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15裏切りの経緯と、大和からの手紙
発情期一日目は、母に抑制剤を没収され泉のように湧き出る性欲を止めることができなかった。ひたすら自慰を繰り返す。少しでもサボれば性器に熱が籠って、体が焼き切れそうになる。自分で触ったことも無い後孔も、急に覚醒したように間断なく疼いた。
「はあっ……あ、あ、あ」
最初こそ、肛門に指を入れることに抵抗があったが、熱い掻痒感を静めるためにはこれしかないと諦め、一本だけ、と挿入したら抑えが効かなくなった。勝手に排出される粘度のある体液のおかげで、内部も蕾もしっかりと潤っており、異物を異物だと察知する機能も喪失していた。三本指を挿入し、激しく抜き差しを繰り返す。空いた手で陰茎を擦り続けていると、びゅっと勢い良く白濁が飛んだ。何回目なんかなんて分からない。途中で数えるのをやめた。
布団は汗と精液と後孔から出る愛液で、ぐっしょりと濡れている。乾いている場所が一切ない。ゴミ箱に入りきらない使用済みのティッシュが、畳の上で山になっている。一つじゃない。ラクダのコブのように連なった山だ。
「母さん、もう抑制剤くれよ。我慢できない」
部屋のドアを叩きながら訴えるが、ドアの向こう側からは厳しい声が聞こえてくるだけ。
「我慢しなさい。今日は薬が飲めない状態の発情期を経験するの。明日からは飲んで良いから」
母は自分の決めたことは必ず全うする人間だ。息子がどれだけ辛いと訴えても、同情で行動を変えることはないだろう。
裸の体を布団に横たえると、肌が敏感に反応を示す。シーツが擦れるだけで痺れるような快感が弾ける。
朦朧としながら、自慰を再開する。体を楽にするために射精する。射精したくて自慰に耽る。ただそれしかしない獣に成り下がる。
夜中になり、やっと気を失うようにして眠って、一日目が終わった。
二日目は、決まった用法、用量をきちんと守るという条件で、抑制剤を服用した。飲んだ一時間後から、少しだけ体が楽になる。熱い疼きは体に燻っているものの、自慰の回数を減らしても、飢餓感で気が狂いそうになることはない。
――良かった。多少は抑制剤が効く体質みたいだ。
少しホッとした。が、薬を服用して三時間で効き目が切れ、また盛りの付いた猫のように自慰を繰り返すことになった。
三日目、四日目と日にちが経つにつれ、性欲ではち切れそうだった体から熱が引いてきた。自慰は必要な状態だったが、まともな思考が少しずつできるようになってくる。
五日目になると、肌の敏感さがだいぶ治まり、服を着られるようになった。トイレ以外にも部屋から出ようという気になり、台所で食事を摂れるようになった。風呂にも入れる。
発情期の二日目までがとくに辛い。それを乗り越えれば、楽になってくる、ということを学んだ。
「母さん、もうだいぶ落ち着いてきた」
日中のパートを終えて帰ってきた母に喜び勇んで報告する。と、彼女の後ろに叔父がいることに気が付いた。
「あ、叔父さん、久しぶり」
叔父はβだからと、油断していた。フェロモンが出るわけじゃないから、自分が欲情するわけがないと。だが、それは違った。
彼が近づいてきて、「大丈夫か」と頭を撫でてきた瞬間に、全身が快感で痺れ、性器が勃起した。後孔がぐじゅぐじゅと湿り気を帯び、男を欲しがって蕾がヒクヒクと収縮する。
テーブルに手をつき、荒くなった呼吸を整えて、正気を保とうと努力する。
「大変そうだな」
叔父が不憫そうな目で新を見ている。
――可愛そうだと思うなら、抱いてくれれば良いのに。
硬く反った陰茎で、たくさん中を突いてくれれば、気持ちよくなれるのに。体の熱が収まるのに。
そこまで考えて驚愕する。何を馬鹿なことを。血のつながりがある叔父相手にまで欲求を覚えるなんて。
叔父はすぐに帰った。
新がいつもの暮らしに戻れたのは、発情期開始から八日後だった。
朝食が始まったとたん、母が話し出した。
「今日から学校に行けるけど、念のため抑制剤は飲んだ方が良いわね」
「うん、飲むよ」
