(10)愛こそすべて

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(10)愛こそすべて

「君は、ルビーの父親のことについて何か聞いているかな」 「彼女は、父親は自分と母親を捨てたと」 「そうなんだよ。彼はこう言ったんだ。『この結婚は間違いだった。自分の運命は、他にいたんだ』ってね」  芝居掛かった動作で朗々と言葉を紡ぐ義父の目は、ギラギラと輝いている。 「馬鹿な男だよ。てのひらの中の真珠を海に投げ捨てて、偽物の人魚姫を追いかけていくなんて滑稽じゃないか」 「あなたが仕掛けたのか」 「さあ?」  嗅覚を取り戻したときに感じたあの甘美な匂いを思い出す。脳髄をかき回されるような、体の震えが止まらなくなるような濃密な香り。擬似的なものを大量にぶちまけられたとして、果たして自分はそれを見破ることができるのだろうか。  一時的に嗅覚を失い人間と同じような状況で暮らしてきたからこそ、ディランは「間違えない」とは言えなかった。最初に花屋に突撃したように思い込みと自分たちの常識で突っ走ったとしたら……。恐ろしさと、目の前の男の悪どさに背筋が凍った。 「ただ、彼女はチョウチンアンコウの血筋だったはずだよ」  ディランは頭の中から、海に住む者たちの知識を引っ張り出す。深い深い海に住むあの生き物は、誘蛾灯のように疑似餌を発光させて餌をおびき寄せるのだとか。 「もしかしたらうっかりつられて、番だと思い込んでふらふらとついていくこともあるかもしれないね」 「そんな愚かな獣人がいるとは思いたくもないな」 「そうだね。まあ今さら間違いに気がついたところで、ここに戻ってくることもないからね」 「よく断言できるな」  運命の番を騙し討ちにしてまで奪い取るような男だ。もはや、すでにルビーの父親は処分済みなのだろうか。ディランが考えていると、義父はおかしくてたまらないというように笑い出した。 「ちなみに魚のチョウチンアンコウのメスはね、相手のオスと文字通り『一生一緒』にいるんだよ」 「幽閉でもするのか」 「獣人だとそうなるのかな。少なくとも、チョウチンアンコウそのものはもっとグロテスクだよ。オスは、メスの体に寄生して、子孫を残すための役割だけを必要とされて生きていくんだから。まあ、彼はもともとヒモ体質みたいだったから、どんな状態でも結構幸せに暮らしているんじゃないかなあ」  喉を鳴らして笑う義父に、ディランはやれやれとかぶりを振る。ひとまず自分たちが手を下さなくとも、ルビーとルビーの母親の安全は確保されているのだろう。一番の要注意人物が目の前にいるような気がしないでもないが。 「心外だな。君は、僕に感謝すべきなんだよ。あのぼんくらじゃあ、ルビーを守ることなんてできなかったんだから」  義父はぺらぺらと楽しそうに、ルビーの窮地を語る。ルビーの血縁上の父親が浮気性な男だったせいで、ルビーとルビーの母は厄介な獣人の女性に狙われることも多かったらしい。  野盗や暴漢の振りをして襲ってくるだけでなく、食事処や宿屋で毒を仕込んでくるような獣人たちだっていたのだという。  そういえばルビーは、幼少の頃は病気がちだったと言ってはいなかったか。おおかたこの男が、すんでのところで助けてやっていたのだろう。すべての危機を事前に完璧に回避させてやらないあたりが、いやらしいところだ。 「ほしけりゃ番だろうが、奪い取れが基本だからねえ」 「人間の文化を学んで、獣人の文化がいかに野蛮なものか理解できた」 「またまたあ。そんなこと言って、ほしいものがあったら我慢するの? しないでしょ」  ディランは、そっと目をそらす。 「僕たち獣人の運命の番はね、どうして国外にまで探しに行かないと見つからないか考えたことはあるかい」 「運命の番とは、そういうものだと」 「そういうもの、ねえ。本当にそういうもの、なのかな?」  ディランは戸惑う。確かに義父が言うまでもなく、運命の番が他国で見つかることは珍しいことではない。むしろ、番をみつけたければ旅に出ろと推奨されているほど。とはいえ他国はたいてい人間で構成されている。だからこそ、獣人による嫁取りが多くの問題を引き起こしているのだ。 「神さまというのが本当にいるのなら」 「不敬では」 「まあいいじゃない。神様が本当にお望みになったことは、婚姻を通じて国同士が仲良くなることだったのかもしれないね」 「婚姻を通じて?」  それは無理ではないだろうか。王族同士の政略結婚ですら、うまくいかない例はざらになる。それなのにどうして、運命の番で世界が平和になると思ったのだろう。ディランの疑問を読み取ったかのように、義父が薄く笑う。 「そう、政略結婚なら無理だろう。だけど、運命の番だよ。愛するひとの望みは叶えたくなるのが、僕らの性分だろう?」 「それはそうだが……」  番のために獣人同士が手に手を取り合い、平和な世界を築く? そんな理想を信じて運命の番を作り出したというのなら、神さまという存在は自分たちの善性を信じすぎている。  獣人にとっては、番こそが世界なのだ。番が手に入るなら、それ以外はどうなっても構わない。国だとか、他国との関係だとか、それこそ平和な世界と言われたところで、誰が理解できるだろう。  込み上げてきた笑いを嚙み殺そうとして、ディランの顔はいびつに歪んだ。真夜中の往来で哄笑などしようものなら、すぐに警らが駆けつけてくるに違いない。 「今だって、彼女たちの望みを叶えるために動いている最中じゃないか」 「まあ、そうだが」  ディランたちはずっと立ち話をしていたわけではない。見回りをしながらのおしゃべりなのだ。どの街にも言えることだが、放っておくとゴミが通りにあふれてしまう。それを適宜掃除し、片付けていくのが今日の主な目的なのだった。 「ゴミ拾いというか、草むしりというか。最近はゴミが多過ぎて、どぶさらいに近いような気がするけど」 「確かに」 「でもさあ、僕たちの愛しい番が住む場所が綺麗になると思うと、やる気が湧かない?」  義父の言葉に、苦笑してしまう。まったくその通りなのだから、獣人というものは業が深い生き物だと思う。 「まあ、神さまの気持ちなんて一介の獣人になんて想像もできないからね。僕たちは、隣にいる愛するひとのためにただ粛々と働くのみさ。さあ、ちゃっちゃとやらないと夜明けまでに仕事が終わらないよ。()()()()()()()()残しちゃいけないんだから」 「善処する」 「いやあ、良かったよ。『氷の騎士』と書いて『喜劇俳優(コメディアン)』と読むのかなって思うくらい、君ってルビーの隣で面白い行動しかとらないからさ。牙抜かれちゃったのかって心配してたんだけど、ちゃんとこっちの仕事もできそうで安心したよ」 「当然だ」  ディランは、氷の騎士という二つ名にふさわしい冷徹な顔で、輝く刃を振り上げた。
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