十二

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十二

 東京、新宿歌舞伎町。孫小陽が組織から船便で密輸されてきた美術品を売り捌こうとしていた。手っ取り早く個人的な資金を作る必要があった。最近はこの歌舞伎町に複数の外国人組織が流入している。以前からそんな話をよく耳にしたが、まだまだ北陽会が幅を利かせていたし、元々日本と深く関わっていた台湾の勢力が大きかった。しかし、その勢力図が壊れつつある。中国本土の貧しい農民を密入国させ、荒稼ぎしてきたのは我々広州の組織だが、それは中国の国力が今よりもずっと低かった頃の話であり、最近は日本に行くことだけが富を得る手段ではなくなってきている。徐々に組織も密入国ビジネスから手を引こうとしている。黄志雄が衰えたということもあるが、麻薬や銃器を密輸するのはリスクが高い割に実入りが少なく、日本のヤクザとシマ争いで対立すれば犠牲者が出る。それに比べ美術品の転売は我々の一人勝ちだった。それに日本人は取引相手としては優良だった。海外のバイヤーとの取引に慣れておらず、ネームバリューに弱い。孫小陽は今、新しいビジネスのことを考えていた。そして恐らくあの男も同じことを考えているはずだ。組織の大老である黄志雄は老いぼれ、新しいビジネスのことより自らの保身にしか興味がないだろうが、あの男は違う。自分は上手く日本に逃れてビジネスをしているが、同じ中国国内にいたならば対立し、どちらか一方はすでに死んでいただろう。黄志雄が死ぬのは時間の問題だ。その時のためにも個人的な資金が必要だった。新しいビジネスのための準備は進んでいる。台湾の白蓮幇に郭正元という男がいる。奴とは歌舞伎町で知り合った。郭正元も抜け目のない男で、新しいビジネスの話を持ちかけると興味を示した。歌舞伎町で仲間に見られては都合が悪いからと、隠れて横浜中華街の郭正元が経営する店に行った。横浜中華街の万華楼という店だ。郭正元とは徐々に親交を深めた。彼は自分と同年代だったが大きな野望を抱いていた。いつか台湾の政治家になるのだと言っていた。すでに台湾に帰国し組織の幹部となっている。何かあれば自分を頼ってほしいとまで言ってくれた。最悪の事態になるまで頼るつもりはないが、万が一、あの男との権力闘争に敗れたら、郭正元を頼る以外、世界中のどこにいたとしても命は狙われる。あの男はそういう男だ。  最近密入国船で持ち込まれた美術品の中に、信じられないものを見つけた。初めは似ているだけで、どこかの無名な画家の絵だと思った。ユトリロの贋作かと疑ったほどだ。そのホワイトの使い方は美術界では有名で、最近不慮の死を遂げたことで美術商の間で俄かに注目されていた日本人画家のタッチにそっくりだった。だが実物を見るのはこれが初めてだった。画布の裏にサインが入っている。『タザキノボル』の真作だった。驚きと共に溜息、そして笑いが込み上げてきた。こんな無防備な姿で、この絵に出合うことになろうとは。しかしそれと同時に画家の不慮の死が、組織によって引き起こされたものだとこの時初めて知った。孫小陽の元に転売目的で送られてきたタザキノボルは合計二点。タイトルは『海』と『白月』だった。画家が異国で殺害されて、作品だけ帰郷するとは皮肉なことだ。これは高値で捌ける。孫小陽は美術品コレクターであり画商でもあった。この絵を売り捌けば資金調達できる。因縁めいたものを感じた。  新しいビジネスを始めるには自由になる多額の資金が必要だった。この絵のどちらかを売却すれば、恐らく数千万円の金になる。売却した後で再び奪うつもりだった。この二つの絵を元にして贋作を作り、本物は自らが隠し持つ。未発表で実物を見たことがない画商やコレクターはきっと騙される。そのためにも一度売却の事実が必要だった。贋作というやつは不思議なもので、画家の元から奪われたという事実が贋作に魔法をかける。
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