斜め前の遠藤君。

1/1
前へ
/1ページ
次へ

斜め前の遠藤君。

 わたしは大木ミナ。この春高校に入学したばかりの女子高生だ。  仲の良い友達はできたけど、男子とはほとんど話せないでいる。  小学生のころ近所にいじめっ子のお兄ちゃんがいて、それ以来ずっと男の子が苦手になっていた。  ――あ、遠藤君だ。  そんなわたしにも気になるクラスメイトがいた。  遠藤君は目つきが悪くて、第一印象は不良っぽくてすごく怖かったのを覚えている。  入学式で隣に遠藤君が座ってて、あの日はなんて幸先の悪い高校生活だって思ったっけ。  教室でも遠藤君は斜め前の席で、しばらくの間わたした恐々と高校生活を送っていた。  でもある日トイレから戻ってきたら、わたしの席にほかの男子が座ってたときがあったんだ。  そこどいてって言えなかったわたしは、授業のチャイムが鳴るまでの間遠巻きにひとりで立ってたんだけど。  そしたら見かねた遠藤君が座ってた男子の背中を蹴りつけて、わたしの席から追い出してくれたんだ。  別にわたしのためとは言われなかったけど、「ありがとう」って小さな声でお礼を言ったら、遠藤君は「ん」ってやっぱり小さな声で返してくれた。  そのあとすぐにチャイムが鳴って、後ろから見た遠藤君の耳はなんだかちょっと赤くなっていた。  見た目は怖いけど、遠藤君はきっとやさしい人なんだ。それ以来わたしは遠藤君を観察するのが日課になった。  遠藤君はわりとクラスの人気者で、男子とも女子ともよくおしゃべりをしている。  わたしはというと席は近いのに、あれ以来遠藤君と会話することもなく過ごしていた。  最近ではそれがさみしいって思ってる自分がいて。  ――わたし、やっぱり遠藤君が好きなのかな。  誰が誰に告白したとか、誰と誰が付き合いだしたとか。最近ではクラスの中でそんな話が増えてきた。  放課後手つなぎデートしたり校舎の影でキスしたり、そんな漫画みたいな恋愛はわたしも正直あこがれる。  だけど内気なわたしに告白なんて、無理寄りの無理に決まってる。  そんな感じで後ろから見つめるだけで満足していたわたしだったけど、結局は席替えで遠藤君との接点を失ってしまった。  しかもわたしの席は最前列。授業中に遠藤君を観察する楽しみも奪われて、もう最悪としか言いようがない。  今では配られたプリントを回すときにだけ、遠藤君を盗み見てるような状況だ。  あとは短い休み時間を活用するしかなかった。  昼休みは遠藤君はひとりどこかへ行くことが多い。  毎日観察した結果、遠藤君は高校の近くにある小さなパン屋さんに行ってることが分かった。  購買部は込み合うので美味しいパンは争奪戦だ。本当は昼に学校から出ることは禁止されてるけど、わたしはそのことを誰にも黙って内緒にしておいた。  遠藤君とわたしだけのひ・み・つ。  なんつって。  そんな妄想をしているうちに、お昼休みのチャイムが鳴った。    ――あ、やっぱり今日も行くんだ  遠藤君行きつけのパン屋は住宅街にぽつんとあって、知る人ぞ知る小さなお店だった。遠藤君と同じものが食べてみたくて、実はわたしも何度か放課後に行ったことがあったりする。  ストーカーじゃないよ? そう、パンが食べてみたかっただけ。  たまたまコンビニで見かけた遠藤君が買ってたシャンプーとリンス、同じもの買って毎日それで頭洗ってるけど、たまたま香りが気に入っただけなんだもん。  遠藤君とお揃いの香りって密かによろこんではいるけど、あ、これってやっぱりストーカー?  それはさておき、わたしは慌てて教室を出た。胸にはパンがつまった袋を抱いて、遠藤君の背中を探して昇降口に向かう廊下を急いだ。 「え、遠藤君!」  勇気を振り絞って声をかけた。靴を履きかけてた遠藤君は動きを止めて、驚いたように顔を上げた。  鳩が豆でっぽう食らったようって、きっとこんな感じを言うんだろうな。だってわたしが話かけるなんてこと、今まで一度もなかったもんね。 「大木、何、どうしたの?」 「あの、あのねっ」  ぱんぱんのビニール袋を目の前に掲げながら、夕べ何度も練習した言葉をわたしはいっぺんに吐き出した。 「遠藤君、今から外のパン屋さん行くんでしょう? でもあのお店、今日臨時休業なんだって! そんでね、たまたま、本当にたまたまなんだけど、わたし今日別のパン屋で朝パンを買ったんだけど、どれもおいしそうで迷っちゃって結局選べなくて欲しいパン全部買ってきちゃったの! どうせひとりじゃ食べきれないし、遠藤君もお店閉まってるの知らないで行ってお昼休み無くなっちゃったら困るでしょう? だからたまたま余ってるわたしのパン、よかったら遠藤君が食べてくれないかな!?」  