十五

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十五

 タザキコウゾウから連絡が入ったのは三日後のことだった。ぜひ実物を拝見したいとのことだった。国会は脱原発化基本法案が廃案となり、大荒れで幕を閉じたばかりだった。 「タザキコウゾウと申しますが、ハダさんですか? 息子の絵画をお持ちだと聞いて連絡させていただきました」  低く落ち着いた声が本人だとわかり、思わず背筋が伸びた。報道番組などで何度か顔を見て知っている。声は受話器越しだからだろうか、初めて聞くような印象だった。 「タザキ先生ですか? お電話いただいて光栄です。先生にぜひ見ていただきたい御子息の絵がございます」  タザキコウゾウはしばらく黙っていた。 「先生? どうされました?」 「すみません。電話では話しにくいこともありますから、ぜひ、そちらに伺いたい」  脱原発化基本法案に関わってから、気のせいかもしれないが誰かに先回りされていると感じることがあった。 「それは勿論です。私はいつでも構いませんよ」 「有難うございます。また改めて連絡させていただきます」  その日は、それ以上話さなかった。  数日後、再びギャラリーの電話が鳴った。受話器を耳にあてると、少し籠もったようなタザキコウゾウの声がした。 「ハダさん、今からそちらに伺ってもいいでしょうか? 実は今、近くにいて自動車電話からかけています」 「ええ、構いませんよ、お待ちしております」  何をそんなに警戒しているのだろうと首を捻ったが、確かに考えてみれば現役の国会議員が億の値のついた絵画を購入するとなればそういう心配も必要かもしれない。万が一マスコミにでも知られたら面倒だということは想像できる。それにこの絵が自分の息子の死と関係していると考える方が自然である。だが昔から絵画というものは、そういう曰くをまとい易いものなのだ。それが絵画の価値の一部でもあるし魅力でもある。今はとにかくこの絵を売り抜けることだけに集中したい。急に胃が痛くなった。ギャラリーを閉め、絵を眺めている時チャイムが鳴った。 「タザキです」  ドアを開けると仕立ての良いスーツを着た白髪交じりの紳士が立っていた。歳は五十代 後半だろうか、胸に議員バッジが見える。 「お一人ですか?」  タザキコウゾウが頷いた。 「タザキ先生、よくおいで下さいました。国会議員の先生だから秘書の方やSPの方とか大勢いらっしゃるかと思いました。さあ、中へお入りください。今しがたギャラリーを閉めたところですから誰もいません」 「お気遣い有難うございます」  ギャラリーに足を踏み入れたタザキコウゾウを見て、ハダケンゾウが息を飲んだ。これまで何人もの政治家や企業の社長、資産家に会ってきたがそのどれとも違う。しかも息子を亡くしたばかりだというのに、その影が微塵にも感じられない。 「さ、さあ、どうぞ中へ。絵は中央の壁に掛けてあります。すぐにコーヒーでもお持ちしますから」 「では遠慮なく」  コウゾウがゆっくりと歩を進め、絵の前で立ち止まった。他にもたくさんの絵があったが、すぐにそれだとわかった。見慣れた色使い、少し癖のあるタッチ。絵筆で描くというより色の塊を置いて削るに近い。しかしタザキコウゾウが表情を落とした。よくできているが息子の絵ではなかった。寂しさと愛しさが入り混じる。以前なら息子は世界のどこかで上手くやっているのだろうと苦笑できた。しかし今は・・・・・・物語のラストを知ってしまったかのような溜息が漏れた。ノボルはもう、この世のどこを探してもいないのだ。虚しさが体の芯を貫いて行く。 「タザキ先生、どうかされましたか?」 「ハダさん、失礼ですが、この絵をどこで?」  ハダケンゾウが持ってきたコーヒーカップをテーブルに置き、 「たまたま知り合いに日本人洋画家を専門とする画商がおりましてね、ずっとフランスやスペインに行っていたんですけど、先月帰国した際に私のギャラリーに持ち込んだものなんです」 「そうですか、フランスに」 「ええ、彼はフランスに留学している若い画家の青田買いもよくやっています。これはと思う若者の絵を買い付けたり、世話をしたりしています」  タザキコウゾウは再び絵を見つめた。促がされてコーヒーカップに手を伸ばす。 「で、何故この絵を私に?」  ハダケンゾウが目を大きく広げ、コーヒーカップを持つ手を止めた。 