくと自分の部屋のベッドで寝ていた。夜中に目を覚まして驚いて、ベッドの傍に置いていたスマホを手に取ると、そこには帝からのメッセージが入っていた。 『勝手に鍵を借りて運びました。ごめんね。ゆっくり休んで』  そんな言葉に葉月が迷惑をかけたなと思いながらも、少し安心する。どうしてか分からないが、帝ならいいと思ってしまうのだ。この部屋に勝手に入られても、意識のない自分に触れられても嫌悪を感じない。  きっとブランケットを取ってしまうと寒いだろうと思ってくれたのだろう。昨日帝が包んでくれたブランケットは未だに葉月に掛けられていて、そこから帝の香りがした。それだけでドキドキする。 「帝さん……ごめん……」  きっとこれはオメガのサガだ。アルファの香りで体が熱くなるのは仕方ないことなのだと思う。  そんなふうに自分を納得させながら、葉月は布団の中で、そっと自分の下半身に手を伸ばした。帝のブランケットに顔を埋め、大きく息を吸いこんでから、既にとろとろと蜜を零している自分の中心にゆるゆると触れる。 「ん……」  帝はどんなふうに触れてくれるだろうか。あの優しい声で愛の言葉を囁いて、強い腕で抱きしめられたら、きっと心地いいと思う。今だけ――明日からは絶対にこんなことに帝を使ったりしないし、オメガの自分も隠しておく。だからこの瞬間だけは、帝の香りで達したい。葉月はそう考えながら手を動かし、自身を絶頂へと導く。 「ごめ、な、さい……帝さっ……ん」  大きな波が葉月の中で起きて、そのままそれは白濁となって葉月の手の中へ流れていく。  これまでも急なヒートに自分で自分を治めることをしてきたが、こんなに気持ちよくて、こんなに切ないのは初めてだった。  どうしてだろう、と考えていると、また眠気が襲って来た。ラットの薬のはずなのによく効く薬だな、なんて思いながら葉月は再び目を閉じた。
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