一気にまくし立てたわたしに、遠藤君はしばらくぽかんとしてた。  昨日臨時休業の張り紙を見てとっさに思いついたことだったけど、たまたまって言い訳、やっぱり苦しすぎたかな。   「め、迷惑だった?」 「いや、すごく助かるけど、ほんとにいいの?」 「もちろん! だってわたしも助かるもんっ」  前のめりに頷くと遠藤君は歯を見せて笑った。いつも遠巻きに見ていた遠藤君の笑顔に、わたしの心臓がドキッと跳ねた。 「じゃあさ、とっておきの場所あるからそこで食おうよ」  渡すだけって思ってたから、ものすごくびっくりした。頷いてついていったけど、せっかく一緒にいるのに歩いてる間なにも話せない。 「あ、なんかの飲み物買ってく? お礼にそれはおごらせてよ」  遠藤君が廊下の途中で立ち止まった。自販機には学生にうれしい格安パックジュースが並んでいる。 「じゃあ、わたしウーロン茶」 「マジでか。俺苦くて飲めんヤツ」 「遠藤君って意外とお子様舌なんだね」 「ていうかパンとウーロンの組み合わせは認めない」 「えー、口がさっぱりして合うと思うのに」  なんだか普通に会話してなくない? 遠くから見てるだけだったのが、ただのクラスメイトから会話する普通の友達に昇格だ!  そのあともくだらないおしゃべりをしながら、遠藤君は屋上までわたしを連れて行った。  立ち入り禁止の場所だから、ふたりで悪いことしてるってなんだかドキドキしてきちゃった。  (さび)付いた扉を開けて、遠藤君と屋上に出た。太陽がさんさんと照っていて、今日はちょっと暑いくらいの晴天だ。 「こっち日陰になってっから」  置かれた木箱に遠藤君と並んで腰かけた。近い距離にまたまた心臓が大きく跳ねる。遠藤君は気にもしてないようで、わたしが膝に抱える袋を覗き込んできた。  焼きそばパンにコロッケパン、カレーパンにメロンパン。ウインナーがはさまったやつも、ちょっと高かったけど奮発して買ってみた。ほかにもいろいろ選んでみたけど、どれもこれも遠藤君がよく食べてるパンだった。  え? ストーカーじゃないよ? たまたま、たまたま食べてるのが見えちゃっただけだもん。 「やべぇどれもうまそう。これどこのパン屋?」 「わたしの家のそばにあるパン屋さん。子どもの頃から良く買ってるんだ」 「へぇ、あとで場所教えてよ」  うれしすぎて大きく頷いた。また遠藤君と話ができる。今日思い切って声かけてみてよかった。がんばったわたし。えらいぞわたし。 「大木はどれにする? 俺は残ったの食べるから」 「遠藤君から選んでいいよ。わたしは全部食べたことあるし」 「でもとっておきのあんだろ?」  促されてわたしはカスタードの乗ったブルーベリーパンと、芥子(けし)の実が散らされたふっくらつやつやのあんパンを選んだ。  あんパンに鼻をうずめて匂いをかぐのが昔から好きだ。そう言ったら遠藤君に、なんだそらって笑われてしまった。 「それにしても女子って甘いやつ好きだよな」 「でもこのあんパン、中に桜の塩漬けが入ってておいしんだよ?」 「まじでか。俺それ苦手だわ」  遠藤君は真っ先にウインナー入りのパンを手に取った。わたしなら食べきるのに十分以上かかりそうなそれを、遠藤君は三口であっという間に平らげてしまった。 「本当にそんだけで足りんの? もっと選ぶ?」 「ううん、大丈夫。食べるのいつもこのくらいだから」 「まじでか」  時間があれば量も食べられるけど、何より今は遠藤君と一緒にいるってことでいっぱいいっぱいだ。 「あ、そうだ大木、金いくらかかった?」 「え? いいよ、わたしが勝手に買ってきただけだし」 「いや、食べた分はちゃんと払うし」 「別に気にしないでいいってば」 「ん、じゃあ貸しひとつってことで」  うわ、ますます仲のいい友達みたいじゃん!  でもふたりきりの時間なんてこの先二度とないだろうから、恥ずかしいけどもっとがんばれわたし!  わたしが二個目を頬張っているうちに、遠藤君は残りのパンをあっという間に平らげてしまった。  早くしないとお昼休みが終わっちゃう。  わたしはあと半分になったあんパンをせっせと口の中に詰め込んだ。うん、桜の塩漬け、やっぱりいい仕事してる! 「一口、ちっちぇー」  聞こえてきたつぶやきに、思わず食べる手を止めた。組んだ膝に頬杖をついて、遠藤君がわたしの顔を覗き込んでいる。 「あっ、ごめんね。今すぐ食べるからっ」  慌てて残りを口に放り込むと、わたしはウーロン茶で一気に流し込んだ。パンって水分含ませると、途端に面積小さくなるから不思議だよね。  ズコーとパックが勢いよく鳴って、恥ずかしくてストローから唇を離した。ガサツなオンナって思われたらどうしよう。怖くて遠藤君の顔、見らんなくなった。 