少年ユジーの章

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少年ユジーの章

 僕は舟を漕ぐ手を止め、護身用小刀(ナイフ)を握り締めた。周囲を見渡しても(かい)の立てた波がチャプンと云うばかり。  腹部の傷がズキズキと痛み、答える声は掠れる。 「……ぼ、僕はじゃないよ。名は、カン・ユジー。チグサ村から来た……き、君は何処(どこ)にいるの? 誰なの?」 「此処(ここ)の住人に御座います」 「……えっ。でも、」  言葉の途中で、泥まみれの袖で鼻を塞いだ。塔内の空気は吐瀉物のように酸っぱく、涙のように(から)く、後悔のように苦い。ヒトが住める場所ではないのだ。  姿無き声は、この溝川の続く先から聞こえてくる。 「そんなに怖がらないでください。私はサカウエと申します。訳あって姿を見せられませんが、私もかつてチグサ村の住人でした」  僕の村でその名を知らぬ者はいない。大人が子供を叱るときに引き合いに出す(ワル)餓鬼(ガキ)の代名詞だ。――言うことを聞かなきゃサカウエみたいに塔に閉じ込めるぞ、と。僕もお嬢様も、アイツによく言われたっけな。 「てっきり大人の作り話だと思ってた……」 「私はそんなに有名なんですねえ。オオ、懐かしい我が故郷(ふるさと)! ユジー、我が同朋(どうほう)!」  彼は機嫌良く歌う。 「さて。有名人にわざわざ会いに来てくださった……のではありませんね?」 「う、うん。僕は、この奥の祭壇に用事があるんだ。そこで祈ればどんなヌェでも本当になると聞いたから。そのために――」 「――そのために禁を破ったのですか」  僕は縮こまった。こうやって相手が僕の言葉を先回りして奪ってしまう時、その人は僕を叱りたいのに決まっている。担任のルーエ先生も、偏屈執事のナタカさんも、庭師のモンダ(じい)も、皆そうだ。  僕は罪を犯した。  錆びついた警告板も、無視をした。 〈コレヨリ危険区域・一切ノ立入ヲ禁ズ〉  此処は禁足地。それは村の掟。  血が滴って舟底に溜まる。頭がボンヤリする。僕の脳味噌が勝手に走馬灯に火を灯し、村での日々を反芻する。
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