ラストマスクは君と

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ウィズコロナの波紋は 春の訪れと共に 平和で穏やかなソフトランディングを 醸し出しつつあった。 心のため池は静謐な凪になって まるで写し鏡のように空に浮かんだ月を その水面にくっきりと投影している。 ※   そんな初春、三月のある日。 俺は今日を最後にマスクを取ろうと決めていた。 言うなれば今日は「ラストマスクデー」だ。   マスク着用について個人の任意に委ねられてまだ日は浅く、街行く人々のマスク着用率は半々といったところ。それもあって脱マスクのタイミングを掴めずにいたのだ。 そんな折り、明日が君と初めて出会う記念すべき日だった。事前に二人で取り決めをし、その日に一緒にマスクを取ろうということにしたのだ。 そういうわけで今日はラストマスクデーでもある。 その日俺はマスクをして近所の川沿いを散歩していた。桜の蕾がはちきれんばかりの時期で、気の早い蕾がちらほらピンクの花をのぞかせている。 初春の生ぬるい風に吹かれながら、「マスクもこれで最後か ……」そう思うとなんだか感慨深くもなる。当然風邪をひいたり花粉症のひどい日にはマスクをつけることもあるだろう。しかし"体調に関係なく外出時に必ずつける"という日常は、もう当面巡っては来ないのだ。もしかしたらもう死ぬまでないかもしれない。いやもちろん、これほど深刻な世界的感染はもう二度となくていい。とはいえこの約三年間、みんながみんなマスクをしていたこの世界の情景がいかに特殊なものであったのかを思い知る。もうほとんど当たり前のものに思えてしまっていたけれど、脱マスクの日を目前にして、改めてその異世界を俯瞰(ふかん)する境地に浸るのだった。 そして俺はこのコロナがなかったら出会えなかったかもしれない、君のことを想う。長期に渡る"ステイホーム"がなければSNSにどっぷりつかることなんて無かったかもしれない。そう思うとこのラストマスクを慈しむような気持ちにもなるのだった。 明日はこのマスクをお互いに取っ払って出会うことになるはずだ。マスクを取ると同時に、"会えない障害"さえ全部取っ払ってしまえるような気持ちにもなる。初めて会うものだから、どうしても期待や不安が交錯しそうになるけれど、どうか素顔のままで。どうか素直のままに心触れ合えますように。    SNSで出逢い、愛を交わし合った後に実際に会ってから結婚するケースもあるこの時代。二人の状況もそれと少し似ているのかもしれない。いやそれ以上だろう。普通よりももっと長い期間、会いたい気持ちに鍵をかけながらもこれまで愛を育んできたのだから。 ※ そして迎えた二人の「ノーマスクデー」。 小春日和の穏やかな気候に包まれて、身も心もゆるりと解放的になる。   マスクのない分いつでもキスができそうな、 そんな欲情を頭の片隅に置きながら待ち合わせ場所へと向かう。 「やっぱり恥ずかしいから、最初はマスクありで待ち合わせしない?」  直前に君がそう言うから、実は今はまだマスクをしている。 このマスクを取るタイミングはいつになるだろう。 今日はどんな一日になるのだろう。 様々な思いが去来する。 でも結局は君との自然な流れに身を任せればいい。 『ラストマスクは君と』、それだけは確かなのだから。 【完】
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