すっかり体から性欲が抜けきっているが、それでも不安はある。もう発情期を経験してしまった今、αのフェロモンを察知できてしまうのだ。いつどこでαとすれ違うか分からない。反応して欲情してしまうかもしれない。外出するのが怖くなる。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。発情期以外では、必要以上にαに欲望を抱くことはないから。フェロモンを飛ばすこともないし。普通にしてなさい」
好きな人のフェロモンには敏感になるけどね、と嬉しくないことを母が付け足した。
じゃあ大和と一緒にいたら、いつ性欲が刺激されるか分からないじゃないか。
「で、大和くんとはどうするの。別れるの? 許すの?」
じっと新の顔を見ながら、母が問いかけてくる。
「今すぐ許すのは無理だけど――別れる決意もできないから」
別れない、と呟いた。
「大和も被害者の部分はあるし」
大和は嵌められたのだ。どうしてあんなことになったのか、アコースティックギター部の後輩から説明のLINEが入っていたのだ。そのメッセージを読んだのは昨日の夜。それまではスマホの電源を切っていたから。
『颯先輩が秋月先輩と付き合ってたなんて知らなかったんです。ごめんなさい』
まずは謝りのメッセージから始まった。
『視聴覚室でギターの練習をしてたら、急に井坂先輩がやってきて、俺たちに頼んできたんです。颯先輩とどうしても二人で話がしたいから、ここに呼んで来て欲しいって。凄く切迫した感じだったから断れなくて、ちょうど隣の進路指導室から出てきた颯先輩に声をかけたんです。Fコードがうまく押さえられないから見本を見せて欲しいって。正直に井坂先輩が待ってるって言ったら来てくれないだろうと思って』
Fコードか、とメッセージを読んで苦笑してしまった。優しい大和は、疑うことなく後輩の頼みを快諾したのだろう。彼自身も、ギターを始めた頃にFコードで苦労したから。新もそうだった。Fコードを完璧に押さえるには、それなりの練習と慣れが必要なのだ。
『視聴覚室に井坂先輩がいることに気が付いて、颯先輩は出ていこうとしました。でも、井坂先輩が追い縋って、どうしても二人で話がしたいって泣きながら訴えてました。颯先輩が二人きりじゃ危ないって断ったら、井坂先輩が今から抑制剤を打つからと言って本当に注射器を服の上から打って、それならってなりました。井坂先輩が、話を邪魔されるのが嫌だから部外者が来ないようにドアの外に立っててと頼んできたのでそうしました』
抑制剤だと言って打った注射は、ヒート誘発剤だったのだろう。そうとしか考えられない。ドアの外に後輩たちを配置したのは、見張りをつけたかったからだろう。二人の行為を邪魔されないように。
周到な計画を立てて、大和を手に入れようとしたのだ。運命の番の井坂は。
「きっと良い方向に進むわよ。大和くん、良い子だから」
「うん」
「別れないつもりなら、これ渡しておくわよ。新が部屋に籠ってたときに、一度大和くんが家に来たのよ。会わせて下さいって頼まれたけどね、あんな状況じゃ無理だったでしょ。で、手紙を預かったの」
白い封筒を差し出される。新は箸を置いて、両手で手紙を受け取った。
「ありがとう」
手紙なんて、滅多に貰えない。素直に嬉しい。自然と口角が上がる。
「――発情期ってほんと凄いわね。あんた変わったわよ。絶対男にモテるようになる」
母がいたずらっぽく、くすくすと笑った。
部屋に戻ってパジャマから制服に着替え、登校する準備をしてから、手紙を開いた。
『新へ
傷つけて本当にごめん。
俺と別れたいと思っているかもしれないけど、俺は別れたくないです。どうしても嫌です。
好きです。
愛しています』
すべてを読んだあと、新は複雑な気分になった。泣きたいような笑いたいような。
目に浮かんでしまったのだ。新を引き留めようと、必死になってこれを書いている大和の姿が。
愛しているって。高校生の自分たちにはまだ早いし、重いと思うのに。
それでも書かずにはいられなかったのだろう。どんな言葉が相手に響くかなんて計算できなくて。陳腐な言葉しか紡げなかった。
そんな純朴なαが、愛おしいと思った。
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