第1話

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第1話

「ガーネット! お前のような醜悪な女とは婚約を破棄する!!」  学院の卒業パーティーで王太子が婚約破棄を宣言する怒声が響き、一同が騒然としました。 「「「!?!?!?」」」  注目が一斉に集まる先には、名指しされたわたくし、ガーネット・ロードライトがおります。  飾り気のない黒いひっつめ髪に、顔の大半を覆う曇った伊達眼鏡。  体型の分からないやぼったいドレスに、ぼやけてくすんだ宝飾品。  どれをとっても良質なものばかりなのですが、大変に地味です。  これは、王太子が望む『理想の淑女』になるため、意図的にしていることです。  淑女は貞淑であれ、清楚であれ、慎み深くあれ。  ――分不相応に豪華で派手なものは悪徳で、清廉で質素なものこそが美徳だ。  淑女は出しゃばらず、控えめに撤して紳士を立てるものだ。  ――男に尽くしてこそ、女には価値が生まれるのだから。  そう、幼い頃より教えこまれてきました。  わたくしが目立つことを王太子は殊更に厭うので、望まれるまま地味にしてきたのです。  地味すぎるあまり、社交界で『地味令嬢』と称され、周知されてしまっているほどに。 「地味令嬢――んんっ、おほん。公爵令嬢と王太子が突然の婚約破棄なんて、一体何事でしょうか?」 「公爵令嬢は地味ではあるが、王太子を支える『理想の淑女』として有名だというのに、醜悪な女とはどういうことだ?」 「地味な公爵令嬢は『淑女の鑑』とされて、将来は良き国母になられると期待されていましたのに、何があったのかしら?」  王太子の婚約者として、未来の国母として、その名に恥じぬよう、わたくしには誰よりも努力してきた自負がございます。  王家の意向により王太子の婚約者となってから、良き国母になろうと決意し、勤勉に努めてまいりました。  幼少期から厳しい王妃教育を受け、学院の成績は常に上位を維持し、王太子のお勤めを陰日向に手伝い、婚約者の望む通りに振る舞う。そんな日々をすごしてきたのです。  ですから、突如として罵倒され、婚約破棄を叩きつけられていることに愕然としてしまい、返す言葉が何も出てきません。 「……っ、……」  あまりの衝撃に眩暈がして、ふらつきそうになる足元を必死に踏みしめます。  王太子が望む『理想の淑女』として、恥ずべき姿を晒さぬようにと、姿勢を正し立っているのが精一杯でした。  そんなわたくしに好奇の視線が向けられ、周囲が騒めいている中、誰かの呟く声が妙にはっきりと聞こえてきます。 「こうしてお二人が並び立つと……尚更、不釣り合いに見えてしまいますね……」  わたくしの目の前に立っているのは、婚約破棄を突きつけた王太子、クラウス・フィン・フロイデラント殿下です。  煌めく黄金色の髪に瑠璃色の瞳をした、才貌両全と謳われるこの国の王太子。  群青の絹織物に金糸の刺繍が施された上質なジュストコール、光沢がある純白のクラバット、髪や瞳と同じ色の光り輝く宝飾品。  最高権力者である王家の権威を示すための装いですが、大変に豪奢です。 「王太子のなんと高貴で秀麗なお姿か……それに比べ、公爵令嬢のお姿は……」  地味令嬢のわたくしと眉目秀麗なクラウス殿下とでは対照的すぎて、見た者達の目にはやはり不釣り合いに映ってしまうのですね……。  わたくしが人目に触れることをクラウス殿下は厭い、外せぬ行事以外では書類仕事をわたくしに与えて、社交の場に連れ歩くことはありませんでした。  公の場で並び立つことはほとんどなく……あったとしても、領地視察に向かった先で領民達からクラウス殿下の侍女だろうと勘違いされてしまったくらいです。  クラウス殿下とわたくしを見比べた者達が、声を潜めて口々に零しています。 「あのようなお姿で、よく王太子の前に立っていられますわね……恥ずかしくないのかしら?」 「王家の政略的な婚姻だとしても、婚姻相手があれでは……王太子もさぞや不服でしょうに……」 「いくら公爵家の力添えが欲しいとはいえ、あの見た目では……女性として見れるかどうか……」  どんなに不釣り合いな地味令嬢と嘲笑されても、それでも、クラウス殿下が望まれる通りの『理想の淑女』として尽くしてきました。  決められた政略結婚であり、恋慕の情はいただけなくとも、使命を同じくする伴侶として誠心誠意尽くしていれば、いずれ家族として親愛の情を育んでいけると信じていたのです。  クラウス殿下と共にこの国を治めていくため、良き国母となるため、全身全霊を捧げる覚悟でおりました。  ですから、婚約破棄を言い渡される覚えなどあるはずがありません。 「……クラウス殿下、理由をお聞かせください」  震えそうになる声を抑えて、真っ直ぐクラウス殿下を見据え、問いました。  クラウス殿下は切れ長な目を吊り上げて、わたくしを睨みつけ、怒りをあらわにして怒鳴ります。 「よくも今まで、この私を騙してくれたな! 淑女の皮を被った悪女め!!」  激昂するその表情からは親愛の情など欠片も感じられず、わたくしの胸はひどく痛みました。  到底、将来を約束した婚約者に向けられる感情や剣幕とは思えません。 「お前を信じ、重要書類を任せていたというのに、裏切られていたとはな……このエメラルダがお前の不審な動きに気づき、報告してくれたのだ!」  クラウス殿下が背に隠れていた人物を引き寄せると、わたくしの目の前に可憐な乙女が姿を現します。  それは、社交界でクラウス殿下と親密にしていると噂の伯爵令嬢、エメラルダ・モルガナイトでした。 