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 東京、永田町。夏の国会は紛糾していた。タザキコウゾウを中心とする原子力発電に反対するグループが多くの市民の署名を集め、脱原発化法案を提出したのだった。これに合わせて二万人が新宿でデモ行進を行い、三百万人以上の署名が集まった。しかし法案に好意的な議員は過半数には遥かに及ばず、否決されることは初めからわかっていた。タザキコウゾウは思う。これは我が岩手県にプラントを建設させないための行動ではない。日本の未来のための行動なのだと。そんな俄かな盛り上がりを苦々しく思っている男がいた。国民自由党のハヤシマサオ衆議院議員である。 「タザキ君、ご子息に不幸があったばかりだというのに、全く精力的なことですな。結果は見ての通りだ。いい加減、君も折れたらどうかね」 「私は曲げませんよ、原発プラントの五十五基目は絶対に作らせない。原発は段階的に減らして行くべきなんだ。海外での事故を見れば、それが将来の環境にどのような影を落とすか一目瞭然なはずだ。幸い、まだ我が国では致命的な事故がまだ起こっていないだけで、事故が起きてからでは遅過ぎるんですよ。想像力の欠如以外の何ものでもない」 「想像力の欠如だ? 君こそ我が国のエネルギー大国としての将来を想像できない哀れな男よの。原子力発電がこの資源の乏しい我が国にどれだけの富を与えるか考えてみたまえ」 「富? 富と環境を引き換えになんてできない話だ」  ハヤシマサオが声を上げて笑う。 「全くバカな男だ。私はね、地方の貧しい地域の生まれだ。家も貧しかった。そんな地域の住民にとって安定した良い暮らしをすることがどれだけ切実な願いであるか、裕福な家庭に育った君には理解できるかね? 地方の貧しい土地に原発プラントができて雇用が生まれ、電力会社からそれに携わる建設や飲食、娯楽、数えたらきりがない程の人々が恩恵を受けていることになるのだよ。そんな富の再分配を妨げる権利が君にあるのかね?」 「ハヤシ先生、あなたの言うことはよくわかります。ですが、環境を守ることと富の再分配の話を混同してもらっては困ります。確かに富の再分配は成熟した社会ならあってしかるべきだ。だが、そのために失ってもよい国民の財産である環境を切り売りすることはできない。何か違う形で富を再分配する方法を考えるのが我々政治家の役目だ。少なからず我々議員の中には、地方優先で日本全体を見ない者がいる。木を見て森を見ず、と言うでしょう?」  ハヤシが額に皺を寄せる。 「足元しか見ていないのは君の方じゃないのかねタザキ君。世界はこの日本よりもずっと広いのだよ。私だって地方のことばかり考えてプラントを建設してきたわけじゃない。この資源の乏しい国がグローバル社会で生き抜くために、他の国に依存せず自国だけで生きて行けるようにという私のポリシーでもあるのだよ。君は有事の際になって初めて事の重大さに気付き、泣きながら同盟国にすがるつもりかね? 我が国はもっと自衛せねばならんのだよ。我々はそのための政治家であるし、それに反対することは、日本という国を破滅に向かわせることになるのではないのかね?」 「ですがハヤシ先生、もし万が一、海外で起きたような臨界事故が国内で起きたら、その時はどうなるんでしょうか? その被害は日本国内に留まらず、この地球の環境にも甚大な悪影響を及ぼす、それが無いと言い切れますか?」 「そんなことは有り得ない!」  ハヤシが声を荒げた。 「そんな宝くじにでも当たるような確率で物事を考えて政治をしてはならんのだよ、君、それこそ木を見て森を見ずと言うものだ」 「話をすり替えないでいただきたい。環境は我々が守って行かねばならぬもので、何ものにも代え難い唯一無二のものだ。確率の問題ではない」 「君とは何度話しても平行線を辿るようだ。だが、この法案が否決されたことが事実であって、民意なのだよタザキ君。これが議会制民主主義というものだ。それが嫌だったら、君も君のご子息のように海外にでも行ってしまったらどうかね。そういう君のご子息が向かったフランスという国は世界で最も原子力発電技術に優れた国もようだがね」  コウゾウが唇を噛んだ。ハヤシマサオがフンッと鼻を鳴らして立ち去った。眩暈がして議事堂の廊下の壁に手をついた。膝から崩れ落ちそうだったのを必死に堪えた。胸の痛み、喪失感。しかし、その後でショウとリュウ二人の孫の顔が心を埋めた。パリの事件とハヤシマサオが関係しているかどうかはわからない。例え背後にあの男がいたのだとしても、決して辿り着くことができないだろう。奴はそういう政治家だ。国内の暴力団とのつながりすら暴けない中、海外のマフィアの起こした事件との関係を一体どうやって突き止めたらよいのか? 途方に暮れる。もし仮に自分が原発誘致に反対などしなかったなら、ノボルは死なずに済んだだろうか? 自分を責めた。しかし長いものに巻かれてしまったら、自分は政治家でなくなってしまう。子供たちの未来のための環境を守る。そして、それは個人的な利権のために売買されてはならない。自分は冷たい父親だろうか? 国会が一段落したら一度地元盛岡に帰ろうと思った。ショウとリュウに後何年嘘をつき通せるだろうか。いつの日か真実を話さなければならないことはわかっている。だが、自分ですら心の整理がついていない状況で、何をどう幼い孫に伝えてよいのだろう。岩手県に原発を持ち込ませてはならない。政治生命を賭けて戦い抜くことを誓った。そしてパリでの事件の真相も暴いてみせる。そうすることでしか息子にあわせる顔がないような気がした。  盛岡に帰ったら、ショウとリュウを八幡平に連れて行こう。釣りや昆虫採集などしてしばらくのんびり心を休めようと思う。脱原発化法案はまた一からやり直しだ。地道な活動を重ねていつの日か国民の支持を得て、この国から不必要な原発プラントを削減して行くつもりだ。ショウとリュウ二人の孫の顔がまた心に浮かんだ。二人の未来のためにも、今ここで負ける訳には行かない。
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