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 パリにある日本大使館から直接連絡が入ったのは、日本時間で翌日の十四時過ぎだった。現地時間では朝の七時過ぎ。夜中に不審な黒い車と、濡れた石畳を駆ける足音を聞いたという隣人が念のためタザキ家を訪れると、玄関の扉に鍵がかかっていなかった。声をかけてみたが応答が無い。扉を開けるとフローリングの床に泥の足跡が残っていた。タザキ夫婦が日本人で、部屋に靴を脱いで入る習慣があることを知っていた。アトリエの絵画が総べて無くなっている。リビングの窓が一つ開いていた。すぐに警察を呼んだ。寝室の遺体に気付くのに時間はかからなかった。  タザキコウゾウは麹町にある議員宿舎でその知らせを聞いた。初めは電話交換手が何を言っているのか理解できなかった。ただパリからの国際電話と聞いて、息子夫婦に何かあったのではないかと頭を過ぎった。 「だから言わんこっちゃない。私の反対を押し切って海外なんかで暮らすからだ」  そんな軽い気持ちで受話器を受け取ったのを覚えている。 「タザキ先生、ご子息がパリで強盗に襲われて・・・・・・」  日本大使館の外交官が口篭った。その後は何を話したのか全く覚えていない。近く衆議院議員選挙を控えていた。どこからともなく緘口令がひかれたことに違和感を覚えながらも、すぐに現地に向かう手はずを整えた。警察庁に無理を言って、当時警視になったばかりのサワムラジュンを同行させた。サワムラはタザキコウゾウの高校、大学の後輩で、地元盛岡の事務所で挨拶を受けてからは、何かと目をかけてきた若者だった。将来、日本の警察をしょって立つほど優秀な男で、気心も知れていた。実はサワムラを同行させたのには他にも理由があった。数年前からタザキコウゾウの身の周りで、少々きな臭いことが起こっていた。直接危害を加えられたことはないが、知人が街のゴロツキにつけられたり、選挙事務所が何者に放火されたりした。サワムラにはそれらの事件の捜査を担当してもらっていた。世間を賑わすような大きな事件ではないが、心理的に息苦しくなるような嫌がらせが続いて、犯人はすぐに逮捕されるのだが、決して背後で糸を操る者へと繋がらなかった。少しでも糸を手繰ろうとすると、誰かの手によって断ち切られた。  そうなったのは、ある出来事が発端だった。当時、国会は高度経済成長の波に乗って、原発プラント建設の推進派と慎重派が対立していた。地方を含め推進派が大半を占める中、タザキコウゾウは反対派の急先鋒の一人だった。地元岩手県に原発プラントは必要ないという公約を掲げて当選し、信念を曲げなかった。そして推進派の代表を務めていたのが当時政権与党だった国民自由党のハヤシマサオ衆議院議員だった。この男は要職につく前から黒い噂の絶えない男で、権力を握る以前から特に巨大な利権との繋がりを持つと言われていた。元々地方の土建関係の会社を営んでいて、ゼネコン関係には底の部分で通じている。その資金をバックに上り詰めた男だ。年齢は六十代だがクリーンなイメージを欠くため、総理大臣の椅子は厳しいとされる。それ故、まだ五十代ではあるが国民に人気の高いタザキコウゾウを目の敵にした。地域は違えど、同じく地方出身のコウゾウを若造呼ばわりし、頭から抑えようとした。すでに全国に原発プラントの建設計画が持ち上がり、岩手県もその例外ではなかった。初めはタザキコウゾウと言えども、長いものには巻かれるだろうと思っていた。議員など皆同じ穴の狢だと考えていたが、タザキコウゾウだけは首を縦に振らなかった。 「岩手に原発プラントは必要ない。一基だって作らせない」  何度説得しても折れないタザキコウゾウとは次第に犬猿の仲となり、すれ違っても目を合わせることもなかった。ただ、タザキコウゾウの周辺で以前には見られなかった事故や事件が増えた。特に暴力団関係者が起こす些細なトラブルが目立つようになった。  そのことと今回のパリでの事件が関係しているかはわからない。自分を政界から引退させようとしているのだとしても、家族にまで手を出すとは幾らなんでもやり過ぎではないのか? だが、まだ若いタザキコウゾウは次世代の総理大臣候補であり、ハヤシマサオにとっては最大級の政敵であることは確かだった。タザキコウゾウはとにかく事実を確認するためサワムラジュンと共にパリに向かった。そして息子夫婦の亡骸と対面した。サワムラジュンをパリに残し、タザキコウゾウは残された孫二人と共に帰国した。ショウとリュウには事実を話さなかった。幸い二人は寝室を別にしていたおかげで両親の殺害現場を見ていない。両親はまたいつものようにスペインやポルトガルに行ったことにした。弟のリュウはまだ幼過ぎて何もわからず、両親の不在に不安げな表情を浮かべたが、兄もショウは無表情のままだった。盛岡の見慣れた屋敷に到着すると、リュウは安心したように眠ったが、ショウはその日、一睡もしなかった。 「お父さんとお母さんはヨーロッパで絵を描くお仕事をして、冬になったら日本に帰ってくるからね」  お手伝いのシズエは、まだ幼い兄弟の眼差しに耐えられず目を背けた。ちょうど母ヨウコと同年代の家政婦だった。しばらくして口数は少ないが、ショウも表情を取り戻した。日本での日常が始まった。幼いながら世の中の不条理を感じ取ったのは、皮肉にもこれが最初だったかもしれない。
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