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13裏切り
文化祭二日目――最終日も、ほとんど大和と行動を共にしていたが、意外にも井坂環が目の前に現れることはなかった。
翌日の日曜日は、午後の二時間だけデートした。ファストフード店で昼食を一緒に食べ、苦手な数学を大和に教えてもらった。
振替休日の月曜日は、大和が忙しくて会えなかった。母親が一時帰国するから自宅で待つという。帰ってきたら一緒に病院に行き、α用の抑制剤を処方してもらう、とのことだった。
ラットを経験したαは、Ωのフェロモンに敏感になるという。これからは、運命の番はもちろん、発情期を経験したΩ全般のフェロモンにも警戒しなくてはならなくなる。
それならば、自分にも早く発情期が来れば良いのに、と思う。恋人の自分が大和をフェロモンで誘えないなんて理不尽だ。
――もうセックスしても良いのかな。
これ以上、大和に我慢させたくないし、自分の我慢も限界まで来ている気がする。ちゃんと避妊して行えば良いし、それがきっかけで発情期が来るなら願ったり叶ったりだ。
――受験勉強はちゃんとしなきゃだけど。
出来るだけ良い大学に入って、給料の良い仕事に就きたいのだ。これまで女手一つで育ててくれた母親に恩返しがしたいし、彼女を安心させたかった。福利厚生のしっかりした大企業なら、Ωの事情にも寄り添ってくれるし、長く仕事を続けられる環境が整っている。
「でもやりたい事ってないんだよな……」
心の中だけで呟いたつもりなのに、声に出てしまった。
「あ? なんだよ」
宮尾が怪訝そうな顔をして聞いてくる。スマホを机に置いて。
今は放課後だった。火曜日の。大和が進路指導の教員と話し終わるのを待っている。
学校帰りに気分転換にカラオケでも歌いに行こうと、宮尾を含めた三人で約束しているのだ。
「いや……あのさ、俺って将来やりたいことが決まってなくて」
とりあえず良い大学に入りたいという、目先の目標しかないのだ。なんだか情けない。大和は弁護士になりたいから、T大法学部に進学したいという。宮尾は家業の税理士事務所を継ぎたいから、税理士を輩出している私立の商学部を志望している。
「とりあえず大学行っとかないと、みたいな」
「別に良いんじゃん、それで。四年の間にやりたいことが見つかれば」
見つからなくても、普通にリーマンになれば、と宮尾がつまらなそうに言った。
「そんなもん?」
「そんなもんだろ。俺は小さいころから親に洗脳されてたからな。家業を継ぐしかないってさ。まあ良いけど――それより遅くない? 大和の奴」
そう言われてみれば。三十分以上待っている。
「荷物持って、進路指導室で待ってよう。その方が時間短縮になる」
宮尾の言う通りだ。そこで待っていれば、大和が教室まで来る手間が省ける。
進路指導室は別棟の一階にある。視聴覚室の隣だ。
連絡通路を渡り、別棟入ってすぐの場所にある進路指導室の前に立つ。ドア窓から中を覗く。だが、大和の姿はなかった。
宮尾がノックをしてからドアを開け、中にいる進路指導の先生に声をかけた。
「すみません、颯が相談しに来たと思うんですけど」
「ああ、さっきまでいたけど」
先生が腕時計を見ながら、「十分前に終わったよ」と告げてくる。
十分も前に。トイレにでも行っているのだろうか。それとも――嫌な予感がした。直感だった。
「とりあえず教室を片っ端から探すか――先にトイレかな」
宮尾に相談したときだった。隣の視聴覚室の前に、ギター部の後輩が立っているのが見えた。一年生の部員が二人。どちらもまだ、中学を引きずったような幼い顔つきをしている。
「何してるの、こんなとこで」
彼らに近くまで行き声をかけると、「待ってるんです」と答えてくる。
「何を」
「中で颯先輩と井坂先輩が話してるから、終わるのを」
「え」
予想外のことを言われ、頭がついていかない。なぜ二人がここで話を?
宮尾が先に動いた。ギター部員を押し退けて、ドアを開けた。とたん、聞こえてくる。
――ハッハッハッ……
せわしない息遣いの音。まるで犬のような。
嫌な予感はもちろんあった。でも確認せずにはいられなかった。宮尾に続いて新も視聴覚室に入った。
巻かれたプロジェクターの下に、二人がいた。床で重なっている。下半身をむき出しにした状態で、大和が井坂に覆いかぶさっていた。腰を激しく揺すっている。
「ああ、ああっあ!」
女のように甲高い声が上がった。細い脚が大和の背中に巻き付けられる。
むわっと漂ってくる獣のような臭い。肉がぶつかり合う音と、粘膜の擦れ合う音が混じって聞こえてくる。
彼らは第三者の侵入にも気が付かない。夢中でお互いを貪り合っている。
声を上げたいのに、喉が開かない。体が硬直して動けない。全身から血の気が引いていく。膝がガクガクと震えた。
「颯! 正気に戻れ!」
宮尾が声を張り上げた。急に機敏に動き出す。
まぐあう二人の元に駆け寄り、大和の両肩を掴んで引っ張ろうとする。が、なかなか彼の体は持ち上がらない。
また耳障りな嬌声が上がった。
「秋月! ぼうっとしてるな! お前の彼氏だろっ! お前らも手伝え!」
宮尾がこちらを振り返りながら叫んでいる。
――そうだ、俺が止めなきゃ、誰が止めるんだ。
まともな思考が戻ってきたと同時に、体が動いた。大和の右腕を両手で掴んで引っ張り上げる。
「大和!」
大声で名前を呼んだ。
「正気に戻って、大和!」
何度も叫ぶ。目からは勝手に涙が出た。
大和の体から力が抜けた気がした。
下を向いたままの彼の首をひっつかんで、無理やり自分に向けさせた。焦点の合っていない目に、己を映す。
「大和」
ぎらついた双眸に、理知的な光が戻ってくる。
「あらた」
ようやく我に返ったようだ。
大和が自分の下半身に視線を落とし、動きを止めた。慌てたように腰を捻って、井坂との結合を解く。ぐちゅっと粘着質な音がした。
引き抜かれた性器は、まだ硬度を保っていた。が、急速に萎えていく。
「俺は――なんてことを」
掠れた声で大和が呟いた。
「お前らは保健室に行って先生呼んで来い」
宮尾がまた叫んだ。離れた場所で呆然としている一年の後輩たちが、ようやく我に返って動き出す。
井坂はうっとりした目で微笑んでいる。宮尾に羽交い絞めにされながら。
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