10誕生日、八月十六日

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10誕生日、八月十六日

 八月十六日の正午過ぎ。  新は初めて、大和の家に訪れていた。  彼の住所は、新と同じI市であるものの、だいぶ距離が離れている。いわゆる『山の手』と言われる一等地に位置していて、周りの一軒家より倍以上の敷地に立っていた。  レンガ造りの二階建ての豪邸を見上げながら、幅広い小道を抜けて、玄関のドアの前に立った。場違いな感じがしてそわそわする。  インターフォンを押すと、十を数えるより早くドアが開いた。大和が姿を現す。 「あらた」  嬉しそうに微笑みながら、早く入りなと声をかけてくる。  お邪魔します、と言いながら、広い三和土に足を踏み入れる。靴は一足しか置いていない。大和のスニーカーだけ。 「ご両親は?」 「いないよ。今年の春から、父親が海外赴任になって――母親も一緒にあっちに行った」 「え、そうなん?」  初耳だった。そんな状況になっているなんて。大和の父親は大手メーカー勤務だと聞いたことがある。 「どこの国に?」 「スイス。支店があって、そこに一年はいるらしい」 「そうなんだ」 「海外赴任は初めてじゃないし、俺も留守番には慣れてる。お手伝いさんも来てくれるし」  へえ、としか返せない。なんだか住む世界が違う気がして。 「ピザ頼んでおいたんだ。すぐに来るよ」 「ありがとう」  リビングに通され、テーブルの椅子に座る前に、持ってきたコンビニ袋を大和に渡す。手ぶらじゃ悪いと思って、スナック菓子とペットボトルのジュースを買ってきた。 「ありがとう。あとで食べよう」 「うん」  もっと良いものを持ってきた方が良かったかな、と思っていたが、「俺もこのスナック好きだ」と大和が言ってくれて、ホッとした。  すぐにピザの宅配が来て、お腹が膨れて動くのがしんどくなるほど食べた。Mサイズを三枚も頼んでいたのだ。  ピザのあとは、大和があらかじめ買ってきてくれていたショートケーキを一ピースずつ食べた。その後は、リビングの中央に設置されたソファに移動して、並んで座った。  大和がリモコンでテレビをつけた。食品のCMが流れている。音は控えめだ。 「これ、誕生日プレゼント」  少し落ち着かない様子で、大和が包装された箱を手渡してくる。細長い箱だ。 「ありがとう」  両手で受け取って、「開けて良い?」と一応尋ねる。良いよと返されてから、丁寧に包装紙を剥がして箱を開けた。 「あ、シャープペン?」  光沢のあるネイビーのボディに、金属のペン先。少し上品な感じがする。くるっと回してみると、シルバーの色で、ローマ字が刻印されているのに気が付いた。 『Arata Akiduki』 「名入れ? すごいな」  もともとシャープペンは欲しかったのだ。更に名前を入れて、特別な一本に仕立ててくれた。 「気に入ってくれた?」  緊張した面持ちで聞いてくるので、よけい嬉しくなった。嬉しいに決まっているのに。 「気に入ったよ。大事に使うよ」  勉強が捗りそうだ。好きな人から貰ったシャープペンを使うのだから。 「良かった。色々考えたんだ。プレゼントどうしようって。チョーカーも考えたんだけど、ちょっと重いよな」 「チョーカー?」 「項を噛まれるのを防止するやつだよ。でもそういうの、新は嫌がると思ったから」 「あ――うん、そうかも」  発情期を迎えたΩは、大概がチョーカーを首に巻いている。不本意な番契約を逃れるための自己防衛的なアイテムだ。  自分もいつか、それを買う日が来るだろうとは思っている。だが、恋人に贈られるのは少し重い感じがする。  ――大和って、俺の事よく分かってるよな。 「なら良かった、これにして。俺の誕生日のときに新がボールペンをくれて嬉しかったからさ。シャープペンにしたんだ」 「そうなんだ。