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8初デート
翌日は土曜日で、昼ご飯を家で食べてから、大和と約束した場所に電車で向かった。
都内T区。JR線I駅から歩いて十分の、ギター・ベース専門店『オカ楽器』だ。
新は待ち合わせの時間より三十分早く店内に入った。通い慣れた店なので、どこに何があるのかは大体把握している。店内にはちらほら客の姿があった。
二十坪程の敷地内にゆとりを持って並べられたアコースティックギターとエレキギターを一瞥しつつ、奥にあるレジカウンターに進んだ。
カウンターの中に立っている店長と目が合った。お、いらっしゃい、とフレンドリーに声をかけられ、嬉しくなる。
「こんにちは。今日はここで待ち合わせしてて」
「大和くんと?」
店長の岡が、意味ありげにニヤリと笑う。
「そうです。その――付き合うことになりました」
正直に報告する。以前から彼に大和のことで相談していて、お世話になったから。
「おお、とうとうか。良かったなあ。おめでとー」
手放しで喜んでくれる。少し照れ臭いが嬉しかった。
「岡さんにはいろいろ相談に乗ってもらって。ありがとうございました」
「なんだよ、その卒業っぽい言い方。付き合ってからも悩みは沢山出てくるぞ」
「じゃあその時はまた相談に乗ってください」
「ああ、いつでもOKだ」
ふふっと笑ってから、岡が止めていた手を動かし始めた。彼の手元には紙とペンがある。ポップでも描いていたのだろう。
岡の能力は多彩だ。ギターのテクニックはプロ級で、たまにプロのバンドのライブに助っ人で参加しているという。その上、ギターとベースを作成し、修理することもできるのだ。更には絵も描ける。学生時代は勉強もできたという。なんせ、N校のOBなのだ。
「岡さんて、ギタークラフトの専門に行ったんですよね。親に反対されませんでした?」
N校の大学進学率は九割以上だ。そんな中、芸術系の専門学校に進学するのは異例とされるだろう。
「まあねえ、親は反対してたけど、絶対ビッグになってやるからって自分の希望を通したな」
実際そこそこビッグになってるだろ、と岡がいたずらっぽく笑った。
「専門に行ってなかったら、理系の大学に行ってたと思う。物理学にも興味があったから」
「物理学ですか。俺はあんまり得意じゃない」
「俺も最初から興味があったわけじゃないんだよね。もともと本を読むのが好きでさ、高校でSF小説の時間系にどハマりしたんだ――タイムトラベルの古典から可能世界まで」
「へえ、SF小説……俺も中学のときは少し読んでた」
R・ハイラインの『夏への扉』が脳裏に浮かんだ。五十年以上前に出版されたSF小説だが、時代遅れな感じがしなくて面白かった。
「面白いよね、SF。もし俺が大学に行ってたら、ギターじゃなくてタイムマシンを作ってたかもな」
それも悪くなかったなあ、とふざけた口調で話しながら、しっかりポップは作り終えている。
「すみません、試奏したいギターがあるんですけど」
客に声をかけられ、岡がカウンターから出て、接客を始めた。
新は近くにある本棚の前に立った。ほとんどがギターのスコアだが、一番上の段に楽典や作曲論の本が並んでいる。今日の目当てはこれだった。背伸びをして本を取ろうとしたとき、背後に人の気配がした。
「これ?」
大和の声。
彼の指が、目当ての本の背表紙に触れた。そのまま引き抜いて、新の手に押し付けてくる。新は本を受け取り、体を反転させた。
「ありがとう」
胸がドキドキしている。顔が熱い。赤面しているかも。それでも顔を上げた。早く恋人の顔が見たくて。
目の前には、そう簡単には見つけられないほどの美貌の男が立っている。 新は吸った息を吐きだせないまま、彼の顔に見入ってしまった。
彼と本当に付き合っているなんて。信じられない思いだ。よけい鼓動が速くなる。
「ごめんね、早く来たつもりなんだけど。待った?」
「いや、俺が早く来すぎただけだから」
まだ待ち合わせの時刻になっていないはずだ。
二人はまばらに配置されている椅子を一か所に寄せて座り、本をパラパラと捲って、内容を確認した。
「ちょっと難しそうだけど、有意義なことが書いてそうだな。買ってみる?」
大和が小首をかしげながら、新の意見を仰いでくる。
「うん、俺もちゃんと読んでみたい。半額ずつ出そう」
「いや、これさ、部活の経費で落ちると思う。領収書貰えば」
「あ、そっか。大和、頭良いな」
ちょっとテンションが高くなった。自費で払おうと思っていたが、たしかにギター部でも必要な本になるかもしれない。
レジに並ぼうとして、カウンターの手前にあるワゴンに目が行った。アクリルの小分けされたケースに、沢山ピックが入っている。赤、黄色、黒、レインボーなど、色の種類が豊富だ。
「ピック? 気になる?」
「うん、ちょっと」
今まで指弾きしかしてこなかったが、ピック弾きも試してみたいと思っていた。
「この前動画で、ピック弾きと指弾きの比較演奏を見てさ」
ピックを使うと、シャープな音が出るのだ。リズムもハッキリするから伴奏に向いていると感じた。これから先、二人で作曲をすることが増えるかもしれない。メロディと伴奏に分かれて演奏するなら、ピック弾きも覚えた方が良いと思った。
それを大和に伝えると、「じゃあ一緒に買おう」と応じてくれた。
レジに並ぶ人の邪魔にならない場所に立って、二人でピックを吟味する。
――お揃いが良いな。
なんて思っていたら、「同じのを買おうよ」と大和が提案してくれた。同じことを考えていてくれた。嬉しい。
本を立て替えて購入するついでに、二人分のピックの代金も大和が払ってくれた。
店を出てから、自分の分を払おうとしたが、「大した額じゃないから」と受け取りを断られる。
「無くさないでね」
ピックは小さいし薄い。無くなっても気が付きづらいから。
新の頬を撫でながら大和が言う。
「無くさないよ」
初めて買ったお揃いなのだ。一番無くしたくないものだ。
色は水色にした。
空を見上げると、ピックと同じ色が広がっている。雲一つなかった。
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