「……きゃぁ!」  エメラルダ嬢はわたくしを見て、怯えたようにクラウス殿下に縋りつき、それを庇うようにクラウス殿下は抱きとめました。  庇護欲そそる可憐な乙女と秀麗な王子が仲睦まじく寄り添っているさまは、絵になる美しさです。  周囲の反応を見ても、お似合いの二人とは正にこのことなのだと、わたくしとの違いをまざまざと見せつけられます。 「……っ……」  二人の眩しい姿を見ていれば、自分がひどく滑稽に思えて、惨めで虚しい気持ちになってしまいます。  どうしようもなく胸が苦しくなって、曇った伊達眼鏡の奥で視界が揺らぎ、熱を持つ目元からは涙が溢れそうになるのです。  それでも、『理想の淑女』として無様を晒すわけにはいかず、奥歯を噛みしめ、溢れそうになる涙を必死に堪えていました。  エメラルダ嬢はクラウス様に支えられながら、おずおずと口を開き告げます。 「……わたくし、見てしまったんです! ガーネット様がクラウス様の書斎に何者かを引き入れているのを! 書斎には重要な書類があるから、鍵を持たせているガーネット様しか入れないと、クラウス様はおっしゃっていたのに……」  告げられたのは、わたくしにはまったく身に覚えのないことでした。  確かに、クラウス殿下から渡された書斎の鍵は、肌身離さず持っています。  ですが、書斎で管理している書類の重要性や危険性については、仕事を手伝っているわたくしが一番よく理解しています。  相手が誰であろうと、勝手に書類を見せることなどありえませんし、ましてや、わたくしが誰かを書斎に引き入れることなどあるはずがないのです。  エメラルダ嬢にあらぬ疑いをかけられ、慌てて弁明しようと声を張ります。 「嘘です……それは何かの間違いです! そのような愚行、わたくしは決していたしません!!」  声を荒げるわたくしから、エメラルダ嬢を守るようにクラウス殿下が立ちはだかり、言い放ちます。 「白を切るか。お前の身の回りを調べれば直ぐに分かることだ……連れていけ!」 「そんな……わたくしは無実です! そのような愚行はしておりません!」  たちまち近衛兵にわたくしの腕は掴まれ、引きずられていきます。  会場から連れ出される間際、信じて欲しい一心で懸命に叫びました。 「信じてください! クラウス殿下!!」  クラウス殿下は蔑んだ目でわたくしを一瞥すると、エメラルダ嬢へと向き直り、言葉一つ返してくださることはありませんでした。  ◆  取り調べがされ、瞬く間に時間がすぎていきました。  後ろめたいことなど何一つしていなかったわたくしは、きちんと取り調べがされれば、身の潔白が証明されると思っていたのです。  ですが、そうではありませんでした。 「……どうして、こんなことに……」  むやみに人が立ち入らぬ王宮の深部であったことに加え、多忙な日程に追われて人との関わりを必要最低限にしていたわたくしには、アリバイがなかったのです。  そして、取り調べが進めば進むほど、身に覚えのない証拠や罪状が次々と出てきました。  王太子の婚約者という立場を利用し、金銭のために他国の間者を引き入れ、機密情報を漏洩し、私利私欲のために契約書や誓約書を改竄していた。  そんな愚かで醜悪な女とされていました。 「……わたくしは……無実です……」  処刑場の絞首台に立たされ、わたくしの呟きが空虚に響きます。  小さな呟きなど掻き消されるほどに、見物人からの罵声が飛び交っていました。 「この裏切り者! 売国奴が!」 「国を脅かした醜悪な女だ!」 「魔女め! 地獄に落ちろ!」  わたくしには国家反逆の冤罪がかけられ、国を脅かした大罪人として、これから処刑されようとしていました。  目の前にクラウス殿下が姿を現し、冷淡な目でわたくしを見て問います。 「最後に懺悔の機会をくれてやる。言い残すことはあるか?」  乾いた喉でなんとか息を呑み込み、できるだけ姿勢を正し、真っ直ぐにクラウス殿下を見据えて告げます。 「わたくしは国と民を慈愛する良き国母となるため、この国にすべてを捧げる覚悟で努めてまいりました。これは何者かによる謀略です。わたくしは無実なのです」 「まだ言うか、言い逃れなどできぬ。証拠や証言が大量に出てきているんだぞ」  これだけの証拠が出てきていると言うことは、わたくしを嵌めるためだけに証拠を捏造したのではなく、本当に間者が入り込み工作しているとしか思えません。  ですから、国の未来を危惧したわたくしはクラウス殿下に伝えねばと思い、この最後の機会に進言したのです。 「今現在、間者が入り込み工作している危機的状況です。わたくしとは無関係に、国の未来を思うのならば、別の公的機関に依頼し今一度お調べ直しください」 「世迷い言を、見苦しい……」  眉をひそめ心底呆れたといった表情を見せるクラウス殿下に、尚も国を思う一心で訴えます。 「クラウス殿下。どうか、信じてください」 「最後まで私を騙そうとは、本当に醜悪な女だ」 「お願いです。信じてください……」 「やはり、魔女の血筋か……黒い髪に赤い目など気味が悪かったんだ。邪悪な魔女め、私はお前の言葉など信じぬ。――やれ!」  クラウス殿下の合図と共に、処刑が執行されます。  それまで尽くしてきたわたくしの思いは、この国の未来を願った決死の覚悟は、最後まで届かず、わたくしが信じてもらえることはありませんでした。  ガタァァァンッ――――……  こうして、地味令嬢の人生は幕を閉じたのです。  ◆
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