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 その頃、タザキコウゾウは盛岡市内の居酒屋で有志たちと会っていた。『郷土の未来を守る会』は発足当初から岩手県内に原発を誘致することに反対していた。確かに岩手県の電力自給率は二十五%程度、四分の三は県外からの電力に依存している。しかし、だからといって原子力に頼ってはならないと思っている。批判があることも承知の上だ。他県だけがリスクを負い、岩手だけがそこから逃げて良いのか? と自問自答を繰り返してきた。もし、他県が電力を融通できなくなったら、それでも反対し続けることができるだろうか? しかしタザキコウゾウの信念は揺るがなかった。 「人間というものは生物学的に見ても、危機を感じ始めたところから本当の知恵を搾り出して生きてきた。幸い我が県は利用可能な自然に恵まれている。水力、地熱、それに海岸線に吹く風だってまだまだ利用できる。この広大な土地と自然を充分に活用できていると言えるだろうか? 確かに原発事故の危険は取り越し苦労かもしれない。けれども有限なウランを燃料とするエネルギーに将来を託してよいものだろうか? 核分裂を人為的に行うリスクと、汚染された核のゴミを、人間はどう後始末しようと考えているのか。単に将来、我が子や孫の世代に押し付けているだけだと私は思う!」 「タザキ先生、私たちもそう思います。他人を犠牲にして、環境を台無しにしてまで生活を良くしたいと考える我々人間は一体何様なんでしょうか? たかだか長生きしたって百年足らずの人生なのに、人より良い暮らしがしたい、金持ちになりたい、この欲の塊に満ちた我々人間って何なんでしょうか?」 「皆さんのお気持ちよくわかります。ですが世の中、とても貧しくて何としてでもその貧困から抜け出したいと思っている人たちの考えを、強引に押し潰すものであってはなりません。不公平と言われようが、この世のすべての人が裕福で幸せになれるとは限らない。それは生物としての我々の定めでもあります。人は生まれてから必ず死ぬようにできています。自然の摂理と言うものです。定期的に勉強会を開きましょう。そして我が県の、いや我が国の将来について語り合いましょう。その地道な取り組みだけが。我々無力なる人間にできる唯一の未来への希望になるはずですから」  するとメンバーの一人が口を開いた。 「先生、ご子息のこと、伺いました。何と申し上げてよいのか、誠に残念です」  その場にいる全員がコウゾウを見つめた。 「皆さん、有難う。気を遣わせてしまって申し訳ない。誰にも知らせずにいたつもりなんだが、やはり、どこからか知られてしまったようですね。皆さん、このことは暮々も内密にお願いしたい。犯人はいづれ捕まるでしょう。我々が決して犯してはならない過ちは、こうした暴力に屈してしまうことなのです。いいですか皆さん、この事で怯んではいけません。この件に政治が絡んでいるとすれば尚のことです。皆さんは絶対にこの件に深く関わらないでください。これ以上の犠牲を出してはなりません。この件で我々が暴力を恐れ、一枚岩が崩れることを敵は望んでいるはずです。それが暴力の本質です。我々は絶対に暴力に屈してはならなのです」  皆が深く頷いた。 「先生、心中、お察しします」  メンバーの中にはすすり泣く者もいた。コウゾウはその姿を見て、初めて自分の目に熱いものが滲み出るのを感じた。 「大丈夫ですよ、私は。それより約束して下さい。このことは他言無用です」
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