4Ωということ

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4Ωということ

 三月中旬。学期末試験最終日。試験を終えて開放感に浸りたくなった新と大和は、部活用のギターを背負って、学校近くの大きな公園に向かった。道の途中、駅前に停車している移動販売でクレープを購入する。二人はいつもわざと違うものを頼む。  大和は総菜系――今日はソーセージポテトコーンだ。新はデザート系のチョコバナナにする。ホイップもカスタードクリームも無し。大和がそこまで甘いのを好まないからだ。  店の前で立ち止まったまま食べようとすると、大和が声をかけてくる。 「先にこっち食べれば」  零れ落ちそうなほどソーセージが盛られたクレープを、ズイと新の口元に持ってくる。まだ一口も食べていない物を。 「え、いいよ。大和が」 「甘いのを食べたあとに総菜系って順序が違うだろ。早く一口」 「そう? じゃあもらう」  お言葉に甘えることにする。大和の手に顔を寄せ、薄紙を少し剥がす。ふわっと焼き立ての生地の匂いがした。口を最大限に開いて、ポテトサラダとソーセージを生地ごと頬張る。ちょっと欲張りすぎた。顔がパンパンだ。 「リスみたいになってる」  大和が目を細めて笑った。  口を閉じたまま、ソーセージを嚙み砕く。パリッとした触感のあと、じゅわっと肉の旨味が溢れた。さっぱりしたポテトサラダと絡んで、さらに美味しく感じた。  もぐもぐ口を動かしているうちに、大和が自分のクレープを一口二口とすいすい食べていく。口の大きさも、食事の速さも違う。大人と子供みたいだ。  ――間接キスとか。気にならないのかな。  毎回こうやって、食べ物をシェアするたびに思う。誰とでも平気なのか、自分だけ特別なのか。後者だろうと判断している自分は、思いあがっているのだろうか。 「俺のも食べなよ」 「最後の一口で良いよ」 「うん」  口の中が空っぽになってから、自分のチョコバナナクレープを頬張る。 「あ、ついてる。ケチャップ」 「え」  顔を上げると、大和の人差し指が、新の口元に触れてくる。ケチャップを掬い取って見せてくる。 「食べるの下手だな。口が小さいからかな」 「不器用なだけだろ」  口の中にクレープを入れたまま話す。視線は大和の指に向かってしまう。  大和がケチャップの付いた指をペロッと舐めた。  ドクン、と鼓動が大きく鳴った。一瞬で顔が熱くなる。  大和はこうやって、大胆なことを平然とやってのけるのだ。新への好意を隠そうとしない。むしろ見せてこようとする。 「早く公園行こ」  駅から徒歩一分の公園だ。緑が豊かで、噴水もあって、きれいな空気を吸える場所。あまり込んでいなくて、ギターを弾いても苦情が来ない。楽器演奏が禁止されていないし。  残りは食べながら歩く。公園に着くまでの間、道行く人たちに何度もチラチラと視線を投げられた。大和がイケメン過ぎるからだろう。  ――なんで俺のこと好きなんだろう。  Ωだから? それは違う、と思いたい。だって自分は違うから。大和のことを好きになったのは、彼がαだからじゃない。αじゃなくたって好きになっていた。こうやってずっと一緒に過ごしていたら、好きにならずにはいられない。  自分がΩだということを周りに言わない方が良かったかもしれない。そうすれば大和に伝わることもなかった。彼がαだということも知らずに済んだ。ただの男として、友達として過ごして、その先に芽生えた恋愛感情だと、自分の気持ちに自信が持てたのに。大和の好意も、もっと素直に受け取れたはず。  新の第二の性が校内で明るみになったのは、入学してから半年以上経過したときだった。それまでは友人たちと第二の性の話をする機会がなかった。というより、それを話題にすることを学校が禁じていたのだ。差別や虐めが起きないようにと。そういう環境だったから、わざわざ自分からは言わなかった。  たまたま友人のうちの誰かが、Ωの芸能人が好きだと話したのがきっかけだった。 