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 タザキコウゾウが再びパリへと向かった。現地でサワムラが情報を収集していた。当時はインターネットも普及しておらず、電話と足での聴き取りが中心だった。勿論、直接の逮捕権は無い。現地警察の捜査から得られる情報を元に、個人的な情報収集をするだけである。それでもフランス語を話すことができるサワムラジュンの存在は大きかった。パリで再びサワムラと合流した。国際的な事件となると、日本警察は無力だった。日本大使館の協力は得られたが、現地での日本人への対応は冷ややかだった。ここでも辿った糸が途切れることが度々あった。パリの六月は梅雨もなく比較的過ごしやすい季節だが、雨が降ればどんよりとして朝晩は寒さを感じる。 「今年に入ってすでに三件の美術商やギャラリーが被害に遭っているようです」 「それら全て六月の雨というマフィアの仕業だと言うのか?」 「そのようです。残忍な手口も似ています。事件当日は強い雨で、誰も通りを歩いておらず、目撃情報はありません」  脳裏に息子ノボルの顔が思い浮かんだ。もう立っていられないほどに疲弊し、心は引き裂かれているはずなのに、悲しみの感情が込み上げてこない。自分でも不思議なくらいに冷静で、使命感と言うか真相を明らかにして、犯人を法の下に処罰しなければならないと感じるのは自分が政治家だからだろうか? 人の子の親として失格だろうか? パリに来て実際に息子たち夫婦の遺体と対面した後も、どこか他人事のようで、淡々と手続きを済ますことしかできなかった。そんな姿を見てパリ警察の人間はどう思っただろうか? 思えば感情を押し殺し続けてきた人生だった。政治家としてここまでやって来れたのも、個人的な感情に流されることなく状況を判断してきたからである。これまでにもたくさんの悲しみや怒りを目にしてきた。理解はしてきたつもりだが、感情に流されたことは一度もなかった。そしてその悲しみと怒りが自らの人生に降り注いだ今、この期に及んでも、一向に感情的になれない自分自身がいる。情けないと思う反面、取り乱したところで事態は何一つ変わらないと冷静に見極めてしまう。思えば妻が亡くなった時もそうだった。早過ぎる死ではあったが、それを紛らわすように政治に没頭した。いつかは自分も死ぬのだから、そう意識した若い頃から人生の長い短いに価値を見出さなくなった。息子の死は残念過ぎるほど残念だが、海外に飛び出して行った時点で、こういうことも起こり得ると覚悟していたのかもしれない。 「サワウラ君、六月の雨というマフィアについて詳しく話してくれないか?」 「はい先生。六月の雨という窃盗団は、何人かすでに逮捕されているメンバーの供述から、中国広州市に活動拠点を置くマフィアだということがわかっています。盗んだ美術品は船を使って本国に送っているようです」 「広州か。悪いがサワムラ君、もう少しだけ私に付き合ってくれないだろうか」 「先生、広州に行くということでしょうか?」  コウゾウが頷いた。  大使館を出た。庭園に花々が咲いていた。すると二人の頭上を一匹のスズメバチが鈍い羽音を響かせて通り過ぎた。 「スズメバチでしょうか?」 「フランスにもスズメバチがいると聞いたことがある。西ヨーロッパ原生の『Vespa』というスズメバチの他に、最近は中国からの荷に紛れ込んで繁殖した種が猛威をふるっていると聞いた」 「中国産」 「サワムラ君、全てが終わったら・・・・・・」  コウゾウが口を噤んだ。サワムラが見つめた。 「いや、何でもない」  立ち止まり目を閉じた。
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