12お揃いのピック

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12お揃いのピック

 鎮静剤を打ってから一時間後に大和は目を覚ました。ぼんやり天井を眺めたあと、軽く新を一瞥してきて、顔を強張らせた。青ざめていく。 「あらた」  掠れた声で呼びながら、新の手を握ってくる。縋るように。 「ごめん、新。俺あのとき、どうかしてた」  記憶がどっと押し寄せてきたのだろう。彼は混乱したように顔を震わせ、許しを請うように新の目を見つめてくる。 「ここにいるのが俺で、よかった?」  もしここにいるのが、あの運命の番だったら。大和はどうしているのだろう。また抱きつくのだろうか、彼に。目を潤ませて、熱い吐息を漏らして。  ダメだ、どうしても嫉妬してしまう。あの光景が目に焼き付いて離れない。 「当たり前だろ。新が良い。新がここにいてくれて嬉しい」 「――さっきああなったのは、運命の番に会ったから?」  あえて尋ねた。うやむやにして終わらせるわけにはいかない。 「そうだと思う。あんなこと初めてで、わけが分からなかったけど。この人だって、もう一人の自分が脳に呼びかけてくる感じだった。体が急に熱くなって勝手に動いてたんだ」 「そう……」  言い淀むことなく肯定され、胸が苦しくなる。本人たちの意志とは関係なく、強制的に体が引き寄せられてしまう現象が確実にあるのだ。永久磁石のように、運命のαとΩは――。 「ライブはどうなった?」 「さあ……それどころじゃなくなって、俺も分からない。歩けるなら音楽室に戻る?」  ギターを置いたままだし、片付けを後輩に押し付けるのも良くない。できれば戻りたい。 「歩けるよ。早く戻ろう」  ライブを再開しているとしても、すでに終わっている時間だ。今年の文化祭は発表できずに終わった。もう、どうでも良いけれど。  養護教諭に大和が起きた旨を伝えると、体温と心音を測られた後、大丈夫でしょうと診断された。念のため早く帰った方が良いと、早退を勧められる。 「俺もその方が良いと思う。早く帰ろう」  大和と一緒に保健室を出る。と、高橋の背中にぶつかりそうになる。彼の隣には宮尾が立っている。彼らは誰かと小競り合いをしているようだった。 「なに、どうした?」  新が声をかけると、二人の背中に隠れていた誰かが、顔をひょこっと出してくる。  大和の運命の番だった。 「颯大和って言うんだって?」  大和の姿を目にしたとたん、彼の双眸が喜びで輝いた。 「俺は環――井坂環。二年だけど、年は大和と同じだよ」  少し高めの澄んだ声で、勝手に下の名前を馴れ馴れしく呼び、大和に体を寄せてくる。 「やめろ、近づくな」  大和が険しい顔になって、拒絶の言葉を放つ。鼻に手を当てた。 「大和?」  不可解そうに、環が眉を寄せた。 「俺と大和は運命の番なんだよ。分かってるよね。さっきあんなに激しく求め合った」  本当に、なぜ拒まれているのか分からないようだった。結ばれるのが当たり前だと信じ切っているようだ。 「俺はこの人と付き合ってるんだ」  大和がはっきり言い、新の手をぎゅっと握ってくる。 「だから井坂とは関わりたくない。今後ずっと、一生」  彼の横顔が、心苦しそうに歪んでいる。罪悪感があるのだろうか。運命の番を拒絶することに。それとも断りたくない気持ちが多少あるのだろうか。新がいる手前、厳しい口調で彼を遠ざけようとしているだけで――。  ――ダメだろ、疑っちゃ。俺たちは付き合ってるんだから。  出会ってから二年以上の歳月を経て、ようやく恋人になれたのだ。ちゃんと二人の間に絆が築かれているはず。大和に運命の番が現れたからと激しく動揺するのは、彼を信じていないことと同義だ。  ショックというより、困惑した表情を浮かべていた井坂が、名案を思い付いたように破顔した。 「別れれば良いじゃん。今すぐに」  あっけらかんとしたその口調に、首筋がぞわりとする。話が通じない相手だと感じた。 「なに言ってんだよ。運命の番とか馬鹿じゃねえの。さっきの場面見てたけどさ、ただヤりたくて盛ってただけだろ」  高橋がいきなり口を挟んだ。怒り心頭な面持ちで。 「お前こそなに言ってんの。βのくせに、俺たちのことに口出しするなよ」  馬鹿にした口調で、井坂が高橋に応酬する。気が強い性格のようだ。  新は息を吸い込んだ。 「俺たちは別れないよ」  しっかり井坂の顔を見つめて、宣言する。 「行こう、大和」  大和の手を強く握り返して歩を進める。待って、と荒んだ声を上げる井坂を、高橋と宮尾が押さえつけ、保健室に連れて行く。 「お前も一応、診てもらわないとな」 「大丈夫だって! さっき抑制剤打ったから!」  わあわあがなり立てている彼を気にしながらも、新たちは音楽室に向かった。  予想通り、ライブは終わっていた。部員四人が椅子を二脚ずつ持って、隣の教室に移しているところだった。 「ごめん、ライブがあんなことになって」 「俺のせいで台無しになった。ごめん」  新と大和が声をかけると、彼らは動きを止めて「仕方ないですよ」と理解を示してくれた。 「颯先輩の運命の番だったんですよね、あの人」  興味津々な様子で後輩たちが喋り出す。  めっちゃ綺麗だったよな、さすがΩだよな、男なのあれで、と、井坂の容姿を褒め称える内容が多かった。 「運命の番だけど、関わるつもりはないんだ」  大和がきっぱりと言って、これ以上もうその話題はやめて、と付け加えた。  勿体ねえ、の声が響く中、大和がステージだった場所に足を運んだ。新たちのギターが二台、並べて置いてあった。その場に屈みこみ、首を動かしている。 「何か探し物?」 「ピックを落としたんだ。この辺に」 「ああ――そうだったね」  またさっきの場面がフラッシュバックしそうで、新は唇を噛んだ。早く忘れなくちゃ、と自分に言い聞かせる。 「おかしいな――落ちてない」  焦った口調になって、大和が立ち上がる。 「サウンドホールに入っちゃったのかもよ」  今度は新が屈んで、二台のギターの空洞を調べる。が、どちらにもピックは入っていなかった。いよいよ行方不明の色合いが濃くなった。もしかしたら、ライブの観客が見つけて持って行ってしまったのかも。そんな考えが過ったときだった。 「あ、もしかしてピック探してます? それならピアノの上に置いときました」  後輩の声掛けにホッとする。紛失じゃなくてよかった。  大和がグランドピアノに走り寄って、蓋の端に置いてあったピックを手に取った。 「良かった」  心底安堵した表情を浮かべ、新に笑いかけてきた。  胸がきゅっとなる。二人で買ったお揃いのピックを、とても大事にしてくれているのだと分かって。  ――なんで俺たちは、運命の番じゃないんだろう。  初めて会ったときから気が合った。お互い好感を持って、一緒にいたくて一緒にいた。そんな日々を積み重ねて、好きな気持ちがどんどん膨らんで、もっと幸せになれると思っていたのに。  ――大丈夫だ。大和はちゃんと断ってくれた。  そう思うのに、不安が拭えない。  井坂が簡単に大和を諦めるとは思えない。また大和に追いすがる姿が目に浮かんでしまう。  スラックスに手を突っ込み、水色のピックを取り出す。手に包んでぎゅっと力を籠める。  でもそんなことをしても、胸に染み込んだ恐れと焦燥は、少しも薄まることがなかった。
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