「確かに、Ωだと男でもきれいだよな」  他の友人が相槌を打ち、違うΩの芸能人にも話が及んだ。最後には身近なΩの話題になった。 「俺、実際にΩの男は見たことないな。みんなある?」 「ないなあ。本当にいるのかな。全体のΩの十五パーセントって話だよな」  どこか、架空の生物を語っているような空気だった。 「女みたいなんだろ。身長が百五十センチ以下で、華奢で顔がお人形みたいでさ。アレも小さいんだろうな」 「男なのに勝手に濡れるし、年がら年中男を誘ってるんだろ」  どんどん下卑た話になってきて、新はウンザリした。気分が悪い。  まさかこの場に、Ω本人がいるとは思いもしないのだろう。  新は身長が百七十センチあるし、可愛い顔でもない。女っぽい雰囲気を醸し出してもいない。体型はスリムだが、病的に痩せているわけでもない。 ――ある意味嬉しいよな。Ωだと思われてないって。  そう思ってしまうことが、また嫌だった。自分がΩだということを誇れていないということだ。実際そうだ。βだったらどんなに良かっただろう。母もこんなに、息子のことで苦悩することもなかった。 「うちの高校にはΩは一人もいないだろうな。Ωは頭が悪いっていうじゃん。子供を産むしか能がないって」 この言われようには腹が立った。酷い思い込みだ。なんでここまで侮辱されて、我慢しなくちゃいけないのだろう。ぐっと拳を握った。 母には自分の第二の性を秘密にしておくように言われていた。バレたら偏見の目で見られるし、体目的で近寄ってくる輩が出てくるからと。βの振りをしていなさいと。 ――でもそれって消極的だし、何の努力もしてないよな。 ただ見つからないように、おどおどして隠れているだけ。間違ったΩ像を持つ人に、それは違うよと指摘することもせず、被害者面をしながら耐え忍ぶ。 こんなことだから、いつまで経っても偏見が無くならないのでは。 「秋月はΩの知り合いっている?」  話を振られた。これは良いチャンスかもしれない。自分がΩだと打ち明けたときの彼らの顔を見てみたくなった。 「いるよ。俺の母さんがΩだし、俺自身もΩだよ」  言った瞬間の、彼らの驚きの顔。そして、気まずそうに新から目を逸らす様子を見て、少しだけ溜飲が下がる思いだった。彼らのうち、ちゃんと謝ってきて認識を改めてくれたのが今も同じクラスの宮尾と、テニス部の高橋だった。  翌日には新がΩだということが全校中に知れ渡り、部活で顔を合わせた大和も、気遣うように聞いてきた。 「大丈夫? 噂になってるけど」 「別に大丈夫だよ。知られても何も起こらない。こそこそ見てくる奴はいるけど」 「自分から話したのか」 「そうだよ。話したくなって」  良い意味で吹っ切れていた。バレないようにと気を遣わなくて良くなって、気が楽だとさえ思った。なにより、新の前でΩを悪く言う奴はいなくなる。本当にスッキリする。 「新は強いな」  強くないよ、と言い返そうとしたが、その前に大和が打ち明けてきた。 「俺はαなんだ」 「そうだろうね」  全く驚かなかった。むしろ、αじゃなかったら驚く。外見も頭の良さも、αとしか言いようがなかった。そこまで考えたところで気が付いた。自分だって偏見まみれだったと。  出来が良すぎるから、こいつはαに決まっていると、決めつけていたのだ。大和のことを。 「驚けなくてごめん」  フラットな見方をするのは難しいと痛感する。でも、出来るだけそうしたい。 「打ち明けてくれてありがとう。これからも仲良くしたい」  αとΩだからといって、大和を性愛の対象にしたくなかった。すでにギターを通して、彼と友情を育んでいたから。 「もちろん。これからもよろしく」  嬉しそうに笑う大和の顔には、憂いも後ろめたさも浮かんでいなかった。  でもそれから一年以上が経ち、お互いの感情に変化が起きている。起きてしまった。
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