(5)ルビーの地雷

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(5)ルビーの地雷

 ルビーとディランがほどよい距離感で仕事をこなすようになったある日、義父が休憩中のふたりのもとへフラスコを持ってきた。透き通った緑の美しい液体が、ガラス瓶の中でゆらゆらと揺れている。 「ディランくんは、すっかりこの生活にも馴染んだみたいだね」 「おかげさまで」 「それはよかったよ。僕の方も結構順調でね。君の嗅覚を治す薬も、もう少しで完成しそうなんだ。一応、これなんだけど」  差し出されたフラスコに顔を近づけ、ディランが首をひねる。 「……何もわからないが。色合い的に爽やかな匂いなんだろうか」 「そうみたいね。さっぱりとしつつほのかに甘さを含んでいるから、この間の薬湯みたいに悶絶することはなさそうよ」  同じくフラスコに顔を近づけながら、ルビーは答えた。胃痛の際に飲んだ薬湯の味を思い出したのだろう、ディランが端正な顔をしかめっ面に変える。 (……そっか、もう帰っちゃうのか)  先ほど耳にした義父の言葉に、ルビーはほんのりと寂しさを覚えていた。そしてそんなことを考えた自分に驚きながら、なにやらこそこそと話し込むふたりを見やる。 (そうよ。ディランは、この街に番を迎えに来ただけ。嗅覚が戻ったら、ここから出て行くのは当然のことなんだわ)  最初はさっさと出て行ってほしかったはずなのに、いつの間にかディランはルビーの生活に馴染んでしまっていた。横柄で傲慢に見えて、実はとても素直で純粋なディラン。  ディランが人間に無理解だったのと同じように、ルビーだって表には出さないが獣人への偏見を持っていた。それが少なからず崩されたのは、確かにディランのおかげだ。 「ルビー?」 「ごめんなさい。少しぼうっとしてたわ」  物思いにふけっているルビーを残し、いつの間にか義父は研究室に戻ってしまったようだ。母は品種改良が生きがいだし、義父はそんな母に尽くすことが生きがいだ。研究室の向こう側には、ルビーの知らない世界があるような気がして、少しだけ寂しくなった。そんなルビーに、ディランが心配そうに声をかける。 「少し、いいだろうか?」 「ええと、何かしら」  急にどうしたのだろうかと、ルビーはいぶかしんだ。 「世話になった礼がしたい」 「あら、殊勝な心がけね」 「あの時の振る舞いがどれだけ無作法なものだったか。思い出すのも恥ずかしい。その恩を返したい……いや、返させてくれ。俺が隣国に戻るときに、旅行がてら一緒に来てはくれないだろうか。親戚一同、歓迎してくれるはずだ」 「お見合いおばさんとして、労われるってことね。結構よ」  ルビーは遠慮するが、ディランはなぜかしつこく食い下がってきた。 「いや、それなら、俺の家族に会う必要はない。ただの息抜きの旅行として、隣国を案内しよう」 「どうして私を隣国に連れ出そうとするの。どうせ、番探査犬にしようって魂胆でしょ。別に私を連れて歩いたからって、運命の番を見つけ出したりとかできないないからね」 「……そういうつもりではない。誤解させたのなら、謝ろう」 「じゃあ、どういうつもり?」  少しだけ言いよどみ、しかしディランはまっすぐルビーを見つめ返してきた。 「あなたが少し疲れているように見えたからだ」 「ええそうよ。どこかの分からず屋さんのせいで、私、疲労困憊なの」 「……それはすまない。だが、それだけではないだろう」 「何が言いたいの?」  ディランの言い回しが妙に気にさわる。 「あなたがた家族のことだ。お義父さんということは、血の繋がりはないのだろう」 「そうよ。私はお母さんの連れ子なの。お母さんは植物の品種改良を、お義父さんは植物を使ったお薬の研究をしているわ。まさに、理想の夫婦というわけ」 「俺が気になったのは、そこだ。あなたもまた改良された植物を育て、花屋を切り盛りしている。どうして『家族』から自分を除外しようとするんだ」  不思議そうに尋ねられて、ルビーは舌打ちしたくなった。 (何も知らないくせに)  自分を落ち着かせるために深呼吸をしても、何も変わらない。指先は凍るように冷たいのに、頭には血がのぼっているのがわかる。 (このひとはきっと何の疑問も抱かずに、番を迎えに行って結婚するのね)  どうしてだか意地悪をしてやりたい気分になって、ルビーはうっすらと笑ってみせた。完成間近の積み木のお城を思い切り叩き壊すような、そんな暗い気持ちで。 「私が、必要とされていない子どもだからよ」  ルビーの発言に、ディランが眉を寄せた。 「そもそも父と出会う前の母には、政治的な結びつきの婚約者がいたの」 「政治的な結びつきの婚約……。貴族だったのか?」 「ええ。でも、私の血縁上の父はね、そんな母に向かって夜会で求婚したそうよ。『君は、わたしの運命だ』と公衆の面前で宣言して。婚約者がいる女性に求婚するなんて前代未聞よ。しかも父はまったく引き下がらず、母をさらって駆け落ちしたらしいの」 「死に別れたのか?」 「まさか。数年後に、私たちは捨てられたのよ。『この結婚は間違いだった』ってね」  口ごもったディランは、困ったように質問してくる。 「母君はご実家に戻らなかったのか?」 「戻れるわけないわ。政治的な婚約はぱあよ。逆に慰謝料を払わされているかもしれない。そこに子連れで戻ってどうなるの?」  ルビーは、よくて身分を隠して里子に出されるだけ。貴族の血筋を引いているがゆえに、処分されてもおかしくなかったはずだ。ルビーの母は、ルビーを傷つけられないように慣れない平民暮らしを頑張ったのだった。 「お母さんは、私のことを大切だと言ってくれる。だからこそ、申し訳ないの。私さえいなかったら、こんな苦労はせずに済んだ。再婚した義父も、きっと自分の血を引く子どもが欲しかったはずよ」 「それは」 「私はね、お母さんを不幸にしたの。お義父さんに迷惑をかけているの。だからみんなの邪魔にならないように、しっかり働いて、真面目に生きていかなきゃいけないのよ。疲れているだとか、居心地が悪いだとか、私は言ってはいけないし、結婚する資格だってないわ」 「それでもご両親は、あなたが幸せになることを望んでいるはずだ」 「……わかったような口をきかないで」  結局は八つ当たりなのだ。もうこれ以上、なにも言うまいと思うけれど、言葉を抑えることがどうしてもできなかった。 「嗅覚が戻ったら、さっさと番を迎えに行きなさいな。そして、早く出ていってちょうだい」 「ルビー、俺は」 「これ以上、私に話しかけないで。ひどい言葉をぶつけたくないの」  話しながら泣き出すなんて、ズルい女のすることだ。そう軽蔑していたはずなのに、涙があふれて止まらない。頬を伝う雫をぬぐおうとするディランのてのひらを振り払い、ひとり気がすむまでルビーは泣きじゃくった。
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