青い景色の中で

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「そう言えば、僕がポストに入れたメッセージ読んでくれたかな?」  それまで笑顔に弾んでいたサキの表情に、紗がかかる。  「....うん。鹿児島の空と海の写真、綺麗だった。いつ行ってたの?」  「サキが、アイの家にたまに泊まりに行く時があっただろ? その時にね」  「そうなんだ....」    彼女は何かを察して口をつぐむと、海の方に視線を流した。僕はサキの横顔を見つめる。  「一緒に行かないか?」  「行くって?」  「そこで暮らそう」  「え?」  サキが強張った表情で此方を向く。彼女の目は困惑に揺れていた。僕は構わず、スリングバッグの外ポケットを開きながら続ける。  「あの離島の空と海は、サキも気に入っていただろう?」  「ちょっと待って」  「あそこなら、きっとサキはもっと元気になれる」  「翔」  「あと、コンテストの写真と同じ青色を見つけたんだ」  「ねぇ、待って」  「エメラルドブルーのさ」  「翔っ!」    サキは僕の腕を強く掴んで思いっきり叫んだ。彼女のか細い声は、耳を突き抜けてダイレクトに僕の動きを制止する。  「....何?」  「‥‥私達、別れたんだよ」  サキは僕が一番避けていた言葉を突き付けると、ギュッと(まぶた)を閉じた。頬にいくつもの涙の筋が流れ出す。  勢いまかせで伝えようとした僕の言葉は、行き場を失い喉に留まったままになり、ポケットに入れた手も何も掴まずに外に戻した。  サキは頬を拭い、横髪を耳に掛けると改めて僕を見つめる。  「翔が部屋の押し入れに隠していた段ボール、私知っていたよ」  それは鹿児島の離島の写真と、そこの賃貸物件の間取り図を載せた資料。そして、これまでの僕の経歴を埋めた履歴書。  僕はフォトグラファーを諦め、サキと鹿児島の離島で暮らすための計画を着々と進めていた。  僕の分野は作品になる景色を求めて、あちこち旅をしなければならない。僕は彼女をおいていくことが出来なかった。  「翔、フォトグラファーの夢を諦めるの?」  「カメラの仕事なら、いろんな形でできるから」  「そんなのダメだよ。翔は景色の写真を撮って」  「僕はサキを置いてまで、写真を撮るつもりはない」  「翔は何もわかってない!」  風向きが急に変わり、ベンチの足元にコーラの空き缶が転がりながら辿り着く。   隣のベンチにいた女性が立ち上がり、ハーネスを引かれたトイプードルは何度もサキを振り返りながら去って行く。   サキは濡れた頬のままで、僕は彼女の顔を真っ直ぐに見れず、空と海を白く縁取る水平線をじっと(にら)んでいた。  「私は翔の負担になったまま、生きてはいけない」  「僕は負担になんて思っていない」  彼女の口からそれは聞きたくなかった。僕は振り向いて語気を強める。    「私、見切りを付けたの。追いかけても、追いかけても翔に辿り着けない自分に。一駅しか進めなかった自分に」  「サキ、待ってくれ」  それなら、と言いかけた僕の唇をサキは頭を振って人指し指で制止する。  「翔はやさしいから。せっかく進んだ道をわざわざ戻ってまで、この先もずっと私の人生を優先して生きていくはず。翔の才能が、このまま埋もれてしまうのは耐えられない」    お願いだから私をもう甘やかさないでと、最後はほとんど消え入る声で僕の肩に額を押し付けた。  さっきまで聞こえなかった波の音が、今になって鮮明に耳の奥まで響いてくる。  僕はもう何も言い返せなかった。  サキは僕が思っている以上に強くて。僕よりも、うんと先回りして僕たちのこれからについて、ちゃんと答えを出していた。  ずっと同じ場所に甘んじて、自分の人生を放棄しようとしていたのは僕の方だった。  サキの小さく震える肩をそっと抱いた。  「わかったよ....」  僕が両腕を開くと、サキは素直に入ってきた。 そして、何度もごめんと言いながら彼女は泣いた。  サキが泣き止んだあと、僕達は手を繋いで最寄りの駅まで歩いた。  僕と手を繋ぐは久しぶりだと、彼女はすっかり赤く腫れた(まぶた)をもち上げ笑って見せる。駅の改札の手前まで来ると、サキはもうここで良いからと僕に先に帰るよう促す。  繋いだ手はまだ握ったままで。  「ここでサキの背中を、ちゃんと最後まで見送るよ」  僕は切なくなるほどやさしい声で、繋いだサキの手をそっと解いた。  彼女は潤んだ瞳で僕を見上げ「うん」と(うなず)くと、またポロリと一粒、彼女の胸に落ちる。  僕は彼女を強く腕の中に閉じ込めて「やっぱり行くな」と言ってしまいたかった。  けれど、もう彼女を甘やかすのをやめた。  手を振って歩き出す彼女の姿が、どんどん遠くに霞んでいく。僕はもうあふれ出る涙を止められなかった。  サキを幸せに出来なかったこと。二人並んでその先を歩けなかったこと。全ては僕の力不足だったと悔やまずにはいられなくて。  バッグの外ポケットから出した、ミルク色のスエードの小さな箱を開ける。  エメラルドブルーの石が太陽の光に煌めいて、青く切なく僕の目を撃つ。  ただ一つだけ。サキに自分の泣き顔を見せずに済んで良かった。  僕はそっと箱を綴じた。  おわり
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