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 東京四ツ谷にある広域指定暴力団北陽会本部に黒塗りの車が入った。ソウマケンイチはまだ四十代と若いが北陽会きっての武闘派と知られ、組の汚れ仕事を一手に引き受けていた。二十代の頃に傷害と殺人で服役し、出所してからは組の中核を担っていた。  この日は国民自由党のハヤシマサオが所有する関連企業の顧問弁護士が組本部に訪れていた。すでに一年以上前からソウマケンイチの手の者が岩手に乗り込んでおり、系列の組の構成員を動かしていた。ヤクザとて政治家にいいように使われることを良しとしているわけではない。それはあくまで原発という美味しい共同の餌場があるからであり、使われたフリをしているに過ぎない。原発プラントの建設が決まれば、土地の買収や建設にかかる諸々の予算に群がることができる。その規模は莫大で、構成員のシノギなど米粒ほどにも思える。しかも相手は国または県から発注を受けた、所謂税金をあてにした大手ゼネコンで、半ば出来レースのようなものである。 「例の件は有難うございました。先生も大変喜んでおられるようで、新しいプラント建設の際にはまた、ぜひ宜しく頼むとおっしゃっておいでです。広州の方々にもくれぐれも宜しくということをおっしゃっていた」 「しかし、我々でも普通そこまでしませんがね」  ソウマケンイチが煙草に火をつけた。 「敵は強敵ですよ、半端はよくない」 「タザキコウゾウとかいう田舎代議士のことですかな?」  弁護士の男が首を横に振る。 「いえいえ、正確にはタザキ議員を後押しする世論のことです。こればかりはいくら先生でも敵いませんよ。先日だって奴らが提出した法案を何とか否決させましたが、思いの外僅差で、正直ヒヤヒヤさせられました。あのような法案が可決されたら、今後、原発プラントの建設が難しくなるどころか、減少の一途を辿ることにもなるでしょうから、我々の飯の種も先細りしてしまいます」  ソウマケンイチが煙を吐き、そして苦笑した。 「まぁ、構いませんがね。我々もできる限り協力させてもらいますが、私は政治の世界というものがようわからんですな」 「先生が常々言われることですが、政治も人生もオセロゲームに似ていると」 「オセロ、ですか?」 「はい。一つの有力なピースを盤上に残してしまうと、その間でいくら頑張ってシェアを拡げたとしても、もう一つのピースの出現で全てひっくり返されてしまう」  ソウマケンイチが顎鬚を擦った。 「政治はオセロゲームか、面白いことを言う。だが我々は力によって黒でも白と言わせる。それが我々の政治ですがね」 「それは実に頼もしい」  ソウマケンイチが再び苦笑する。 「広州の方々から先生に繋がるということは無いでしょうな?」 「無論、我々に繋がることすら難しいでしょうな。例え国際手配された犯人が捕まって、広州の組織と我々が結びついたところで、誰が何の目的で事件を指示したかなど到底わかりっこない話だ。実行犯はトカゲの尻尾のように切り捨てられる」 「奴らは一体何者なのでしょうか?」 「近頃、歌舞伎町などで暗躍する中国人のニュースを聞いたことがありますかな?」 「ええ。手段を選ばず、犯行の手口が残虐だとか」 「奴らの殆んどが中国の貧しい農村の生まれです。生まれた時から貧しくて、この日本という経済大国に憧れと憎しみを持っている。日本で強奪した富を自国に持ち帰ることこそが成り上がることなんです。そんな奴らが中国には何億人といる。これから益々奴らは拡大し続ける。我々は奴らの入国をほんの僅か手助けしているに過ぎない」 「これからは中国の時代ということですかな」 「歌舞伎町の勢力図も変わってきました」 「オセロのピースが中国にあると?」 「さあ、それはどうでしょう。最後のピースは我々が持っていたいものですな」 「先生もよくそんなことをおっしゃいます。自分かタザキか、それとも第三者か、政界も一寸先は闇でございますから」 「ハヤシ先生が抜きん出ているように見えますがね、こっちは素人だが」 「確かに今はそうでしょう。ただハヤシ先生はすでに六十代半ば、それに比べタザキコウゾウはまだ五十になったばかり。時間が経てば経つ程、状況は不利になる。先生はそれを心配しておられる」  ソウマケンイチが頷く。 「その焦りが、そこまでさせたということでしょうかな」 「ここだけの話、人の心は全く恐ろしいものです。ソウマさんだって政局が変われば、どちらとは言えないでしょう?」 「ですが、澄み過ぎた水の中では魚も住み難い。我々にとっては多少汚れた水の方が良いかもしれない」 「お互いに」  弁護士の男が持参したジェラルミンケースを開けた。真新しいインクの臭いが部屋に漂った。
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