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「……市倉、あんまり思いつめるなよ。俺、思うんだけどさ、市倉の恋人……すずさん? が市倉の記憶消してくれてるんじゃないかって思うんだよね」 「記憶を消す?」  牧野の言っていることがよく分からなくて葉月は首を傾げた。それに牧野が、ちょっと現実離れした考えだけど、と前置いて言葉を繋ぐ。 「自分のことを覚えたままじゃ、市倉が生きにくいと思って、記憶を消してくれたんじゃないかって……一緒に死にたいとまで思った相手だろ? 覚えてたら、今こんなふうに俺と食事してる余裕はないよな」 「……そう、だな」  牧野の言葉に葉月は頷いた。確かにその通りだ。今は記憶がないから、彼女の事をどれだけ好きだったのかも分からない。だから、記憶がない不安こそあれ、毎日こうして生きていられるのかもしれない。 「だからってわけじゃないけど、忘れたものは仕方ないって割り切って、これからのことに時間使ったらいいと思うよ。仕事も一から覚え直しだろうし、三年の間に変わったことも確認しなきゃならないだろうし」  手伝うからさ、と牧野が微笑む。葉月はそれに頷いて、ありがとう、と答えた。  確かに牧野の言う通りなのだ。書店に就職しているとはいえ、記憶は学生の時のままで、三年で培ってきた知識も全部流れて行ってしまっている。一人暮らしを始めたのもそのタイミングだから、ゴミの出し方ですら学び直した。けれど、そんなことはやり直せるからいいと思っている。  それよりも葉月は、三年間の自分のことを知りたいと思っていた。思い出せないのなら、知りたい。 「牧野、おれの三年間って、どんなだったか分かる?」 「んー……少しなら。俺よりも、上村さんに聞いた方が色々知れるかもしれない……けど、卯月さん会っていいって言ってる?」  もう会わせないと言われたばかりだ。どうして牧野がそんな事情を知っているのか分からないが、葉月は素直に、ダメだって、と口にした。 「まあ、そうだよね……でも、生活してくためって言えば、卯月さんだっていいって言ってくれるんじゃないかな?」 「そうかな……牧野と帝さんって親交ある?」 「個人的にはないよ。市倉を通して何度か話したりはしたけど……それだけかな」 「……おれの一番の友達だったみたいなんだけど、なぜか帝さんの番号とか知らないんだよね」  スマホのデータは全滅したが、入院中に職場や家、牧野などの友人などの番号は兄が直接聞いたりして登録してくれた。けれど帝の番号は分からないと言って入っていないのだ。 「ごめん、俺も知らない。あ、でも、職場なら有名だからすぐわかるよ」  そう言うと牧野はスマホを取り出しすぐに葉月に差し出した。葉月がそれを受け取り、画面に視線を落とす。 「うえむらデンタルクリニック?」  歯科医院のホームページが映ったその画面を見て、葉月が首を傾げる。 「その、副院長挨拶ってタップしてみな?」  牧野に言われるがままそうすると、画面が変わったそこには帝の顔が映っていた。 「帝さん……偉い人だったんだ」 「父親が院長らしいよ。そんなイケメンが載ってるもんだから、そこ、女性の患者さんはもちろん、男も上村さんに惹かれて予約すごいらしいよ。このあたりで一番大きな開業歯科ってのもあるけど」 「すごいな……まあ、もてて当然だと思うけど。すごく優しいし、アルファだし」 「だよなあ。まあ、だから、そこ行ってみたら? 会えるんじゃない?」  牧野に言われ、葉月は、そうか、と頷いてからスマホを返した。 「ありがと、そうしてみるよ」 「うん。あ、あと、今度市倉の職場も一緒に行こう。何か思い出すかもしれないし」  牧野が返されたスマホを受け取りながら思い出したように葉月に微笑む。葉月は、そうだな、と頷いた。 「ちょうど記憶のない三年のほとんどをそこで過ごしてたんだもんな。牧野の都合のいい時、誘って」 「うん。……ごめんな、あんまり力になれなくて」  牧野はそう言って眉を下げる。それに葉月が首を振った。 「充分だよ、ありがと」  葉月が答えると、牧野は一瞬視線を泳がせてから、少しだけ表情を固くして口を開いた。 「あのな、市倉」 「ん?」 「俺、なんにもできないけど、お前の味方だから。ホントに困ったときは、お前の頼み、優先で聞くから。それだけは覚えておいて」  少しだけ真剣なその言葉に、葉月は気圧されながらも、ゆっくりと頷いた。その言葉にどんな意味があるのかまでは分からなかったが、その言葉は素直に嬉しかった。困ったときは頼っていいと言ってくれる友達がいるということが、純粋にありがたい。 「なんだよ、改まって。うん……でも、ありがと、牧野」  葉月が笑顔を作ると、牧野はそれにつられるように笑って頷いた。
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