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未亡人クローディア
彼女が舞踏会の会場に一歩足を踏み入れた途端、場がざわついた。
誰もが美女と言うに違いない顔には、あでやかな笑み。
未亡人という言葉がつくからか、魅惑的な肢体を見て唾を嚥下する男もいた。
色とりどりのドレスで溢れる舞踏会の中、彼女が纏う色は――黒。
精緻なレースやフリルで仕立て上げられた、それは豪奢な漆黒の喪服ドレスを纏い、彼女――クローディアは胸の谷間も露わに舞踏会のボールルームに現れたのだ。
「どういうつもりなの?」
貴婦人の一人が眉をひそめ、隣にいる友人に扇の陰で囁いた。
「クローディア様って、つい先日、夫のバフェット伯を亡くされたばかりでしょう? 少なくともあとひと月は城に籠もって喪に服しているものだと思っていたけれど……」
大きなシャンデリアには何本もの蝋燭が立ち、揺らめく火がクリスタルガラスに反射する。
大理石の床には貴族たちの姿が反射し、まるで鏡のようだ。
天井に描かれたフレスコ画のキューピッドは、矢をつがえたまま、物言いたげな目で彼らを見下ろしている。
「皆様、ごきげんよう。どうされたのです? さあ、音楽を! こんなに楽しい舞踏会なのですから、踊らなければ損を致しますわ」
クローディアはエメラルドグリーンの瞳を細め魅力的に笑うと、高らかに声を張り上げて、手を止めていた楽師たちに声を掛ける。
自分の仕事を思いだした指揮者は、大きく手を振り、それに合わせて楽師たちも演奏を始めた。
ワルツを踊る手を止めていた貴族たちは、もはや条件反射でパートナーの手を取り体を揺らし始める。
豊かな黒髪を結い上げ、そこに深紅の薔薇を簪にして差したクローディアは、まるで舞踏会が自分のために開かれたかのように、幸せそうな顔で舞踏会に集まった人々を見ていた。
その唇が口ずさむのは、楽師たちが演奏する音楽ではなく、どこかもの悲しいメロディーだった。
胸元にあるダリアが刻まれたペンダントに触れ、彼女は唇をすぼませ透き通った音で口笛を吹いた。
「あの女性は?」
一連の様子を見て、美しい金髪の王太子ディストは、ブルーアイを細め側に控えていた従者に声を掛ける。
二十五歳の男性レンは、腰を屈めて小さな声で王太子に情報を教える。
彼は公爵家の三男坊で、二十八歳のディストの身の回りの世話をする従者だ。
「長年病床に伏せられていた、西のバフェット領辺境伯イグナット様に嫁がれた、ルーフェン子爵家のご令嬢クローディア様です。嫁がれてから二年、辺境伯の地でイグナット様と共に静かに過ごされていたようですが」
言われて、ディストは記憶を取り戻す。
この国、ハーティリア王国の西にはエルガー山脈と呼ばれる雪を抱いた山々がある。
その麓には深い森があり、昔は宝石産出国として有名だった幻の小国エチルデがあった。
だがその小国も、あまりに宝石が採れる事で周辺国から狙われ続け、戦火にさらされた結果滅んでしまった。
それが二十年前の話になる。
現在、エチルデにいた民たちは難民としてバフェット領に逃れ、国は廃墟と化している。
エチルデ領はハーティリアに属しているものの、肝心の鉱山に入る道を知る鉱夫たちは行方不明になり、巨万の富を秘めた宝物庫も、王族が亡くなった事によりどこにあるのか分からなくなってしまった。
お宝はあるはずなのに、誰も在処が分からない。
そんな状況になった旧エチルデを含む、西の辺境伯がイグナットだ。
彼は先の戦で武勲を立てたものの、妻を戦火に失い、子にも先立たれた。
そのあとしばらく独り身だったものの、つい二年前に二十歳に満たないうら若いクローディアを娶った。
(『財産目当てだ』と姉上が嬉々として噂していたな。姉上がゴシップ好きなのは昔からだから、話半分に聞いていた)
他国に嫁いだ姉とは、姉弟仲がいいほうだ。
嫁ぎ先から頻繁に手紙があり、なぜかハーティリアにいるディストより国内に精通している話題を提供してくるので、ありがたく思うも女の情報網は恐ろしいと思っていた。
「女はたくましいな……」
王太子であるディストは、ボールルームより数段階段を上がった場所で、国王や王妃たちと共に座っている。
彼は椅子の肘掛けに頬杖をつき、近くの男性を誘ってワルツに興じるクローディアを見た。
クローディアは喪服を着ているものの、夫を失ったばかりと思えない華やかな笑顔を浮かべている。
男性も酒が入っている上、あの美貌のクローディアに誘われては、応じる他なかったのだろう。
「しかし、おかしいですね」
レンが呟き、ディストは「ん?」と顔を上げる。
「クローディア嬢は元々、ルーフェン子爵の娘です。ルーフェン子爵と言えば、先の戦争でも武勲を上げた、筋金入りの武闘派」
確かに、元帥を務める叔父がよくルーフェン子爵の名前を口にし、いまだに壮健だと笑っているのを聞いていた。
「曲がった事が嫌いで質実剛健なルーフェン子爵のもと、クローディア嬢も竹を割ったような性格だという噂を聞いていました。領地では馬を乗り回すお転婆だったとか……。それが、嫁いだ相手が祖父ほどの年齢とはいえ、亡くなってすぐあのような格好で舞踏会に出るというのは、聞いていた印象とあまりに違います」
レンはディストの〝耳〟だ。
国内外のあらゆる情報を耳にし、ディストの補佐をする。
宰相が国王を支える役割なら、レンはディストを支えて王太子として正しく振る舞うよう導く存在だ。
情報通の彼がそう言うのなら、クローディアの本来の姿はそうなのだろう。
現在、ディストはもっぱら近隣国と再び戦争にならないよう、細心の注意を払って外交を続け、国内情勢の監視については信頼を置く臣下に任せていた。
バフェット辺境伯は国にとって重要な人物だが、戦争が終わったいま王族たちは別の問題に取り掛かり、日々の議題から名前が出なくなって久しい。
イグナットが再婚したという話は聞いていたが、「老齢での結婚なので祝いは結構でございます」と本人から丁寧な手紙をもらっていた。
それでも形だけと祝いの品を届けさせていたが、新しい妻の顔は直接見ていなかったのだ。
だからディストがクローディアの顔を直接知らないのも、無理はなかった。
「イグナットの人となりは私が一番よく知っている。彼の新しい妻が、若いとはいえ軽薄な女性だと思いたくない」
老いて再婚した貴族が、金や家柄をチラつかせて若い妻を娶るのは珍しい話ではない。
だがディストの知る限り、イグナットは亡くなった妻に操を立てていると言っていいほど誠実な男だった。
その再婚相手が、喪服姿で胸も露わに堂々と舞踏会に出てくる厚顔無恥な女と思いたくない。
輝くような笑みを浮かべて男性と踊っているクローディアを見て、ディストは呟き、「興味深い」と呟いた。
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