嬉しい。ボールペン気に入ってくれてるなら」  大和の誕生日は二か月前だった。そのとき自分も、プレゼントに何を贈ろうか悩みまくった。アクセサリーや香水なども考えたのだが、身に着けるものは親密すぎる気がしてやめた。ボールペンならバランスが良いと思った。必要なときに使って、少しでも贈り主のことを思い浮かべてくれればと。 「沢山使おっと」  貰ったばかりのシャープペンを指で回す。 「学校には持って行かない方が良いよ。名前が入ってるから」 「え?」 「自分で買った物じゃないってバレるだろ。そしたら、誰から貰ったのってなるから」 「ああ、そうだね」  二人が付き合っていることは、まだ周りには秘密なのだ。もう大丈夫な気はするのだが。  宮尾が言っていた二年に編入してきたΩは、今のところ大人しくしているようだ。変な噂は流れてこないし、今まで顔を合わせたこともない。学年が違うから、そう滅多に遭遇することもないのだ。 「大和は俺以外のΩと会ったことある? 親以外で」 「あるよ。親戚に何人かいるから。でも、すでに番がいる人だったから、こっちは何も反応しなかったよ」 「そっか」  Ωが番を作れば、番以外のαをフェロモンで誘うことはなくなるのだ。自分も早く、番を作った方が良いのかもしれない。できれば相手は大和が良い。いや、絶対に大和が良い。  でも今ここで、それを言うのは憚られる。まだお互い十八歳で、結婚を考える年齢ではない。もっと長く付き合ってから気持ちを伝えれば良い。 「前にも言ったけど――二年のΩには会わないように気を付けてね」  やはり自分以外のΩと恋人が遭遇するのは嫌だと思う。万一惹かれ合うようなことがあったら、と不安になる。怖い。 「大丈夫だよ。二年の階には上がらないようにしてるし。ちゃんと考えて教室の移動もしてるから。新も俺以外のαと会わないようにしろよ」 「俺は大丈夫だよ。まだ発情期が来てないんだし」  発情期が来ていないΩは、αと遭遇しても体が反応することはない。運命の番でもない限り。  なんとなくお互い無言になった。 「あらた」  耳元で囁いてくる声は優しくて甘ったるい。付き合い始めた頃よりも、少し大人っぽくなった気がする。声が、口調が。  近づいてくる顔に、自分の顔を寄せる。その刹那、大和に唇を吸われる。ちゅっと可愛い音がする。  何度もキスを繰り返していると、顔が火照ってくる。これ以上キスをしていたら、股間が反応してしまいそうだ。慌てて顔を離した。とたん、背中に大和の腕が回ってきた。ぎゅっと抱き竦められ、少し苦しい。でも嬉しくて、抱き返す。  鼓動が高鳴り、額に汗が浮いた。クーラーをつけていても暑く感じる。 「ごめん、新は発情期が来るの嫌なのに――俺は早く来て欲しいって思う」  ため息を吐きながら、大和がゆっくりと新から体を離した。名残惜し気に。  辛そうに顔を歪めているのは、欲望を無理やり抑え込んでいるからだ。分かってはいるけれど、応えるのは難しい。  今ここで、欲望に任せてセックスしたら、発情期を誘発してしまうかもしれない。そうなったら、今までの我慢が水の泡になる。抑制剤が効けば普通に日常生活を送れるかもしれないが、母のように薬が効かない体質だったら、思うように受験勉強ができなくなる。  やっぱりあの時、セックスしなければよかったと後悔したくない。少しでも大和のことを恨むことになったら嫌なのだ。  大和がまだ、呼吸を繰り返して興奮を静めようとしている。罪悪感が込み上げてくる。 「発情期が来たら、たくさん抱いて欲しい」  羞恥心を抑え込んで、恋人の耳元で囁く。本音だったが、機嫌を取りたい気持ちもあった。 「――早く来ないかな」  大和が困ったように笑いながら、新の額に口づけてきた。
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