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(2)突然のお願い
「落ち着いたかな? さっきは、痛かったよね。僕がうっかりこぼしちゃったせいで本当にごめんね」
「いや、こちらこそ喧嘩腰ですまなかった」
「そうよ。いきなりお義父さんに掴みかかってきたんだから、こうなったのもの自業自得よ。お母さんも、必要な農薬が手に入らなくてがっかりしたんじゃないの?」
「それは大丈夫だよ。ちょっと取り分けた分をひっくり返しただけだからね。大鍋いっぱい作ってあるから、好きなだけ使えるよって渡してきたところなんだ」
「それならよかった」
義父が用意した水で目をすすぎ、落ち着きを取り戻した男は、ゆっくりと頭を下げた。それにも関わらずぷりぷりと怒り続けるルビーを、義父が苦笑しつつたしなめる。
「まあまあ、ルビーちゃん。今回の件、実は僕も無関係とはたぶん言えないんだ。偶然が重なっちゃった結果だから、わざとではないんだけど」
「それはどういうことだろう?」
「ああ、順を追って説明するね。君はこの街に入ってから、何か気がついたことはないかい?」
「特に……、いや、この街には自分の国には咲いていない花が、たくさん植えられたり、飾られたりしているように思ったな」
(この街に、それほど特別な花なんてあったかしら)
首をひねるルビーに、立てた人差し指を揺らしながら義父が質問する。
「ルビーちゃん、メリッサさんのお仕事はなんだったかな」
「うーんと、お母さんの仕事はお花の改良で……、あ、新種なの? 街に飾ってある花が全部?」
「実はそうなんだ。謝肉祭期間中は、みんなを穏やかな気持ちにさせる効能の花を組み合わせて飾っているんだよ」
先ほど男にぶちまけた農薬といい、植物からさまざまな成分を抽出したり、効果的な組み合わせで飾ったりするのは義父の得意分野だ。謝肉祭期間中の街の飾りつけをご領主さまに頼まれていたようなので、「無関係ではない」というのは、その辺りのことを指しているのだろう。
「謝肉祭なのに、気分を盛り上げる花の組み合わせにしなかったんだね」
「他の地域や国からの人出も多いからね。トラブル防止が最優先なんだよ。血気盛んな種族を煽ると危ないじゃない。でも、まさか鼻が完全に効かなくなる獣人が出てくるなんて、予想外だよ」
頭をかく義父の横で、ルビーは頬に手を当てた。
「それで、このひとはどうするの? 警らに引き渡すつもりじゃないんだよね。それなら、そもそも店で介抱する必要はなかったもの。っていうか、そもそも引き渡さないにせよ、事情聴取には来るんじゃないの? 警らのみなさん、遅くない? 何か別件で、手が離せないの?」
「ああ、そのことなんだけどね。彼の身元がめちゃくちゃしっかりしてるから、ちょっぴりやりにくいみたいなんだ……」
「なに、貴族なの?」
「うん。しかもとびきりのね。隣国の侯爵家の跡取り息子のディランくん。その顔の良さと腕っぷしの強さ、女性への塩対応っぷりで結構有名人」
「はあ、誰よ。私、知らないわよ」
運命の番が存在する獣人族でも、やはり女好きという男はたくさん存在するらしい。そのため、獣人族にとって女性に塩対応の男というのは番を溺愛する男として人気があるのだそうだ。
(なんだそれ?)
「獣人に興味がないルビーちゃんは知らないかもね。一応、氷の騎士っていう二つ名持ちの近衛なんだよ」
「氷? このひとが? いやいや、かんしゃく玉みたいなものでしょうが」
あの血の気の多さで「氷の騎士」を名乗っているとは。あっという間にべしょべしょに溶けるか、砕け散ってしまいそうだが。雪崩を引き起こすようなヤバさをはらんでいるということであればわかるような気もしないでもない。理解できないと口を半開きにしたままのルビーに向かって、義父は苦笑する。
「獣人は、番が絡むと性格が変わるから」
「またすべてを『番』で解決するんだから。本当に獣人って迷惑だわ」
「それでね、話の続きなんだけど。ルビーちゃんさえ良ければ、彼のことをしばらくお店に置いてあげられないかなと思って。あと可能なら、花屋の手伝いもやらせてあげてほしいんだけど……」
まさかの言葉にルビーは頭を抱えて絶叫する。
「お義父さん、なに言ってるの! 今は落ち着いているかもしれないけれど、また突然、逆上したらどうするつもり? しかもさっき、騎士だの腕っぷしがどうのとか言ってたじゃない。危ないじゃん。危険人物だって。娘のそばに置いていいタイプじゃないってば」
「でもね、さすがに嗅覚がなくなったとなると、そのまま帰国させる訳にもいかないんだよ」
「その通りだ。外交問題にもなりかねない。悪いが、ここに滞在させていただく。俺の嗅覚が戻るまではきっちり責任をとってもらおう」
きりっとした表情で勝手に宣言する男に、ルビーは地団駄を踏んだ。
「いや、なにカッコつけてるの。このひと絶対、番が見つからないから帰りたくないだけだよ」
「うんうん、ルビーちゃん。そこは言わないでやってあげて?」
「言うよ。このひと、めちゃくちゃ疫病神だよ? きっとうちに置いてあげたところで、絶対にいいことなんてないよ?」
爽やかに失礼なことをまくしたてるルビーだが、ディランと呼ばれた男は取り立てて気にするそぶりもなく、珍しげに店内を見回している。すっかり居候するつもりでいるらしい。
「そんな毛を逆立てた子猫みたいに怒らなくても。ルビーちゃんは可愛いなあ。大丈夫だよ、ちゃんとディランくんには約束してもらうから」
「ちょっと、お義父さん。勝手に私の髪の毛をぐしゃぐしゃにしないで。っていうか、約束なんかしたところでこのひとが守る保証はないでしょ」
「俺たち獣人は、約束したことは必ず守る。獣人の誇りにかけて」
ルビーが言い募れば、ディランは胸に手を当て真剣な顔で断言した。片膝をついて腰の剣を差し出した雪豹の男に、ルビーは思わず天を仰ぎたくなる。
(これ、断る余地なしってこと?)
「いや、獣人の誇りとか知らないし」
「大丈夫、抜け穴がないようにしっかり誓約魔法で縛っておくから。ルビーちゃんが彼に守ってほしいことは、今ちゃんと伝えておいてね。それもちゃんと盛り込んでおくし」
穏やかそうに見えるが、こんなときの義父は意見を絶対に曲げないことをルビーはよく知っている。にこにこと笑う義父と、神妙な顔で恭順を示し続けるディランを前にため息をひとつ吐いた。
「わかったわ。じゃあ、私からはひとつだけ」
「なんだろうか」
「嗅覚が戻るまでの間に、人間について学んでほしいの。あなたにとっては当たり前のことでも、私たち人間にとっては当たり前ではないことがたくさんあるの。それを約束してくれるなら、協力するわ」
なんとも不思議そうな表情を見せるディラン。けれど、かつて煮え湯を飲まされたことのあるルビーは、この点に関しては絶対に譲るつもりはなかった。
「わかった、約束しよう。これからよろしく頼む」
「全然よろしくしたくないの。早く嗅覚を治して、さっさと出て行ってちょうだい」
ルビーはやる気なくあくまでおざなりに、預かった剣をディランの肩に載せてやる。そうしてディランはルビーの働く店で、手伝いとして居候することになったのだった。
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