「大木、あのさ……」  さっきまでとは打って変わってすごく真面目な声がした。今のでドン引きれちゃったかな。  不安で目を泳がせてるわたしのことを、遠藤君はさっきよりもうんと近くで覗き込んでくる。 「ねぇちゅうしてもいい?」 「えっ!?」  今、ちゅうって言った? 血ぃ吸ぅたろか~のちゅうとかじゃなくって、ちゅうって言ったらホントにあのちゅう? もしかしてわたしの聞き間違い? ていうかちゅうしてもいいかって、遠藤君、本気でわたしにそう言ったの?  頭ん中はもうプチパニックだ。でも金魚みたいにぱくぱくするだけで、わたしの口から言葉はひとつも出てこなかった。  はっと我に返ったように、遠藤君が自分の顔を手で覆った。口を押さえただけなのに顔半分が隠れちゃって、遠藤君大きな手だぁなんて、そんな明後日(あさって)なことをわたしは考えていた。 「何言ってんだ、俺! 完全に順番間違えたっ」  遠藤君が真っ赤になって目を逸らす。なんかもう現実感がなくなってきて、わたしは黙ってただじっと遠藤君の顔を眺めてた。 「待って、今のなし。今やり直すからちょっと待って!」  わたしに手のひらを向けて、遠藤君はすーはーと息をした。かと思ったらいきなりがっと両肩を掴まれる。 「大木、俺と付き合わない?」 「え、付き合うってどこに……?」  気づいたらそんなことを言ってしまっていた。  え、うそ、なにわたし。もしかしてとんちんかんな返事した!? 「まーじーでーかーっ!」    頭を抱え込みそうになったわたしの前で、遠藤君が先に頭を抱え込んだ。ぐちゃぐちゃに髪を掻きむしって、今度は遠藤君がプチパニックに陥ってる。 「え? 俺やらかした? 大木いつも俺のこと見てるみたいだったし、今日もわざわざパン買ってきてくれたりして、ってアレ? もしかして俺の勘違い? 嘘、マジで? 先走り過ぎて玉砕コース? えええ、そんなことならもっと作戦練ってから慎重に告ったのにっ!」  頭の処理が追いつかなくて、わたしは呆然と遠藤君を見た。 「遠藤君、それって本当? 罰ゲームとかじゃなくて……?」 「もう今まさに罰ゲーム状態だよ! 待って、今の全部なしにして。マジで本気でやり直すから、とりあえずオトモダチからよろしくお願いしますっ」  遠藤君は勢いよく頭を下げた。  「え? それってわたしとは付き合えないってこと?」  天国から地獄に落とされたみたいだった。遠藤君が目を丸くしてる。それでも目の前が真っ暗になって、あふれる涙をわたしはどうしても止められなかった。 「ご、ごめっ、泣くほど嫌だったなんて」 「ちがう。わたしも前から遠藤君がす」 「ひえっ、ちょ、ちょっと待って……!」  いきなり口を塞がれて、びっくりしすぎて涙が引っ込んだ。 「な、なんで止めるの……?」 「こういうのは男から言わないと」 「何それ、何時代の話?」 「いや、だって一生に一度の話じゃんか」 「どういう理由?」  思わず笑ってしまった。涙の残るわたしの肩を抱き寄せて、遠藤君はもう一度真剣な顔をする。 「大木、俺は君が好きです。俺と付き合ってくれますか?」 「うん、うれしい。わたしも遠藤君が大好きだよ」  爆発しそうな心臓で見上げると、顔を真っ赤にした遠藤君がいきなり屋上の硬いコンクリートの床に突っ伏した。 「え? なに、どうしたの?」 「……可愛すぎてマジでヤバイ」  ひぇっ、遠藤君、今なんつった?  今度はわたしは真っ赤になる番だった。いつの間にか復活した遠藤君が、わたしの顔を覗き込んできた。  手を引かれぎゅっと抱きしめられる。わたしの頭に遠藤君の顔が乗って、何、これってなんだかすごく恋人同士っぽい! 「大木、いい匂いする。シャンプーか何かかな」 「え? 使ってるの遠藤君のと同じシャンプーだよ?」  そこまで言ってはっとなった。 「た、たまたま、たまたまだよ。たまたま遠藤君が買ったシャンプーを、たまたまわたしもコンビニで買ったの!」 「へぇ、たまたまね。じゃあパンを買いすぎたのもたまたまってわけ?」 「うん、そう、たまたま! たまたまで絶対にストーカーじゃないからねっ」  しまった、自分で余計なこと言っちゃった。でもにやにやしてる遠藤君、なんだかやたらとうれしそうなんだけど。  「で、大木。今度こそちゅうしていい?」    真剣に問いかけられて、わたしの口がもう一度金魚になった。  返事ができずに、ぎゅっとまぶたを閉じる。  そのまま遠藤君の顔がゆっくりと近づいて……。  触れたふたりの吐息を隠すように、昼休みの終わりを知らせるチャイムが、そのとき校舎に鳴り響いた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加