「な、何故って、それは、その」 「ハダさん、失礼ですが、あなたはどこまでご存知なのでしょうか?」  ハダケンゾウが息を詰まらせ、目を逸らせ咳払いした。煙草を取り出す。 「構いませんか?」 「ここはあなたのギャラリーだ。私に構うことはない」  ハダケンゾウが煙草に火をつける。微かに指先が震えている。一度大きく吸い込んで目を瞑り、鼻からゆっくりと吐いた。 「その友人から聞いたんです。この絵の作者であるタザキノボルの父が衆議院議員のタザキコウゾウ先生だって」 「だから私がこの絵を高く買うとでも?」  ハダケンゾウが目を大きく開け、頬を染めた。 「いいえ、先生にご興味が無ければ海外のコレクターに売るつもりでした。何しろご子息の絵は海外での知名度が高い。でも先ずは先生にお声をかけるのが筋かと」  コウゾウが顎の辺りに手をやった。 「この絵はどういう経緯を辿って今ここにあるのかご存知ですか?」  思わず唇を噛んだまま、唸りを上げた。 「友人が言うには、パリの個人所有者から買い付けたもので、本人がパリ在住だから信憑性が高いと。それ以外の履歴は正直わかりません。鑑定書もありませんし」  コウゾウの表情は変わらなかった。 「先生はこの絵の真贋をお疑いなんでしょうか?」  それには何も答えず、ただ黙って絵を見つめている。 「いいでしょう。この絵は私があなたの希望する額で買い取りましょう。ですが、一つだけ条件がある」  ハダケンゾウの表情が一瞬和らいだ。 「それは、どのような」 「この絵に関するあなたが知り得たこと、勿論、誰から購入したのかも含め全てを私に話していただきたい。それが購入の条件だ」  ケンゾウの脳裏に孫小陽の顔が浮かんだ。 「お願いだ。私はこの絵がどうやって、いや誰によって日本に持ち込まれたのか知る権利がある」 「やはり、ご子息に不幸があったってのは本当だったんですね」  タザキコウゾウが頷いた。 「わかりました。全てお話します。私だって人の不幸と引き換えに利益を得たなんて言われちゃ寝付きが悪い」  再び煙草に火をつけて膝を組んだ。 「あれは二週間ほど前だったかな、以前からのウチのお客さんで孫小陽という人がいるんですけど、その人が急にギャラリーに現れて珍しいものがあるけど買わないかって」 「中国人ですか?」 「そう、中国と日本を行き来している華僑で、時折本国から送られてくる美術品なんかを日本で売り捌いているとか」 「その孫小陽という男は何者なのかね?」 「さあ、そこまでは知りません。この絵の実物を見に歌舞伎町の事務所とかいう所に行ったんだけど、私が歌舞伎町に馴染みがないせいか、生きた心地がしなかった。辺りは外国人だらけ、古い雑居ビルの中に通されて、こっちも金が必要だったし完全に舞い上がってた。通常、いくらヤバいものを扱うからといったって、画家が殺害された直後に出所不明で出てきた代物を扱う気にはなりませんよ」 「画家が殺害されたと言ったのも、その男なんだね?」  ハダケンゾウが頷いた。 「孫小陽か」 「それと確か、彼の会社は広州市にあるとか」  体が前のめりになったせいで、木製の椅子が床に擦れて音をたてた。 「今、広州市とおっしゃいましたか?」 「え、ええ、そうですが、何か?」  コウゾウが何かを言いかけて口篭った。 「いえ、その孫小陽という男は広州市出身なのですね? その男の連絡先を教えてもらえませんか?」  ハダケンゾウが唇を噛んだ。 「タザキ先生から連絡が行ったら、すぐに私だとバレてしまう」 「その点は心配しなくていい。絵の売買について話すつもりはない。知り合いの美術商にそっと探らせる程度です」 「約束ですよ」 「恐らく、偽名でしょう」 「わかっています。だがハダさん、あなたが歌舞伎町で会った男は確かに実在する。そして、その男を辿る以外に今は何の手掛かりもない」 「絵は買っていただけるんでしょうな?」 「勿論だ」 「では、一億五千万円で」 「承知した。来週にでも秘書から連絡を入れさせる。それまではハダさんが絵を預かっていただけると有り難いのだが」 「それはもう、私とてこの絵を手放すのは誠に惜しい。いつまでも眺めていたいくらいですよ」  それを聞いてタザキコウゾウは目を細め、席を立った。
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