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サカウエの章
今から何十年も何百年も昔のこと。泥掻きの仕事から命からがら逃亡した私は、食い逃げ等の罪でチグサ村の男衆に捕まり袋叩きにされ、無様に死にかけていたのです。
「お止しなさい!」
か弱そうな少女のたった一声で、男達はたちまち拳を引っ込めました。
「ひどい怪我……屋敷で手当てをしましょう」
それが村を牛耳るチグサ家の末娘、ヤヤノでした。
どうです? 貴方方に負けずとも劣らない運命的な出会いでしょう?
ヤヤノは村一番の美人――の妹で、姉と比べると十も百も見劣りしましたが、誰よりも純粋な心の持ち主でした。
しかし私を匿ったせいでヤヤノまでが、姉のように美しくないことや、学があるのに罪人に肩入れする愚かさを詰られる始末。
おや。貴方の主も? ……そうですか。奴らはチグサ家に面と向かって逆らえない分、その鬱憤を弱い存在にぶつけているのです。あの村らしいことです。
――そして、あれは十四の夏。
「ねえ。二人で塔を上ってみない? 貴方のヌェが現実になるよう祈りに行くの」
ヤヤノの提案に、私は首を傾げました。
「私のヌェ? どういう意味ですか?」
「今のままの貴方では、いずれ村を追い出されるわ。だから〈これまでの罪が帳消しになった貴方〉を真にするのよ」
諸説ありますが、ヌェとは古代語で人形、偽物という意味の〈ぬいぐるみ〉を略した〈ぬい〉から転じたと言われております。その偽物を本物にする不思議な祭壇が塔の天辺にあるのだと、ヤヤノは言いました。
私自身は魔術めいた話は信じない主義ですが、ヤヤノが満足するのなら……と彼女に同行することにいたしました。
最上階までの道程はそりゃあもう大変なものです。絶えず流れる泥水に逆らい続けなければなりませんし、砂や小石が目に入ったり流木が突き刺さったりします。まあ、貴方ならご存知ですよね。
私とヤヤノは三日三晩休まず歩き、ついに九千と百段を上り切ると、ようやく天辺に到着し、最後の舟に乗り込んだのです。
二人で喜びを分かち合う最中、どこからともなく声が響きました。
「お前はヌェか?」
それは泥から生えた鳥居の向こう、闇の彼方から聞こえていました。
ヤヤノを背に守り、否定しようとした、その時――
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