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1 部活の親友
帰りのショートホームルームが終わったとたん、秋月新(あきづきあらた)は勢い良く席から立ち上がり、一目散に教室のドアを目指した。が、途中で邪魔するように級友から声をかけられる。
「今日もお迎え来てそうだな」
一年のときから同じクラスの宮尾だった。新の後ろを付いてくる。
「付き合ってんだろ、颯(はやて)と」
断定的な物言いだ。新は首を振り、「違う」とだけ返す。
「え~隠すことないじゃん。正直に言えよ」
「付き合ってねーよ」
はっきり否定して教室のドアを開ける。と、宮尾の予想通り、廊下には颯大和(はやてやまと)の姿があった。壁に背中を凭せかけている。彼を囲むようにして、女子二人が顔をあげて何か話している。相変わらずモテている。
「あらた」
すぐに新の姿に気がつき、目を合わせながら声をかけてくる。
「先に行ってて良いのに」
新は言い慣れた科白をまた口にする。
大和は気にした風もなく、二人の女子に「部活行くから」と声をかけた後、突進する勢いで新の正面にやってきた。
「なんかアレだな。忠犬みたいな」
呆れたように宮尾が呟いた。
心の中で同意しながら、自分のことしか眼中にない大和を、新は苦笑しながら見返した。
今日も大和にとって、自分は特別なのだと感じる瞬間。
彼の視線でわかる。嬉しそうに細めた目で見られると、日だまりにいるような気分になる。ふわりと持ち上がった口角は、決して自分に害を与えることはないだろうと、安心させてくれる。笑っていないときは、冷たい印象を与えるほど整った顔をしているのに。
「鍵持ってる?」
一応大和に聞くと、「もちろん」と浮かれた声が返ってくる。
「さすが大和」
軽く大和の腕を肘で突きながら歩きはじめた。
一階の昇降口を出て渡り廊下を進んだ先に体育館、その裏に体育系と文化系の部活棟が並んで立っている。
今日は日が照っていないし空気が冷たい。そのうえ、乾いた風が容赦なく吹いてくる。
「寒いなあ」
自然と呟いていた。羽織っているコートの襟もとを掻き寄せる。
「まだ寒いよな」
大和も両手をすり合わせている。
今日は二月四日――立春だ。暦の上では春が始まる日だというが、まったくそんな兆しはない。真冬という感じ。
新と大和が文化部棟の階段を上っていると、向かい側の二階から声が飛んできた。
「秋月~発情期(ヒート)来た?」
テニス部の高橋だった。コンクリートの手すり壁に体を乗り出すようにして、手を振っている。彼とは一年のときに同じクラスだった。そこそこ仲が良かった。
「まだ来てない」
平然と答えながら手を振り返す。こういう、挨拶代わりの冷やかしには慣れている。
「ええ、まだなんだ。遅くない?」
「どうかな、わかんない。このままずっと来なきゃ良いけど」
適当に返事をして、残りの階段を上る。一段遅れて大和が新に続く。右頬に視線を感じて、ちらりと大和の顔を見る。彼はもの言いたげな表情を浮かべていた。
「なに?」
「今の本当?」
「何が? ヒートならまだ来てないけど?」
「来なきゃ良いって」
大和の元気のない声に、なんだか苛ついた。
「当たり前じゃん。来て嬉しい事なんて一つもない」
自分はまだ学生で、妊娠なんて一切望んでいない。大学受験も控えているし、勉強の邪魔になる発情期なんて、迷惑以外の何者でもない。
「ええと、今日は火曜日だから視聴覚室だな」
不自然なほど明るい声が出たが気にしない。浮かない顔をしたままの大和に笑いかける。そうするだけで、彼の機嫌が上向きになることを知っていた。
二階の廊下を進み、隅っこの部屋のドアを鍵を使って開ける。ここが、二人が所属するアコースティックギター部の部室だった。
六畳一間の殺風景な室内に入り込む。置いてある物は少ない。ギタースタンドに収まったギターが四本、あとは、床に置かれたままの開きっぱなしのスコアが数冊。
「それともここで弾いちゃおっか。俺たちだけなら狭くないし」
「そうだね」
残りの部員ニ人は、いつも来るのが遅いのだ。無断で休む事も多々ある。
ふたりは床に胡座をかき、向かい合わせになってギターを構えた。ヘッドにチューナーを挟み、六弦から音を合わせていく。弦を弾きながら、チューナーの表示を確認し、ペグを少しずつ回して微調整。チューニングは正直、面倒だ。さっさと弾きたい。だがこれを行わないと、セッションで音がずれる。逸る気持ちを抑えて、しっかり一弦まで終わらせる。と、ちょうど大和もヘッドからチューナーを外していた。
「ほんと、早くなったよな。チューニング」
感慨を覚えて呟く。一年と十か月前――ギターを始めたばかりのときは、チューニングに今の三倍以上時間を費やしていた。
「だな。今は岡さん並?」
形の良い唇を綻ばせて大和がいう。見入ってしまいそうになり、新は慌てて視線をサウンドホールに移す。
「や、チューナー使うのは俺たちのほうが慣れてるかも」
いつも気持ちの良い接客をしてくれる岡の姿を思い浮かべる。三十代前半の、少しチャラい印象を与えるスレンダーなイケメン。彼はギター歴二十年のベテランで、店が暇なときは持っている技術を勿体ぶらずに披露してくれる。気まぐれでセッションに応じてくれたときは、嬉しくて飛び跳ねたくらいだ。そんな彼だが、チューナーを使ったチューニングは、そこまで速くない。普段、自分の耳でやっているからだろう。
「じゃ、クラプトンやろ」
言いながら、新はシェイクハンドでギターを構え直し、右手で六弦を弾く。次いで左手の親指で六弦二フレットをきゅっと押さえる。出だしで綺麗な音が出て嬉しい。三音目で大和が合流してくる。滑らかで柔らかい音だ。大和の気質が表れている気がする。
自然と頬が緩む。お互いの奏でる音が絡まって、ときにほぐれて、でもすぐに重なる。 大和のほうを見る。と、彼も正面――つまり新のことを見ていた。目が合う。眼差しは優しくて、新を安心させてくれる。なのに己の胸の鼓動は勝手に速くなってしまう。
普段なら目を逸らす。でも今はそうしない。微笑み返して演奏を続ける。
――ずっとこうして、二人で弾いていたい。
二人だけで。お互いの奏でる音を重ねて。終わることなく。
しかし終わりは来る。必ず来るのだ。
自分に言い聞かせる。厳しい現実を。
瞬きをすると、淋しそうに笑う母の姿が脳裏に浮かんだ。
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