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裏藤家の事情
本名、裏藤廉二郎の家は、人を殺す事を、生業としていた。
裏藤家の歴史は古く、はるか平安時代まで遡る。
その当時の朝廷の命を受け、邪魔な人間を、ことごとく排除する。
それが、家業の始まりだった。
徳川の世になり、天下は平定されたが、その陰で
裏藤家には、邪魔者の始末の依頼が、数え切れぬほど来る。
頼まれた仕事は、絶対に失敗しない、頼み人の名前は、死んでも言わない
何が有っても、この二つは、固く守られたので、裏藤家の信頼は厚かった。
今の幕府にも、裏藤家の事は、どんな事でも黙認せよと言う
将軍様、直々のお言葉が有り、表には出ないが、何かと優遇されていた。
裏藤一族の長、裏藤本家の一成は、誰に対しても、厳しい男だった。
「われらは、やらなければやられる、命のやり取りをしておるのだ。
生半可な気持ちで居ては、一族全部に迷惑が掛かる、それを肝に銘じよ」
何時も、そう言っていた。
一族の者は、仕事が無い時は、己の技を磨く、それを見て
「何だ~その走りは、それじゃ、敵に追いつかれるぞっ」と、怒号を飛ばす。
射る矢が一本、投げた手裏剣が一本でも外れると
「その一本で、お前は死ぬのだ~っ」と、木刀が飛んで来る。
そんな一世が、特に厳しいのは、自分の子供に対してで
長男の斉太郎が、まだ、よちよち歩きの時から、厳しく育て
三歳になると、小型ながら木刀を持たせ、自分を相手に、打ち込ませる。
よろめいたり、木刀を落としたりすると、自分の木刀で打ち据える。
あまりの酷さに、妻の豊が、止めに入るが
「邪魔をするなっ」と、その豊も、木刀で打ち据える。
泣こうと、喚こうと、容赦なく、朝から晩まで、しごきは続く。
斉太郎は、厳しさに耐えきれず、7歳で命を落とした。
「こうなるから、お止め下さいって言ったのに」豊は、泣き伏し
その日から、気の病に掛かった。
「斉太郎~斉太郎~」豊は、死んだ子の名を呼びながら、徘徊する様になり
ある日、村はずれの池に浮いていた。
足を滑らせたのか、自ら入水したのか、誰にも分からなかった。
まだ幼かったが、廉二郎も、その母の悲痛な呼び声は、今も、耳に残っている
兄が居なくなり、廉二郎が一人で、父のしごきを受ける事になった。
来る日も来る日も、打ち据えられ、蹴飛ばされ、怒鳴られる。
痣だらけ、傷だらけになって、それに耐える毎日だった。
廉二郎は、父は、父と言う名の鬼だと思っていた。
その父は、後妻を貰い、男の子が生まれた。
新三郎と名付けられたと聞いたが、毎日、しごき倒される廉二郎には
その弟を見に行く暇さえ無かった。
鬼のしごきを、死に物狂いで超え、やがて、廉二郎は、8歳になった。
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