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最後の一言
さて、こんな夫婦がいた。
まさこの夫ひろしは長く病床に就いていて、もう助からない病なのは本人も家族も分かっていた。女遊び、酒、賭博、好きなことをしたあげくの癌だった。
自宅での最後を希望していたので1年ほど前から自宅のベッドでで療養している。
そして、徐々に病状が悪くなる中、
『なぁ、まさこ。最後は関白宣言のように手を握って涙をこぼしてほしい。そうしたら、俺はお前にお礼を言うから。』
と。
いよいよ最後の時医師からも、もう最後でしょうと言われ、家族が呼び集められた。まさことひろしには息子が一人いた。
幸いひろしは最後まで苦しい息の中でも意識はあり、まさこが自分のベッドの横に来てくれるのを苦しい息の下、じっと待っていた。
まさこは元々決めていた。
『あれだけ好き勝手な人生を送っていて最後にお礼を言うなんて最後まで自分勝手すぎる。最後こそ、思い通りなんてさせるもんか。』
親戚や息子、みんながまさこを待っていた。
まさこは夫の枕元の椅子に座り、じっと弱り切った夫を見つめた。
ひろしは椅子に座ったまさこが自分の手を取ってくれるのを待っている。
もう、自分から手を伸ばす力は残っていなかった。
まさこは夫の手を取った。そしてひろしが苦しい息の下何か言おうとするのを待った。
ひろしが何かを言おうとして息を吸ったその時。
パッとまさこが握っていた手を放しひろしの手はむなしくベッドの横にしなだれた。
周囲が驚く中、まさこは
「最後の一言は私が言わせてもらうわ。これまで好きな人生を歩いたあなた。残りの呼吸は自分の為に使ったらいいわ。私は何も聞きたくないの。」
そういって、部屋から出て行ってしまった。
ひろしも驚いた様子ではあったが手を持ち上げる事すらできない中、本当に残った苦しい呼吸の下、
『まさこ・・・お前はそういう女だった。』
『最後に遺言を書き直すように言おうと思ったのに。』
それを最後の言葉として息を引き取った。
医者は臨終を告げた。
ベッド際にはひろしの弁護士も来ていて『ほっ』と誰にも見つからないようにため息をついた。
遺言状の書き直しともなると、弁護士も大変だからだ。それも亡くなる寸前。本人の意識が清明かどうかわからない時の遺言はもめごとの原因になるからだ。
ひろしの最後の言葉で、ひろしの遺産はすべて息子の手に渡ることになった。
ひろしは結構な資産家で、まさこは当然資産の半分は自分に来るものと疑っていなかった。しかし、まさこの、ひろしに対する最後の一言でまさこは継ぐべき遺産を手にすることができなかった。
もちろん、申し立てをすれば自分の取り分は貰うことができるが、夫の最後の時に取った行動に加え、憎むべき夫が残した遺言を覆してまで遺産が欲しいとは、あの最後の時にいた親戚や息子の手前も言い出せなかった。
そして、立場の悪さから一人、結果、大したお金も持たずに家を出ることになる。
さて、我が家の実体験と比べると随分な結果に終わってしまったが、この世での最後の一言。
言えた方が幸せなのか、聞けた方が幸せなのか、私は少し考えてしまうのだ。
【了】
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