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十六
世田谷の屋敷の前で待機していた車に乗った。秘書が銀座の料亭に向かうように運転手に指示した。生まれ育った福井の景色とは似ても似つかない都会の夜。ネオンが車窓に映り瞬いている。最近設置した自動車電話が鳴った。秘書が受話器を取った。
「もしもし」
「先生はおいでですかい?」
その声ですぐに北陽会のソウマケンイチだとわかった。
「先生には直接連絡しない約束だろ?」
受話器の先でフッと鼻息が漏れる。
「そうしたいところだが、直接先生の耳に入れた方がよいかと思いましてね」
「なんだね、ソウマ君」
「いやね、最近、歌舞伎町からある男の姿が消えましてね。それがどうやら大金を手にして逃げ回っているらしいんですよ」
「それが私とどういう関係があるのかね?」
ソウマケンイチが受話器の向こうで鼻を鳴らした。
「先生から頼まれた一件で、盗まれた絵があったんですがね、どうやらその絵の一枚がこの東京で売買されたようなんですよ」
「そんなことは知らんよ。そもそも私はあの一件でタザキの息子を脅せとは言ったが、殺せとは命じていない」
ソウマケンイチの抑えた笑い声がする。
「大丈夫ですよ先生、私らは先生を奴らに売ったりはしない。我々は同じ釜の飯を食ってる仲間じゃないですか、ねえ、先生」
「ソウマ君、何故こんなことになっているのかね? この一件はあくまで君たち北陽会と海外マフィアが起こしたこと、私には関係ない」
「そんなこと言っていいんですかい? 先生」
「貴様、ヤクザの分際でこの私を脅す気か」
ソウマの笑い声が漏れる。
「いえ、いえ、私らは先生のお仕事のおこぼれをこれからも頂戴しなければなりませんからな」
「ソウマ君、その絵を売って金を持ち逃げした男はわかっているのかね」
「ええ、孫とかいう組織の末端の男です。今、我々もその男を追ってますが、実はその男を追っている奴がもう一人おりましてね」
「誰だね、それは」
「先生もよくご存知の男で、タザキコウゾウ衆議院議員と警察庁のサワムラとかいう若い警視です」
「何だと! タザキがどうして」
「それがね、孫が絵を売却した目黒の画商が、タザキコウゾウに話を持ちかけたようなんですよ。今、タザキたちは息子を殺した犯人に繋がるかもしれないと、その孫という男を血眼になって捜している」
「その孫という男はどれくらい知っているんだ?」
「さあ、わかりませんな。その男がタザキたちに先に確保され、その男の口から広州の組織と我々が繋がったとして、我々には捜査の手が及ぶでしょうな」
「ソウマ君、とにかくタザキたちより先に、その孫とかいう男を抑え給え。礼なら今度いくらでもする」
「楽しみにしてますよ、先生」
電話が切れた。
「先生・・・・・・」
秘書が泣きそうな声を漏らした。
「何故こんなことになっているのだ? あれほど細心の注意を払えと言っておいたのに、全く使えない奴らだ」
「先生、タザキとサワムラとかいう男が追っているのは、確か組織の末端の男だと言ってました。例え捕まったとしても先生に繋がるようなことは有り得ません。最悪、その男が今回の事件の何かを知っていたとしても、所詮はトカゲのしっぽ切り、組織が先生のことで口を開くとは思えませんが」
ハヤシマサオが指を膝の上でトントン叩き、鼻息を荒くした。
「そういう呑気なことを言ってる間にも、タザキが何かを見つけるかもしれん。それに、ソウマの、あの言い草はなんだ。まるで私を脅しているようじゃないか。運よく北陽会が先に捕らえたとしても安心などできん」
「先生、中国本土の組織と繋がったところで、現実問題として本土での調査など不可能ですし、万が一当局が動いたとしても、実際に奴らと関わったのは北陽会で、先生の名前は一切出てきません」
「そんなことはわかっている。だがな、私は完璧を求めている。タザキがその孫という男を追っている理由は、私と組織との関係を結びつけるためだ。末端の男とは言え、こうした小さな綻びが命取りになることもある」
秘書が時計を見た。
「先生、そろそろ到着します」
「県人会と電力会社か?」
「はい、それに今日は先日訪れた岩手県議の推進派の面々と、勉強会ということになってます」
ハヤシマサオがチッと口を鳴らした。
「面倒臭いのう、蝿どもが」
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